ユーモア小説

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佐々木邦の創刊した『ユーモアクラブ』1937年10月創刊号(春陽堂)表紙

ユーモア小説(ユーモアしょうせつ)、ユーモア文学(ユーモアぶんがく)は、滑稽小説: Comic Novel)とも呼ばれ、古来喜劇や、芸能、演芸の分野と同様に、笑い、おかしみを含んだ小説であり、風刺の表現としても用いられてきた。

16世紀には、ゼバスティアン・ブラントの阿呆たちを船に満載して阿呆国に送り出すという風刺詩『阿呆船』がヨーロッパでベストセラーとなり、大きな影響を与えた[1]ルネサンス期ユマニストであるエラスムス痴愚神礼讃』も風刺作品であり、フランソワ・ラブレーガルガンチュワとパンタグリュエル物語』は過剰さと猥雑さの奔流の世界である[1]。16-17世紀にはシェイクスピア戯曲にも多くの喜劇があり、セルバンテスドン・キホーテ』は騎士道物語パロディである。

また16世紀スペインで流行した悪漢小説は、「下層階級の生活を赤裸々に述べ、嘲笑的な皮肉とペシミスティックな人生観を披瀝する」もので[2]、ドイツでこのスタイルで書かれたグリンメルスハウゼン阿呆物語』も、三十年戦争で荒廃した社会を舞台に「滑稽なもの、グロテスクなものの強調によって、風刺と皮肉と嘲笑にみちて」いる滑稽物語とされる[3]

ヴォルテール『カンディード』の挿絵(1801年版)

18世紀フランスでは哲学コントが流行し、ヴォルテールの 『カンディード』などの作品では風刺と思想宣伝を目的として、その皮肉が「きわめてスピード豊かな、明晳で節度ある文体に表れ、笑を通して我々の理性に呼び掛けてくる」点で「モリエールの喜劇と同列」であり「物事を感情よりは知性で捕らえるやり方は極めてフランス的なもの」とされる[4]

ドイツ・ロマン派E.T.A.ホフマンの『牡猫ムルの人生観』など晩年の作品では、芸術家としての立場からの「ユーモア、すなわち笑いの形で行われた社会への抗議」として書かれた[5]

ユーモアと風刺の作家として『アーサー王宮廷のコネチカット・ヤンキー』などの作品で知られるマーク・トウェインは、「ユーモアは道徳と同じく永遠の真実性をもつ」と言う言葉も残している[6]ジェローム・K・ジェロームの『ボートの三人男』は、「イギリス第一の滑稽小説」であり、「あれほど野生的でありながらあれほど洗練されており、あれほど涙もろいくせにあれほど諧謔を愛する、イギリス人の多層的・多面的な性格の反映であろう」「ディケンズの伝統、そしてさらに言うならばフィールディングの伝統はここに生きているのだ」と評される[7]。 機知と皮肉と風刺により「現代のヴォルテール」と称されたエドモン・アブーの『山賊株式会社長』は、フランス19世紀後半のユーモア小説の傑作と言われる[8]

ロシア文学の中では、ゴーゴリの荒唐無稽な物語『鼻』や、チェーホフの庶民の生活を題材にした初期のユーモア短編などがあった。

サキは、奇妙な味ブラックユーモアの作家として知られる[9]P・G・ウッドハウスは「イギリス全国、ウッドハウス本のないクラブはない」と言われるほどの人気作家で、そのからっとしたユーモアは「余計なペイソスはない。涙はない。肩肘はったような問題も、もちろんない。」もので、ヒレア・ベロックは「彼の創作の目的はもっとも現代的な意味でのコメディなのだ。つまり、彼のあたえるものは笑いであり、そこでは彼は完璧に近い至芸を見せてくれるのである」と評した[10]

英米で主に発展したポストモダン文学の中には、「笑いの文学」の要素が多くふくまれる。

日本の作品

日本の近代以降では、江戸期より戯作者として活躍していた仮名垣魯文の、かつての滑稽本の体裁も引き継いで開化期の「混沌たる世相の嘲罵」[11]となる『安愚楽鍋』や『西洋道中膝栗毛』などに始まり、村井弦斎食道楽』などの道楽シリーズ[12]夏目漱石吾輩は猫である』『坊つちやん』が人気を博した。大衆小説が勃興すると、代表的な大衆文学雑誌『講談倶楽部』の初期には、村上浪六佐藤紅緑の「明るいユーモア性」が人気があり、古典や新作落語漫才などを掲載し、滑稽小説として伊藤みはる、武田鶯塘、鶯亭金升、森暁紅、岡成志、寺尾幸夫などの作者がおり、のちに『少年倶楽部』誌でも『苦心の学友』などを書いていた佐々木邦が人気となって、ユーモア小説という言葉も生まれた[13]

織田作之助原作の映画『夫婦善哉』。主演の森繁久彌は井伏鱒二原作の『喜劇駅前シリーズ』など多くの喜劇映画に出演した。

昭和になると、エロ・グロ・ナンセンスブームにより、若者向け雑誌『新青年』も「モダニズム提唱、ナンセンス謳歌」の編集方針で、ユーモア小説やコントを掲載するようになり、佐々木邦のユーモア作家倶楽部にも所属した獅子文六『金色青春譜』、久生十蘭『ノンシャラン道中記』『黄金遁走曲』、徳川夢声のユーモア推理小説、大阪圭吉の短編作品などが掲載された[14]。フランス風のコントを提唱したのは岡田三郎で『誰れが一番馬鹿か?』などを残し、アメリカ風のギャグとしては谷譲次『モダーン読本』などが書かれた[15]。また『山椒魚』を書いた井伏鱒二や、「ファルスの文学」を提唱した坂口安吾に続いて、新戯作派と呼ばれる織田作之助石川淳らの作家たちがいた。

