厳島神社 (横浜市中区)
横浜市中区羽衣町にある神社
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歴史
1859年の開港に伴って1860年に元町へ移転させられる以前の横浜村の人家は、谷戸坂方面から北西へ伸びる洲干島(しゅうかんじま)などと呼ばれた砂州上に位置しており、洲干島の先端(現在の横浜市新市庁舎付近)に鎮座していた鎮守は洲干弁天社と称した。
創建は治承年間で、源頼朝が伊豆国土肥(現・静岡県伊豆市)から勧進したと伝えられる。 足利氏満は般若心経を奉納、太田道灌は社殿を再建、徳川家光は朱印地を与えている。
浜辺の松林で覆われた境内は対岸の神奈川宿台町からの眺望十五景の一つ(「洲干雪」)にも数えられるほどの景勝地であった。
また境内には瓢箪池があり、清水が湧き出たため「清水弁天」とも、また所在地から「横浜弁天」とも呼ばれた。敷地は南は太田町5丁目、北は南仲通5丁目、東は弁天通5丁目、西は海岸で寄州になっており、1万2千坪という広々とした場所であった。今の神奈川県立歴史博物館(横浜正金銀行本店跡)のあたりに一の鳥居があった。鳥居は四の鳥居まで存在していたとされる。開港後、門前が弁天通として整備された。
秀閑寺という別当寺を有したが廃絶、慶安年間以降は元町1丁目の増徳院が別当になった。元禄年中この元町の増徳院境内に仮殿を造営し、上之宮杉山弁天と唱え、平日はご神体をここに奉安して置き、本社には前立のご神体のみを置いて下之宮清水弁天と呼んだ。
1869年に街区拡張のため、現在地の羽衣町に移転して厳島神社と改称。
境内社
- 銭洗弁天社
- 豊受稲荷神社
祭事・年中行事
所在地・交通
備考
関連文献
- 斎藤長秋 編「巻之二 天璇之部 横浜弁財天社」『江戸名所図会』 一、有朋堂書店、1927年、560-561頁。NDLJP:1174130/286。
