ヨービット・トレアルバ
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ロッキーズ時代 | |
| 基本情報 | |
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| 国籍 |
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| 出身地 | カラカス |
| 生年月日 | 1978年7月19日(46歳) |
| 身長 体重 |
5' 11" =約180.3 cm 200 lb =約90.7 kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投右打 |
| ポジション | 捕手 |
| プロ入り | 1994年 アマチュアFA |
| 初出場 | 2001年9月5日 |
| 最終出場 | 2013年9月25日 |
| 経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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ヨービット・アドルフォ・トレアルバ(Yorvit Adolfo Torrealba , 1978年7月19日 - )は、ベネズエラ・カラカス出身の元プロ野球選手(捕手)。右投右打。
発音指示によると「ヨーヴィート・トリアルバ (yor-VEET tori-AHL-ba) 」がより近い読みである。
ジャイアンツ時代
1994年9月14日にサンフランシスコ・ジャイアンツと契約。
2002年には、ジャイアンツの控え捕手に定着。
2003年オフ、正捕手ベニート・サンティアゴがチームを去ったが、ツインズからA・J・ピアジンスキーが移籍して正捕手となったため、2004年も控え捕手を務めた。
2005年もカージナルスから移籍してきたマイク・マシーニーの控え捕手を務めていた。
マリナーズ時代
2005年7月30日、ランディ・ウィンとのトレードでジェシー・フォパートと共にシアトル・マリナーズに移籍。マリナーズでは先発マスクをかぶった。
ロッキーズ時代
2005年12月7日、マルコス・カーバハルとのトレードでロッキーズに移籍。
2006年は、ロッキーズで正捕手として起用される予定だったが、怪我のため65試合の出場に留まった。
2007年は自己最多の113試合に出場した。ワールドシリーズ進出に貢献、プレーオフでは8打点をあげた。10月31日にフリーエージェントとなった。ニューヨーク・メッツと3年1440万ドルで契約を締結。しかし、某ナリーグ球団スカウトに「捕ってからは速いが、送球はお辞儀する」と評された右肩の状態が不安視され[1]、結局2年725万ドルで古巣ロッキーズへ復帰することとなった。
パドレス時代
2010年2月5日、サンディエゴ・パドレスと1年契約で合意。この年は、打率271というまずまずの結果を残した。11月1日にFAとなった。
レンジャーズ時代
2010年11月29日にテキサス・レンジャーズと2年契約総額625万ドルで合意。
2011年はエンゼルスから移籍してきたマイク・ナポリの二番手捕手として貢献した。この年はワールドシリーズに進出。代打の切り札として貢献した。この年は、打率273、本塁打7本と言う成績を残した。しかし、失策9はアメリカンリーグのワースト3位だった。12月26日の母国ベネズエラでのウィンター・リーグで球審をマスク越しに平手打ちをし出場停止処分となった(なおこの処分はMLBではなくベネズエラ・ウィンターリーグが対象となる)。
2012年はダルビッシュ有の専属捕手として存在感を見せていたが、7月31日にレンジャーズはカブスとの交換トレードで、2008年ナ・リーグ新人王のジオバニー・ソト捕手を獲得したと発表した。これに伴い、8月8日に放出された。
ブルージェイズ時代
2012年8月14日にトロント・ブルージェイズと契約。
ブルワーズ時代
2012年9月21日にトレードでミルウォーキー・ブルワーズへ移籍した。10月17日にFAとなった[2][リンク切れ]。
ロッキーズ復帰
2013年1月24日に古巣ロッキーズとマイナー契約を結んだ[3]。10月31日にFAとなった。
ロッキーズ退団後
2014年1月31日にロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイムとマイナー契約を結んだ[4]が3月23日に放出された。6月12日にシカゴ・カブスとマイナー契約を結ぶが、7月17日に解雇となる。オフにはベネズエラのウィンターリーグ(LVBP)でプレー。
2015年は所属球団なく、オフにベネズエラのウィンターリーグでプレー。
現役引退後
2016年/2017年シーズンより、LVBPのレオネス・デル・カラカスのコーチに就任した[5]。
人物
- 両親は彼に名前を付ける際、「Yorman」と「Victor」のどちらにするか決められず、結局2つを合わせた「Yorvit」という名前を付けた。
- 2009年6月2日にトレアルバの長男と2人の叔父がベネズエラで誘拐されたが、犯人は身代金受け渡し前に逃亡し、翌日無事に保護された[6]。
- その長男(ヨービス・トレアルバ)は、2019年のMLBドラフトでコロラド・ロッキーズから20巡目(全体609位)で指名され入団した[6][7]。