寛文3年(1663年)、孝貞の子として生まれる。寛文10年(1670年)、8歳で藩主前田綱紀に御目見する。天和3年(1683年)、21歳の時に新知3000石を賜り出仕した。元禄10年(1697年)、父孝貞の隠居により家督と2万1000石の知行を相続する。若年寄、年寄見習、大年寄(大老)、人持組頭を歴任する。宝永元年(1704年)、従五位下、美作守に叙任する。正徳元年(1711年)、公儀御用(宗門方御触)、金沢城代を兼任する。享保6年(1721年)9月14日没。享年59。戒名は長祥院殿前作州刺史従五位下宝山源寿大居士。
家督は嫡男孝資が相続し、末男の孝覩は2500石の分知を受け分家した。正徳4年(1714年)、娘の誠は藩主綱紀の養女として三条西公福に嫁いだ。公福は享保16年(1731年)から武家伝奏を務め、元文5年(1740年)には大納言に叙された。