ロス・バークリー

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ラテン文字 Ross Barkley[1]
生年月日 (1993-12-05) 1993年12月5日(32歳)
ロス・バークリー
チェルシーFCでのバークリー (2019年)
名前
ラテン文字 Ross Barkley[1]
基本情報
国籍 イングランドの旗 イングランド
生年月日 (1993-12-05) 1993年12月5日(32歳)
出身地 リヴァプール
身長 186cm[2]
体重 87kg[3]
選手情報
在籍チーム イングランドの旗 アストン・ヴィラFC
ポジション MF
背番号 6
利き足 右足
ユース
2005-2010 イングランドの旗 エヴァートン
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2010-2018 イングランドの旗 エヴァートン 150 (21)
2012 イングランドの旗 シェフィールド・ウェンズデイ (loan) 13 (4)
2013 イングランドの旗 リーズ・ユナイテッド (loan) 4 (0)
2018-2022 イングランドの旗 チェルシー 56 (5)
2020-2021 イングランドの旗 アストン・ヴィラ (loan) 24 (3)
2022-2023 フランスの旗 ニース 27 (4)
2023-2024 イングランドの旗 ルートン・タウン 32 (5)
2024- イングランドの旗 アストン・ヴィラ 24 (3)
代表歴2
2008-2009  イングランド U-16 7 (2)
2009-2010  イングランド U-17 7 (2)
2010-2012  イングランド U-19 12 (0)
2013  イングランド U-20 3 (0)
2011-2013  イングランド U-21 5 (1)
2013-2019 イングランドの旗 イングランド 33 (6)
1. 国内リーグ戦に限る。2025年7月1日現在。
2. 2020年2月22日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ロス・バークリー (Ross Barkley, 1993年12月5日 - )は、イングランドリヴァプール出身のサッカー選手プレミアリーグアストン・ヴィラFC所属。元イングランド代表。ポジションはMF

2013年にA代表デビューを飾り、2014 FIFAワールドカップのメンバーに選出された。監督やチームメイトはバークリーについて、ミヒャエル・バラックポール・ガスコインウェイン・ルーニーになぞらえている[4][5][6]

キャリア初期

11歳の時にエヴァートンのユースチームに加入し、2歳上の選手たちとプレーした。2010-11シーズンの始めに16歳でトップチームのベンチ入りメンバーに選ばれ、プレミアリーグデビューが期待されたが[7]、2010年10月に行われたU-19のイングランド代表の試合でチームメイトのアンドレ・ウィズダムと衝突し、脚を3箇所骨折した[8]

怪我から回復し、2011-12シーズンのプレシーズンの練習に参加すると、ティム・ケーヒルはこれまで一緒にプレイした選手の中で最も才能に恵まれている選手だとバークリーについて話した[9]。2011年8月20日に行われたクイーンズ・パーク・レンジャーズ戦でデビューを果たし、試合は0-1で敗れたが、マン・オブ・ザ・マッチに選出するメディアもあった[10]。シーズンの始めのバークリーのパフォーマンスは高く評価され、マーティン・キーオンはこの国の歴代最高の選手になり得る逸材だと賞賛した[11]。2011年12月には新たな4年半の契約を結んだ[12]

2012年9月14日、1ヶ月間の期限付き移籍シェフィールド・ウェンズデイに加入し[13]、同日に行われたブライトン・アンド・ホーヴ・アルビオン戦でデビューを果たした[14]。翌週に行われたボルトン・ワンダラーズ戦においてペナルティキックにより初ゴールを記録した[15]。ローン期間は延長され、エヴァートンに呼び戻されるまで13試合に出場した[16][17]。2013年1月には1ヶ月間限定でリーズ・ユナイテッドに加入し[18][19]バーンズリーとのダービーマッチでデビューを果たした[20]

エヴァートン

UEFAヨーロッパリーグディナモ・キーウ戦でプレイするバークリー(2015年)

2013-14シーズンにトップチームに戻ると開幕戦のノリッジ・シティ戦で初ゴールを挙げ、試合は2-2で引き分けたがバークリーはマン・オブ・ザ・マッチに選出された[21][22]。シーズンの前半戦はアーセナル戦とスウォンジー・シティ戦で決勝ゴールを挙げマン・オブ・ザ・マッチに選出されるなどの活躍を披露し[23]アラン・ハンセンはすべてを兼ね備えていると讃え、ゲーリー・リネカーはとてつもない才能を持ちスター選手になる素質を備えているとバークリーを賞賛した[24][25]

