児島半島
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歴史
児島半島はかつて吉備児島(吉備兒島)と呼ばれる島であった。周辺は古代には「吉備の穴海」と呼ばれる海域で、島であった児島と本土との間には20余りの島々があった[1]。『古事記』では児島は大八島(淡路島、四国、隠岐、九州、壱岐島、対馬、佐渡島、本州)に次ぐ9番目の島として生まれたとしている[2]。
吉井川、旭川、高梁川の沖積作用により海域は次第に遠浅になり、奈良時代には小規模な干拓が始まったとされる[1]。
1585年(天正13年)の宇喜多秀家による宇喜多開墾に続き、江戸初期にかけて西阿知新田・東阿知新田が開発された[1]。この開発により1618年(元和4年)に高梁川(東高梁川)左岸堤防が児島の西北端に達したことで島は陸続きとなり児島半島が誕生した[1]。
