前田知頼
日本の江戸時代前期~中期の武士。加賀藩重臣前田知臣の子で、前田修理家4代当主。若年寄・家老・小松城代を歴任
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生涯
寛文2年(1662年)、加賀藩重臣前田知臣の子として生まれる。生家の前田修理家は、前田利家の三男修理知好を初代とする家で(知好は一族の前田利好の名跡を継いでいる)、加賀三前田の一つ。延宝5年(1677年)、父の死去により家督と遺領のうち5,000石を相続する。元禄15年(1702年)、北野天満宮菅原道真公800年祭の代拝を務める[1]。宝永2年(1705年)に若年寄、宝永4年(1707年)に家老となる。享保元年(1716年)、小松城代を兼ねる。1,000石の加増を受けて知行6,000石となる。享保12年(1727年)、梅鉢紋の使用を許可される。元文2年(1737年)、娘が大槻伝蔵(朝元)に嫁ぐ。元文4年(1739年)、隠居して家督を頼久に譲る。
寛保2年(1742年)3月19日死去。享年81。
娘婿の大槻伝蔵は、藩主前田吉徳に重用されるも、吉徳の死後失脚し、延享2年(1745年)に五箇山へ流罪となり、配所で自害した。縁者である頼久も遠慮の処分を受けた。
演じた俳優
参考文献
- 「加能郷土辞彙」[要文献特定詳細情報]