八つ松

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八つ松
名古屋市道境松線(2023年(令和5年)5月)
名古屋市道境松線
(2023年(令和5年)5月)
八つ松の位置(愛知県内)
八つ松
八つ松
八つ松の位置
八つ松の位置(名古屋市内)
八つ松
八つ松
八つ松 (名古屋市)
北緯35度4分38.3秒 東経136度59分3.3秒 / 北緯35.077306度 東経136.984250度 / 35.077306; 136.984250
日本の旗 日本
都道府県 愛知県
市町村 名古屋市
緑区
支所 徳重支所
町名制定[1] 2003年(平成15年)9月27日
面積
  合計 0.189451637 km2
人口
2019年(平成31年)3月1日現在)[3]
  合計 1,773人
  密度 9,400人/km2
等時帯 UTC+9 (日本標準時)
郵便番号
458-0810[4]
市外局番 052(名古屋MA[5]
ナンバープレート 名古屋
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八つ松(やつまつ)は、愛知県名古屋市緑区の地名。現行行政地名は八つ松一丁目及び八つ松二丁目。住居表示未実施[6]

名古屋市緑区東部に位置し、大清水大清水西鎌倉台砂田尾崎山と接する。

歴史

愛知郡相原村字八ツ松を前身とする[7]。後述の通り、当地には古くから往還が通っていたが、人が居住するようになったのは比較的歴史が浅い。

鎌倉時代に鎌倉往還が整備され、八つ松東公園付近には猿投古窯群の古窯NA301号窯(尾山池古窯)が鎌倉時代から室町時代にかけて建造された[8]

字八ツ松の最初の開墾者は1840年1860年の間に居住した「本多家」、「伊藤家」、「荒木家」であり、本多家は相原郷から、伊藤家は尾張西部から、荒木家は港区稲永方面からそれぞれ水害の影響で移住したと伝わる[7]

明治18年時点での世帯数は5世帯であった。昭和初期までは養蚕業が盛んであったが、戦後に農業経営が比較して立ち遅れたため、伊藤勘太郎氏が八ツ松にブドウを導入し、推奨した[7]

前述したNA301号窯の通称名尾山池古窯は、現在の八つ松東公園及び調節地に存在した「オヤマ池」の東岸にあったことに由来する[9]。オヤマ池は天保十2年の相原村絵図に「ナルミ池」とあり、明治20年の文書には「八つ松池」と記載されていた[9]

地名の由来

鳴海町小字名「八ツ松」による。当地にかつて鎌倉街道が通っており、街道沿いの8本の良いが人々の目に留まったことで「八ツ松」と呼ばれたという[10]

地名は江戸前期から確認でき、『寛文村々覚書』に「鳴海村...八ツ松山」とある。

行政区画の変遷

  • 2003年(平成15年)9月27日 - 緑区鳴海町(字大清水・砂田・八ツ松の各一部)より、八つ松一丁目が成立[1]
  • 2010年(平成22年)11月6日 - 緑区鳴海町(字八ツ松の一部)より八つ松二丁目が成立し、一部が八つ松一丁目になる[11]

世帯数と人口

2019年(平成31年)3月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[3]

丁目世帯数人口
八つ松一丁目 398世帯 1,111人
八つ松二丁目 218世帯 662人
616世帯 1,773人

人口の変遷

国勢調査による人口の推移

2005年(平成17年) 348人[12]
2010年(平成22年) 341人[13]
2015年(平成27年) 1,562人[14]

学区

市立小・中学校に通う場合、学校等は以下の通りとなる[15]。また、公立高等学校に通う場合の学区は以下の通りとなる[16]

丁目番・番地等小学校中学校高等学校
八つ松一丁目全域名古屋市立大清水小学校名古屋市立鎌倉台中学校尾張学区
八つ松二丁目全域

施設

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Maps: terms of use
300 m
2
1
略地図
1
八ツ松西公園
2
八ツ尾八幡社

その他

日本郵便

脚注

参考文献

関連項目

外部リンク

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