前田利興

日本の江戸時代中期の大名・棋士。越中富山藩2代藩主前田正甫次男で、富山藩3代藩主。従四位下長門守 From Wikipedia, the free encyclopedia

前田 利興(まえだ としおき)は、越中富山藩の第3代藩主。

時代 江戸時代中期
改名 万徳丸(幼名)、利興
概要 凡例前田利興, 時代 ...
 
前田利興
時代 江戸時代中期
生誕 延宝6年5月27日1678年7月15日
死没 享保18年5月19日1733年6月30日
改名 万徳丸(幼名)、利興
別名 主膳(別名)
戒名 安詳院殿青山日高大居士
墓所 富山県富山市長岡の長岡御廟
官位 従四位下、長門
幕府 江戸幕府
主君 徳川綱吉家宣家継吉宗
越中富山藩
氏族 加賀前田氏
父母 父:前田正甫、母:須磨(加藤氏)
兄弟 主税、利興、帯子、采女、利由、蘭子、逸子、利隆、空眠、家子、満子、利郷、為子、利寛
正室:富紀前田利直の娘)
側室:木村氏
亀千代
養子:利隆
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生涯

延宝6年(1678年)5月27日、第2代藩主・前田正甫の次男として富山で生まれる。宝永3年(1706年)に父が死去したため、家督を相続する。藩主となってから財政再建を主とした藩政改革に着手し、60名の藩士のリストラ年貢連帯責任制の強化、奢侈禁止令の実施、タバコ醤油などの流通統制などを行なったが、正徳3年(1713年)の増上寺の手伝い普請をはじめ、正徳4年(1714年)の富山城本丸の焼失、享保8年(1723年)の富山城石垣普請などの出費で1万7000石の借財を作るなどしたことから、効果はなかった。

享保9年(1724年)に、土蔵に籠居するなどの行動をとったため藩内が動揺し、隠居の上で家督を実弟で養子の利隆に譲ることとなった。享保18年(1733年)5月19日に死去した。享年56。

富山の名産として知られる鱒寿司は、利興が家臣の吉村新八から献上されたものを、将軍徳川吉宗に献上したのが起源であると伝承されている。また、利興は将棋を愛好したようであり、『将棊図彙考鑑』に初段として掲載されている。

系譜


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