2014年1月4日に行われたクイーンズ・パーク・レンジャーズとのFAカップ3回戦ではFAカップにおける初ゴールとなる先制ゴールを挙げ、4-0の勝利に貢献した[26]。2014年3月25日に行われたニューカッスル・ユナイテッド戦ではハーフウェイラインから独走し、先制となるゴールを決め、チームも3-0で勝利を挙げた[27]。2014年4月18日はPFA年間最優秀若手選手賞の候補6人の内の1人に選ばれた[28]。最終的にリーグ戦では34試合に出場し、6ゴールを挙げ、2014年5月3日に行われたマンチェスター・シティ戦で記録したゴールはBBCスポーツに「超大作」と賞され、エヴァートンのゴール・オブ・ザ・シーズンに選ばれた[29][30]

2014年7月29日には2018年まで契約を延長したが[31]内側側副靱帯の損傷により2014-15シーズンは2014年10月18日に行われたアストン・ヴィラ戦まで出場することは叶わなかったが[32]、その試合ではロメル・ルカクのゴールをアシストし、3-0の勝利に貢献した[33]。2014年12月15日に行われ、3-1で勝利したクイーンズ・パーク・レンジャーズ戦でシーズン初ゴールを挙げた。

2015-16シーズンは開幕から2試合連続でゴールを記録する好スタートを切った[34]

チェルシー

2018年1月5日、エヴァートン時代に負った怪我が完治していないなか、チェルシーFCと5年半の契約を締結した[35]。背番号は名手フランク・ランパードが着用し、オスカルの移籍以降空き番号となっていた8番[36]

2018-19シーズンはマウリツィオ・サッリ監督の下で、中盤3枚の枠の中に入りリーグ戦27試合に出場した。

アストン・ヴィラ

2020年9月29日、アストン・ヴィラFCへの1年間のローン移籍が発表された[37]。2020年10月4日、ヴィラでのデビューを果たし7-2で勝利したリバプール戦で1得点を挙げ勝利に貢献、なお、ヴィラがプレミアリーグで7得点を挙げたのは1995年2月にウィンブルドンに7-1で勝利して以来、2度目となった[38]。2週間後のレスター・シティ戦では終盤にミドルシュートで決勝点を挙げ、開幕4連勝に貢献した[39]

チェルシー復帰後

2021-22シーズンはチェルシーに復帰するが公式戦14試合の出場に留まり、2022年8月29日に双方合意の元で契約を解除したことが発表された[40]

ニース

2022年9月4日、OGCニースへの加入が発表された[41]。2022-23シーズンはリーグ戦で27試合に出場したが、2023年6月9日にシーズン終了後に退団することが発表された[42]

ルートン・タウン

2023年8月9日、フリートランスファーでプレミアリーグに昇格したルートン・タウンに加入した[43]。背番号は6番。8月25日、3-0で敗れたチェルシーとのアウェー戦でルートンデビューを果たした[44]。12月5日、3-4で敗れたアーセナルとのホームゲームでルートン移籍後初ゴールを決めた[45]。チームはチャンピオンシップへ降格してしまうが、バークリーは2023-24シーズンのルートン・タウンの年間最優秀選手に選出された[46]

アストン・ヴィラ復帰

ルートンでの活躍により2024年7月1日、チャンピオンズリーグに向け中盤の補強を進めていたアストン・ヴィラへ再加入[47]。このシーズン通じ29試合に出場して4ゴール2アシストを記録した[48]

エピソード

バークリーは 1993年12月5日にマージーサイド州リヴァプール郊外のウェバーツリーで生まれた[49]。 父方の祖父がナイジェリア系の血筋を持っているが父の姓であるエファンガ(Effanga)ではなく、母親の旧姓を名乗っている[50]。 バークリーによれば、子ども時代の父親のピーターは「僕の生活に存在したり、しなかったり」の存在で、主に母親に育てられたという[51]。バークリーは「母は生活保護を受けていて、育った環境は大変でした。うちは小さな家族(母と妹の3人家族)で、フットボールは自分たちの人生を良くするための手段でした。若い頃から持てるエネルギーをすべてフットボールに注ぎました。母は、僕が同世代で一番だと信じさせてくれたんです。16歳でエヴァートンのトップチームのベンチ入りをして、母に家を買ってあげることができました。その頃から、母と妹の生活は少し良くなり、僕たちの経済的な状況も楽になりました。」と振り返っている[52]

