京極高数 From Wikipedia, the free encyclopedia 時代 室町時代中期生誕 不明死没 嘉吉元年6月24日(1441年7月12日)改名 高員(初名)→高数 凡例京極高数時代 室町時代中期生誕 不明死没 嘉吉元年6月24日(1441年7月12日)改名 高員(初名)→高数別名 三郎[1]墓所 滋賀県米原市の徳源院官位 従五位下[1]、左衛門尉[1]、加賀守[1]幕府 室町幕府侍所頭人兼山城守護、出雲・隠岐・飛騨守護主君 足利義教氏族 京極氏父母 父:京極高詮兄弟 高光、高数子 教久、多賀高忠テンプレートを表示 京極 高数(きょうごく たかかず)は、室町時代中期の武将・守護大名。室町幕府侍所頭人兼山城国守護、出雲国・隠岐国・飛騨国守護。 京極高詮の次男として誕生した。 応永18年(1411年)、飛騨の国司姉小路尹綱(あねがこうじ ただつな)が幕府に背いた飛騨の乱が起きると、幕府軍の総大将に任命され、越前国の朝倉氏・甲斐氏、信濃国の小笠原持長らと共に5千余りの兵を率いて鎮圧している。応永28年(1421年)から正長元年(1428年)まで侍所頭人と山城守護も務めた。 応永20年(1413年)に兄の高光が亡くなり甥の持高が跡を継ぐが、持高も永享11年(1439年)に子を残さないまま亡くなる。『薩戎記』はこの後に高数が家督を継いだとしているが、高数を当主には含めない史料も多い。 嘉吉元年(1441年)6月24日、赤松満祐が開いた酒宴に6代将軍・足利義教、諸大名・公家らと共に招かれ、宴の最中に義教が赤松氏の家臣により殺害される(嘉吉の変)。管領である細川持之をはじめ多くの諸大名が逃げ出す中で、高数はその場に残って戦い、討たれた。 京極宗家の家督は持高の弟の持清が継いだ。高数には子がおり、足利義教から偏諱(「教」の字)の授与を受けた長男の教久(のりひさ)は別家し(=京極加州家)、次男の高忠は多賀氏の家督を継いだ。 脚注 1 2 3 4 『寛政重修諸家譜』 出典 『寛政重修諸家譜』(四百十九) 『西讃府史』 『薩戎記』 『嘉吉記』 表話編歴京極氏第10代当主宗家 中世 氏信 宗綱 貞宗 宗氏 高氏 高秀 高詮 高光 持高 高数 持清 孫童子丸 政経 高清 高延 高吉 近世以降(丸亀京極家) 高次 忠高 高和 高豊 高或 高矩 高中 高朗 朗徹 高徳 高修 高晴 分家・支流 高次流分家 多度津京極家 高通 高慶 高文 高賢 高琢 高典 寿吉 高典(再襲) 高備 高量 高知流 宮津/高家京極家 高知 高広 高国 高規 高甫 高本 高厚 高以 高正 高福 豊岡京極家 高三 高直 高盛 高住 高栄 高寛 高永 高品 高有 高行 高厚 高義 高光 高忠 高晴 峰山京極家 高通 高供 高明 高之 高長 高久 高備 高倍 高鎮 高景 高富 高陳 高富(再襲) 高致 高頼 高鋭 高幸 Related Articles