深作健太
From Wikipedia, the free encyclopedia
| ふかさく けんた 深作 健太 | |||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 本名 | 同じ | ||||||||||
| 生年月日 | 1972年9月15日(53歳) | ||||||||||
| 出生地 |
| ||||||||||
| 職業 |
映画監督 演出家 脚本家 | ||||||||||
| ジャンル |
映画 演劇 テレビドラマ | ||||||||||
| 活動期間 | 1995年 - | ||||||||||
| 著名な家族 |
深作欣二(父) 中原早苗(母) 藤尾純(祖父) 南部雪枝(祖母) | ||||||||||
| 主な作品 | |||||||||||
|
映画 『バトル・ロワイアルII 【鎮魂歌】』 『スケバン刑事 コードネーム=麻宮サキ』 『XX(エクスクロス) 魔境伝説』 テレビドラマ 『黒い報告書シリーズ』 | |||||||||||
| |||||||||||
深作 健太(ふかさく けんた、1972年9月15日 - )は、日本の映画監督・演出家・脚本家。
東京都出身。成城大学文芸学部卒業。父は映画監督の深作欣二[1][2]、母は女優の中原早苗、祖父(早苗の父)は俳優の藤尾純。名前の由来は、中原によると、俳優の今井健二が名付け親で健は高倉健、太は菅原文太から取った[3]。
5歳の時、父・欣二に連れられ、映画『柳生一族の陰謀』、『宇宙からのメッセージ』が撮影されていた東映京都撮影所へ行った[4][5]。欣二を慕う役者たちの存在は父への尊敬を膨らまし、「ケン坊、これ終わったら次は宇宙人の役やでえ」と声かけられ、「何とおもしろい世界だろうか」と思っていた[4][5]。幼い頃から遊んでくれた千葉真一や真田広之がスクリーンの中で輝いていたことに感動し、ふだんの姿と役柄の違いを「裏側から楽しむ」ようになり、映画に惹かれていく[4][5]。
大学卒業後、清掃会社に就職[1]。その後、フリーの助監督として東映テレビ・プロダクションでスーパー戦隊シリーズ、映画『身も心も』(97)、『時雨の記』(98)、「おもちゃ』(98)などの作品につく[1]。
脚本、プロデュースを担当していた『バトル・ロワイアルII 【鎮魂歌】』の撮影開始直後に監督である父の欣二が入院、翌2003年初頭に死去したため、その後の監督を引き継ぎ完成させた[1]。そのため実質的に『バトル・ロワイアルII 【鎮魂歌】』が深作健太作品となり、監督第1作となる。
早稲田大学教授の石原千秋は、成城大学勤務時代の教え子だった深作について、「彼は横光利一『上海』に色を感じると書いて、レポートに24色の色鉛筆を駆使した奇妙な物語展開図を付表として付けてきた。さっぱりわからなかったので、敬意を払って90点を付けた。翌年の卒業論文は「悦(よろこ)びの王権」と題する谷崎潤一郎『細雪』論だった。副査の教員が「修士論文でも十分通用する」と感嘆したほどの出来だった。僕は教員として「わからないものにはとりあえず1票」という姿勢を採ることにしている。」と述べている[6]。
近年では演劇やオペラ、テレビドラマの演出にも、活動の場を広げている。
受賞
- 『バトル・ロワイアル』 第24回日本アカデミー賞優秀脚本賞、第20回藤本賞新人賞受賞
- 『バトル・ロワイアルII 【鎮魂歌】』 第58回毎日映画コンクール脚本賞受賞