旧但馬豊岡藩主・京極高厚の二男として生まれる[1][3]。父の死去に伴い家督を継承し、1906年(明治39年)1月23日、子爵を襲爵した[1][3][4]。
学習院を修了した[2][3]。1915年(大正4年)11月22日、貴族院子爵議員補欠選挙で当選し[5][6]、研究会に所属して活動し[2]、死去するまで2期在任した[2][7]。
東京市本所区本所亀沢町二丁目[3]の元旗本屋敷の自宅で関東大震災に遭遇し、向いの陸軍被服廠跡地に避難しようとしたが、長男の高光とその姉の智子を除き、一家共々落命した[8]。