加藤祐司
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- 1965年、1964年の東京オリンピックの公式記録映画『東京オリンピック (映画)』をきっかけに映画に興味を抱く。
- 1973年、宮城県仙台第二高等学校に進学。
- 1977年、2年間弱フランスに遊学。主にヴァンダンジュ(vendange)等のアルバイトに勤しむ。
- 1980年、東京芸術大学美術学部芸術学科に進学。通学と並行して映画脚本を執筆。
- 1983年、映画製作会社ディレクターズ・カンパニーのシナリオ公募コンクールに映画脚本『台風クラブ』を応募し、準入選[1][2]。
- 1984年、東京芸術大学美術学部芸術学科を卒業。同大学大学院美術学部修士課程に進学。同年、『台風クラブ』の映画化が決まり相米慎二監督と会う。映画の撮影開始。現場に同行し、撮影の手伝いや相米監督の求めに応じた台詞の加筆などを行う。
- 1985年、脚本家デビュー。映画『台風クラブ』で第40回毎日映画コンクールスタッフ部門脚本賞を受賞[3]。映画『台風クラブ』は同コンクールにおいて作品部門日本映画優秀賞[3]を、第1回東京国際映画祭においてヤングシネマ部門大賞を受賞[4]。同年、映画『台風クラブ』が一般公開される。以後、映画やテレビドラマの脚本を執筆。
- 1986年、東京芸術大学大学院美術学部修士課程を中退。
- 1987年、テレビディレクターデビュー。以後、シナリオ執筆の傍らドキュメンタリー番組等の作品を演出。