中村純九郎
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佐賀藩出身。佐賀藩士・中村喜三太の長男として生まれる。戊辰戦争には鍋島左馬之助配下として従軍。1874年の佐賀の乱では島義勇率いる憂国党の一員として参戦した。なお、円山公園にある札幌の街造りの基礎を築いた義勇の功績を記した『島判官紀功碑』の碑文は中村の手により書かれている。1876年、司法省法学校を修了。
1884年、参事院御用掛となる。以後、海軍省翻訳官、海軍主計学校教授、海軍教授などを歴任。さらに、台湾総督府民政局参事官、拓務省参事官、淡水税関長兼基隆税関長、札幌郵便局長などを務めた。
1907年12月、福井県知事に就任。1912年3月、広島県知事に転じた。1914年4月、北海道庁長官に就任。大凶作の対応に尽力した。
栄典
家族・親族
著作
- 編
- 『副島大使適清概略』中村純九郎、1891年。
- 訳書
- 森順正との共訳、ボアソナード『刑法草案註釈』司法省、1886年。
- クールセヱル・スヌウイユ(Courcelle-Seneuil)『法学原論』和仏法律学校、1894年。