入矢義高
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- 出生から修学期
1910年、鹿児島県鹿児島市で英語教師・入矢祐雲の長男として生まれた。1928年、福岡県立小倉中学校を卒業。1932年に福岡高等学校を卒業し、京都帝国大学に進学。ドイツ文学を専攻したいと考えていたが、父の意向で中国文学へと転向し、倉石武四郎の指導を受けた。1936年、京都大学文学部文学科を卒業。
- 漢学研究者として(戦前)
卒業後は、広島県立中学(旧制)の教員となり、県立呉第一中学校に勤務。しかし、1939年、東方研究所(現:京都大学人文科学研究所)助手となった。中国文学の口語研究を進め、特に禅籍における中世期の口語中国語研究を考究した。1944年、北京へ留学。
- 太平洋戦争後
1948年、東方文化研究所が京都大学に包摂されることに伴い、京都大学人文科学研究所所属となった。1949年、同研究所助教授に昇任。1955年、名古屋大学文学部教授を兼任し、人文科学研究所教授に昇任。1964年、ハンブルク大学客員教授も務めた。1968年、名古屋大学文学部学部長を務めた。1970年、京都大学文学部教授も兼任。1974年に京都大学を退官(1995年より名誉教授)。同年より、花園大学嘱託教授を兼任。1977年に名古屋大学も退任し、名誉教授となった。同年4月からは京都産業大学外国語学部教授となった。1982年、花園大学嘱託教授も退任し、客員教授となった。