2017年4月、バークリーはリヴァプールのナイトクラブで男に顔を2回殴られ、「無差別攻撃」の被害に遭ったと彼の代理人は述べている[53]。この事件の後、ザ・サン紙の記者ケルヴィン・マッケンジーはバークリーを「動物園のゴリラ」に例える記事を書き、これが人種差別的憎悪犯罪に該当するかどうか警察が捜査する事態となった[54]。 その後、ザ・サンは記事について謝罪し、エヴァートンはライバルであるリヴァプールに続いて、同紙の記者をエヴァートンのスタジアムとトレーニング場を出禁とした[55]

2019年9月、バークリーがタクシー内でチップス(フライドポテト)をこぼしたことをめぐって運転手と口論になり、警察が呼ばれる騒動になった。酔っていたバークリーは、運賃を支払うために現金自動支払機へと警察に連れて行かれた[56]。チェルシーの監督フランク・ランパードは、バークリーの行動は「軽率」だったとしつつも、クラブの規則を破ったわけではないため処分はしないと述べた[57]

しかし、バークリーは後のインタビューで、この外出がチャンピオンズリーグの対リール戦、前夜だったため、実際には懲罰として遠征には参加させられたものの、試合はクラブのバスの中から見るよう命じられたと明かしている[58]

2021年5月、バークリーに出場機会は無かったがヴィラがトッテナムに2-1で勝利した試合の24時間後にロンドン中心部のメイフェアホテルで友人らと泥酔している姿がSNS上で出回った。目撃者によるとバークリーは、周囲の客らと口論寸前の状況で呂律が回っておらず、ホテルの警備員によって退店を命じられていたという[59]

2022年2月からインフルエンサーのキャサリン・ピルキントンとの交際を公表しており[60]、2024年12月に第一子が誕生している[61]

2025年11月のインタビューでは、バークリーは25年の夏以来アルコールを飲んでおらず、残りの選手生活の間は飲まないつもりでいると語った[62]。「僕は夏以降、酒を飲んでいません。選手としての(残りの)キャリアの間は、アルコールを取らずに過ごすつもりです。ああいった出来事(前述のアルコールによるトラブル)は、もう起こせないような状況に身を置いているんです。僕はいまは父親なので、今は責任があります。フットボーラーとしてあと4年、5年、6年、もしくは7年できるかもしれない。その時間を最大限に生かしたいんです。アルコールは、多くの人にとって問題を生むことがある、僕はそれを今は理解しています。飲まなければ、そうした状況は起こらない。毎日、頭がクリアでいられて、精神的にも影響を受けません。飲まないことには多くのメリットがあるんです。」と語った[63]

幼い頃からのスターで自身のロールモデルとなったのエヴァートンの先輩である、ウェイン・ルーニー[64]

エヴァートンのアカデミーで同時期を過ごしたジョン・ランドストラムと仲が良く、リヴァプール郊外に住んでいたバークリーはアカデミー時代のトレーニングに「(ランドストラムの)両親に送迎してもらっていた」という[65]。なお、2025年6月のオフにはランドストラムとスペインで音楽フェスに参加しているところを目撃されている[66]

アカデミー時代にはエヴァートンのレジェンドである、ダンカン・ファーガソンにもお世話になったといい、「ダンカン・ファーガソンも何度か送迎をしてくれて、夜10時とかに家へ来て、母と一緒に紅茶を飲んでいたこともありました。」と語っている[67]

エヴァートンからの移籍を決断するのは辛かったといい、「エヴァートンでは、ファンから“スティーブン・ジェラード(長年リヴァプールで主将を務めた存在)のようになってほしい”という大きな期待がかかっていて、僕自身もそうなりたいと思っていました。でも、それが次第に自分に影響を与えるようになって、街の中では息ができないような感覚になっていったんです。」「エヴァートンに一生残りたいのか、それとも自分の“快適な場所”から抜け出す必要があるのか、自分でもよく分からなかったんです。ただ、クラブへの愛情があったから、エヴァートンを離れるときは泣きました。あのクラブは僕の人生を変えてくれたんです。ファンからの応援、父親代わりのように接してくれたスタッフ、毎日のようにキットマンの部屋に行って冗談を言い合った日々、そうしたすべての人たちの支えがあって今の自分がいる。それなのに、エヴァートンが僕の全盛期の自分をもう受け入れてもらえないという現実はつらいものでした。だから、決断しなければならなかった。」「僕が去る頃、エヴァートンは調子が落ちていたんです。あの時期は少し雰囲気も悪くなっていた。多くの選手が加入したのに上手くいかず、短期間で多くの変化が起きていて。母や妹、友人たちから離れたことは、僕が成長する助けになりました。もしエヴァートンに残っていたら、今のような成長はできなかったかもしれません。リヴァプールを離れてロンドンを歩くようになると、たまにタクシー運転手が親指を立ててくれたりしたけれど、みんな忙しそうにしていて、僕はただ街を歩き、自分だけの空間にいられたんです。」と語っている[68]

