マイク・ナポリ

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生年月日 (1981-10-31) 1981年10月31日(44歳)
身長
体重
6' 0" =約182.9 cm
220 lb =約99.8 kg
マイク・ナポリ
Mike Napoli
シンシナティ・レッズ コーチ #75
テキサス・レンジャーズでの現役時代
(2017年7月18日)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 フロリダ州ハリウッド
生年月日 (1981-10-31) 1981年10月31日(44歳)
身長
体重
6' 0" =約182.9 cm
220 lb =約99.8 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 一塁手捕手
プロ入り 2000年 MLBドラフト17巡目
初出場 2006年5月4日
最終出場 2017年9月14日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴

マイケル・アンソニー・ナポリMichael Anthony Napoli, 1981年10月31日 - )は、アメリカ合衆国フロリダ州ハリウッド出身の元プロ野球選手捕手一塁手)、野球指導者。右投右打。愛称はポーターホースPorter Horse[1]

プロ入りとエンゼルス時代

ロサンゼルス・エンゼルス時代
(2007年6月25日)

2000年MLBドラフト17巡目(全体500位)でアナハイム・エンゼルスから指名を受け、6月21日にプロ入りする[2]

2006年5月4日にメジャーデビューを果たした。デビュー戦で史上92人目となる初打席初本塁打を放ち、その後も11打席連続出塁を記録。そのまま、正捕手の座を奪取した。7月下旬まで打率3割台を維持していたが、シーズン終盤に打撃不振に陥った。それでも99試合で16本塁打を放った。

2007年は開幕からフル出場し、前年を超える成績を期待されていたが、最終的にはいずれも2006年を下回る10本塁打・34打点という数字に終わった[2]

2008年はMLBシーズン試合数の半数以下である78試合の出場で20本塁打を放ち、長打率.586を記録した[2]

2009年は出場試合数が大幅に増加し、本塁打も2年連続で20の大台を超えた[2]

2010年ケンドリス・モラレスの故障以降、一塁手として起用された。最終的に、打率は5年間のメジャーリーグ生活で下から2番目の.238という数字に終わったが、自己最多の26本塁打、68打点を記録し、初めて規定打席に到達した[2]。これで、本塁打は3年連続で20本以上の数字を残している。

レンジャーズ時代

テキサス・レンジャーズ時代
(2012年5月10日)

2011年1月21日にバーノン・ウェルズとのトレードで、フアン・リベラとともにトロント・ブルージェイズに移籍した[3]が、その僅か4日後の1月25日に今度はフランク・フランシスコとのトレードでテキサス・レンジャーズに移籍した[4]。レンジャーズでは故障による離脱がありながらも自身初の3割、30本塁打を達成[2]OPSは1.046と捕手としては驚異的な数字を記録した[2]。課題であった守備でも、守備防御点がメジャー1年目以来のプラスを記録した[2]

2012年オールスターゲームに初めて選出された[5]。オフの10月29日にFAとなった。レンジャーズは1330万ドルのクオリファイング・オファーを提示したが、11月2日に拒否した[6]

レッドソックス時代

ボストン・レッドソックス時代
(2015年4月25日)

2012年12月3日にボストン・レッドソックスと3年総額3900万ドルの契約に合意と報じられた[7]が、身体検査で股関節に懸念点が見つかったため、正式契約が保留となっていた[8]2013年1月22日に1年契約を結んだ[9]

2013年はキャリアで初めて捕手を守らず一塁での出場に専念し、キャリアハイとなる92打点をあげ主軸としてチームのワールドシリーズ制覇に貢献した。10月31日にFAとなり、12月6日に2年総額3200万ドルの契約で合意し[10]。12月12日に球団が正式発表した[11]

2014年も開幕から正一塁手として43試合に出場していたが、4月15日のシカゴ・ホワイトソックス戦で左手薬指を負傷。翌日の試合は欠場したものの、17日の試合から怪我を押しての出場を続けていた。だが、5月25日に15日間の故障者リスト入りした[2]。シーズン全体では、一塁手ないし指名打者として119試合に出場したが、打率.248・17本塁打・55打点に終わった[2]。得点圏では打率.170と打てず、6年連続で20発以上放っていた本塁打も20本未満に終わった[2]。一方、前年比20試合減ながら自己最高の78四球を選んだ[2]

2015年は引き続き一塁手のレギュラーを務めて98試合に出場したが、打率.207、13本塁打、40打点だった[2]

レンジャーズ復帰

2015年8月7日にウェイバー公示を経て金銭 + 後日発表選手とのトレードにより、古巣・レンジャーズへ移籍した[12][13]。レンジャーズ復帰1号弾は、ナポリにとっての通算200号本塁打であった。守備では一塁手以外に、キャリアで初めて外野(左翼手)も11試合で守った。なお、レッドソックスとの通算では、133試合の出場で打率.224・18本塁打・50打点・3盗塁という成績だった。同年11月2日にFAとなった[2]

インディアンス時代

クリーブランド・インディアンス時代
(2016年10月6日)

2016年1月5日にクリーブランド・インディアンスと1年契約を結んだ[14]。インディアンスではファーストのレギュラーで起用され、150試合に出場。打率.239、194三振(自己ワースト且つリーグワースト2位)と打撃面では良くなかったが、5年ぶりの30本超となる34本塁打・自身初の100超となる101打点を記録した[2]。オフにFAとなった[2]

2度目のレンジャーズ復帰

2017年2月16日にレンジャーズと1年600万ドル(2018年は1100万ドルのオプション、250万ドルのバイアウト付き)で契約を結んだ[15]。同年11月6日にFAとなった[2]

インディアンス傘下時代

2018年2月28日にインディアンスとマイナー契約を結び、スプリングトレーニングに招待選手として参加することになった[16]。この年は傘下のAAA級コロンバス・クリッパーズで8試合に出場したのみだった。オフの12月9日に現役引退を表明した[17]

引退後

2020年シーズンからはシカゴ・カブスQA担当コーチを務める[18]2024年オフにカブスを退団し、シンシナティ・レッズの球団スタッフとして雇用された[19]

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
2006 LAA 993252684761130161224223015105902.228.360.455.815
2007 75263219405411110973452153325635.247.351.443.794
2008 78274227396291201334973163555703.273.374.586.960
2009 114432382601042212018856330340171036.272.350.492.842
2010 14051045360108241262126842044221113715.238.316.468.784
2011 TEX 113432369721182503023375420258238510.320.414.6311.046
2012 1084173525380922416556100256571259.227.343.469.812
2013 BOS 1395784987912938223240921101733618715.259.360.482.842
2014 1195004154910320017174553203783413312.248.370.419.789
2015 9837832937681811312740310145239910.207.307.386.693
TEX 359178923205401002001211191.295.396.513.908
'15計 133469407469120118167503301573411811.224.324.410.734
2016 CLE 15064555792133221342591015105782519415.239.335.465.800
2017 TEX 124485425608211129182661203493716311.193.285.428.713
MLB:12年 1392533045726971125224112672172744392423665031691468114.246.346.475.821

記録

背番号

  • 44(2006年 - 2010年)
  • 25(2011年 - 2012年、2015年途中 - 同年終了)
  • 12(2013年 - 2015年途中)
  • 26(2016年)
  • 5(2017年)
  • 55(2020年 - )

脚注

関連項目

外部リンク

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