俊頼髄脳
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概要
内容
評価と受容
所説が『奥儀抄』はじめ平安時代末・鎌倉時代初期の歌学および歌論書に、非常に大きな影響を与えている。俊頼髄脳を引用した諸書としては、『袋草紙』『和歌童蒙抄』『宝物集』『拾遺抄註』『散木集注』『古今集注』『袖中抄』『日本紀歌注』『和歌色葉』『六百番歌合判詞』『古来風体抄』『長明無名抄』『八雲御抄』『沙石集』『古今著聞集』など枚挙にいとまがない[3]一方、誤認・誤解がすこぶる多い[2]。
当時の和歌の役割は、貴族の社交生活の儀礼ないし遊戯として認識されていた。よって俊頼の論点も、個人の心の慰めとしての歌より、公的催しに詠まれる「晴の歌」に集中している。だから問題は、和歌のことばが一首全体のなかでどれだけ美的効果をあげられるかにある。「おほかた、歌の良しといふは、心をさきとして、珍しき節をもとめ、詞をかざり詠むべきなり(=およそ歌がよいと評価されるのは、まず詠む対象に対する感動が第一であり、その感動を表現するときは、どこかに新しい趣向を凝らし、しかも華やかに表現すべきである)」と説き、歌の詞と趣向の働きということを、具体的な例歌を引いて説明している。それまでの歌論的成果が吸収されているとともに、新しい和歌の変質の予感を微妙に示している。
歌道執心をとくが、末代の歌人について「心を先として珍しき節を求め,詞を飾り詠む」として、新たな歌風を目指すべきであると強調しており、俊頼の新風への志向が明瞭にうかがわれる[4]。