戦後文学では、知識人の実体を「自虐と風刺のうちにえぐり出した」[16]鳴海仙吉』を書いた伊藤整安岡章太郎や、遠藤周作の狐狸庵先生シリーズ、北杜夫のどくとるマンボウシリーズなどのユーモアあるエッセイが人気となり、遠藤周作『おバカさん』、北杜夫『怪盗ジバコ』、源氏鶏太のサラリーマン小説、小林信彦のオヨヨ大統領シリーズ、井上ひさしブンとフン』、佐藤愛子『戦いすんで日が暮れて』などがユーモア小説として人気となった。地方色豊かなユーモアあふれる作品として、弘前を舞台にした石坂洋次郎『石中先生行上記』や、今東光八尾天台院主として住んだ河内の人々を描いた『河内風土記』などの作品があった。山口瞳江分利満氏の優雅な生活』は平凡なサラリーマンの日常を通して高度成長期における生活と意識の変質[17]を、「慟哭を笑いで偽装するという手法」(山本周五郎[18]で描いている。丸谷才一は、新聞社の女性論説委員への政治的圧力の成り行きを「ユーモアを散りばめながら優雅に話を進めている」[19]という『女ざかり』などの軽妙な作風の作品がある。

ジャンル小説では、『わが国おんな三割安』などのユーモア小説のある藤原審爾は、「痛快な活劇と健康なお色気を全編ふんだんに散りばめたユーモアたっぷりの」『拳銃の詩』などの軽ハードボイルドと呼ばれる作品も書いている[20]。またユーモアの散りばめられた胡桃沢耕史翔んでる警視』『ズベ刑事』などのシリーズや、赤川次郎三毛猫ホームズシリーズ」などのユーモア推理小説、筒井康隆によるスラップスティックSF清水義範パスティーシュ小説などがある。

位置付け

谷譲次『モダーン読本』(1930年)表紙

日夏耿之介『明治煽情文芸概論』による大衆文学の分類表では「滑稽小説」として作家には高橋太華、木村小舟を挙げ、また直木三十五による7種類の分類でも「ユーモア小説」が挙げられている[15]

久生十蘭作品では「喜劇的要素が網羅的に駆使されている」「講談浪花節、落語、漫才など大衆芸能につきものの誇張、変形、アナクロニズム、逆転、語呂合わせ、食い違いその他その他がふんだんに用いられ」「トーキー初期のドタバタ喜劇映画のテクニックが見事に応用されている」とされる[21]

今東光は河内もの作品について「僕などは、いつぺんも高尚な人物を書こうと考えたことはない。下劣で、ケチン坊で、助平で、短気で、率直で、つまり僕自身に似た人物、それが河内者なんだろうが、僕は彼等を限りなく愛するだけに、僕の主人公はつねに高尚ではない。僕はそれで満足しているのだ」(『闘鶏』あとがき)と述べ、これらの地方を題材にした作品では「人間本能が、そこでは剥きだしになって、原始的な素朴さのまま発揮されているわけで、その露骨さが笑いを誘うのである」と評される[22]

井上ひさしは、「ユーモア小説は娯楽小説の中で最もいやしめられ」ているが、「ユーモアは笑いと洒脱な感情の巧みな結合によって生まれるもの」であり、「ユーモア作家は、人生の矛盾や世の中の穢ささや卑しさにめげずに人生の意義を認めなければならぬ。醜悪なるこの現実にあっては愛は不毛であると認識しつつ、しかし同時の愛の可能性を信じなければならぬ。この世の不条理を深く嘆きながら、一方ではその上に超然と居直らねばならぬ。悪を憎みながら、「悪あってのこの世さ」と悪と調和せねばならぬ」と論じている[23]。井上ひさしの『ブンとフン』はナンセンス文学とも評され、ユーモアとナンセンスは近い関係だが、「ユーモアはあくまでセンスの世界にとどまるが、ナンセンスはむしろシュルレアリストのいう「驚異」の世界に属している」と説明される[24]

文芸評論家だった遠藤周作は、仲間からは「うそ話の、座談の、おどけた演技の名人」と言われていたが[25]、その後小説を書き始めて、新聞連載小説『おバカさん』は「一見只のユーモア小説であるかのように見えながら、大部分の日本の近代小説にはないスケールの大きさを秘めているのは、そこに人間の基準にいわば垂直に交わっている神聖なものの基準があるからである」[26]と評された。

丸谷才一は若い頃にはドストエフスキーの初期の滑稽小説を愛読しており、『たった一人の反乱』にもその影響が出ているんじゃないかと述べ[27]、『たった一人の反乱』にアントニー・バージェスは「穏やかなアイロニー、仕掛けにじっくり時間をかけておいてワッと笑わせるユーモア、人生とはこんなものさ、と肩をすくめてみせる哲学的達観、人間というものの弱点に対する寛容など、西洋のフィクションにおいてももっと尊重されてしかるべきテクニックを用いている」「この小説は、英語を常用する国々に、現代の滑稽小説の優秀な作家の一人として、(略)彼の地位を確立させるに違いない」と評している[28]

ジョナサン・スウィフトガリヴァー旅行記』も風刺小説として知られるが、スウィフト自身が「この書は人を喜ばせるのに書いたのではない、怒らせるために書いたのです」と述べ、夏目漱石も「人類はスウィフトのために自尊心を傷つけられる故に不愉快である。(略)かくして人類は世界滅却の日に至るまで不幸である。それが最不愉快である」と述べたように位置づけられる[29]

叢書・作品集

参考文献

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