弘化4年(1847年)11月14日、加賀藩家老前田外記孝備の嫡男として生まれる。安政4年(1857年)、本家当主前田孝中の死去により、その末期養子として、家督と知行1万8000石を相続する。慶応4年(1868年)、北越戦争の際、加賀藩の陣地に梅田弾次郎と変名を使って兵の督励に現れたが、陣地に長岡藩側からの銃撃があると慌てて逃げ去った。明治維新後、名を豊と改める。
明治21年(1888年)1月5日死去。享年42。家督は嫡男孝が相続し、明治33年(1900年)父孝敬の明治維新への功績により男爵に叙され華族となった。