チェルシー時代を振り返ったバークリーは「チェルシーに加入したとき、毎年トップ選手を獲得するクラブだと分かっていました。それでも、ベンチにいるのは大嫌いでした。僕は”最高の自分”を出すには、チームの中で重要な存在だと感じる必要があるタイプなんです。もしベンチに置かれるなら、(監督やスタッフからの)コミュニケーションが必要です。それが全くないと、自分のベストを出すのは難しい。僕は体格が大きいので、試合に出ていないと身体への自信が失われていく。10分だけ出場して、喘息のせいで呼吸が苦しくなると、『俺はフィットしていないのか?』と不安になるんです。もちろん、中盤では常に競争があるので、時にはイライラが募ることもありました。そのフラストレーションから外出するようになり、頻繁に夜遊びするようになってしまった。溜まった不満を別のところに向けてしまったんです。だから、友人たちと夜遊びに行くことを楽しむようになってしまった。タイミングとしては最悪の形だった。」「当時はパートナーもおらず、ロンドンでは一人暮らしで、母も頻繁には来られなかったので大変でした。チェルシーに加入したとき、もっと違うアプローチ、フットボール以外の面でのプロ意識の保ち方(上手く)ができていたら、と思います。」と語っている[69]

代表経歴

U-19イングランド代表でプレイするバークリー(2012年)

祖父の1人がナイジェリア人であるため、バークリーはイングランド代表ナイジェリア代表でプレイする資格を有していたが、バークリーは生まれ育った国の代表でプレイすることを選択し[70]、U-16、U-17、U-19、U-20、U-21のユースレベルの代表を経験し、A代表にも選出されている[71]

2008年9月の14歳だった時に初めてU-16の代表に選出され[72]、2009年に開催されたモンテギュー国際大会ではキャプテンを務め、PK戦(2-1)の末にドイツ代表に勝利し、優勝を経験した[73]UEFA U-17欧州選手権2010では2ゴールを記録し、決勝でスペイン代表に2-1で勝利し、優勝を果たした[74]。2011年8月にはU-21の代表に招集され、2013年5月28日にはピーター・テイラー監督により2013 FIFA U-20ワールドカップに出場する21人のメンバーに選出された[75]。U-20代表では2013年6月16日に行われたウルグアイ代表との大会前の調整を目的とした試合でデビューを飾り[76]、2013年8月13日に行われたスコットランド代表戦でU-21代表における初ゴールを記録した[77]

2013年8月に初めてA代表に招集され[78]、翌月にウェンブリー・スタジアムで行われ、4-0で勝利した2014 FIFAワールドカップ予選モルドバ代表戦でジャック・ウィルシャーと交代で出場し、A代表デビューを果たした[79]2014 FIFAワールドカップのメンバーに選ばれ[80]、初戦のイタリア代表戦に61分からダニー・ウェルベックと交代で出場し、ワールドカップデビューを果たしたが、チームは1-2で敗れた[81]。グループリーグ3戦目のコスタリカ代表で初めてスターティングメンバーとして出場し、フル出場を果たした[82]。2015年9月5日に行われ、6-0で勝利したUEFA EURO 2016予選サンマリノ代表戦でA代表における初ゴールを記録した[83]

プレイスタイル

エヴァートンの監督であるロベルト・マルティネスはバークリーについてポール・ガスコインミヒャエル・バラックを合わせたような選手だと話した[4]。イングランド代表の監督であるロイ・ホジソンはスピードとパワーと素晴らしい技術を持っており、ポール・ガスコインを彷彿とさせると話し[5]フランク・ランパードは若い頃のウェイン・ルーニーを思い起こさせると話した[6]。当時バルセロナに所属していたチャビは2014年11月に行われたインタビューでバークリーについて、フィジカルと技術面の能力を賞賛し、プリメーラ・ディビシオンのクラブで十分にプレイできると話した。

個人成績

代表歴

出場大会

試合数

  • 国際Aマッチ 33試合 6得点(2013年-2019年)[101]
イングランド代表国際Aマッチ
出場得点
201330
201470
201592
201630
201700
201830
201984
通算336

タイトル

脚注

外部リンク

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