村上義雄
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熊本藩士・平塚孫四郎の二男として生まれ、同藩士・村上壺溪の養子となる。1874年(明治7年)、東京府十等出仕となる。1882年(明治15年)、参事院議官補に転じ、以後、高知県大書記官、内務省書記官、県治局次長、長野県・広島県の各書記官、新潟県内務部長などを歴任。
1893年(明治26年)から1896年(明治29年)まで徳島県知事を務める。同年8月、台湾総督府に転じ、台中県知事に就任。1898年(明治31年)5月、新竹県知事兼台北県知事となり、1901年(明治34年)1月に台北県が廃止されるまで務めた。
1902年(明治35年)から1910年(明治43年)まで石川県知事に在任。1910年12月3日、錦鶏間祗候に任じられた[1]。1917年1月22日、官幣大社生國魂神社宮司に就任し、錦鶏間祗候は消滅した[2]。その後、八千代生命保険監査役を務めた。
