河島醇
From Wikipedia, the free encyclopedia
薩摩藩士・河島新五郎長寛の長男として鹿児島長田町に生まれる。藩校造士館で学ぶ。戊辰戦争に従軍。明治2年(1869年)、昌平学校に入り、さらに川田甕江塾で学び、明治3年12月(1871年1-2月)にドイツへ留学し、ローレンツ・フォン・シュタインに学ぶ。
明治7年(1874年)3月に帰国。同年8月、外務省に入り八等出仕となる。9月、一等書記生に発令され、ドイツ公使館在勤を命ぜられた。さらに、露国公使館、オーストリア公使館で勤務し、明治14年(1881年)8月に帰国した。同年10月、大蔵省権大書記官となり議案局に勤務。さらに、外務権大書記官、参事院員外議官補を兼務した。
明治15年(1882年)2月から翌年8月まで、参議・伊藤博文に随行して欧州に出張し、ドイツでシュタインから行政学を学んだ。明治17年(1884年)4月、大蔵省調査局勤務となり、大蔵大書記官、欧州出張(財務事務調査)、一等主税官、大蔵省参事官などを歴任した。
明治23年(1890年)3月に退官し、同年7月、第1回衆議院議員総選挙に鹿児島県第五区から出馬し当選。その後、明治27年(1894年)9月の第4回総選挙まで連続4回当選した。その間、立憲自由党幹事などを務めた。
明治30年(1897年)6月、日本勧業銀行初代総裁に就任。その後、滋賀県・福岡県の各知事、北海道庁長官を歴任。また、明治36年(1903年)7月15日、貴族院勅選議員に任命され[1]、北海道庁長官在任中に死去するまで務めた。
