塘路駅
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駅名の由来

国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)(現・地図・空中写真閲覧サービス)の空中写真を基に作成
- 1927年(昭和2年)9月15日:鉄道省釧網本線釧路駅[注 1] - 標茶駅間開業に伴い開業(一般駅)[2][3]。
- 1947年(昭和22年)9月23日:構内灯火類が電化され、同日よりガス灯に替わって電灯点灯開始[4]。
- 1953年(昭和28年)1月31日:駅舎を改築する[5][3]。
- 1973年(昭和48年)2月5日:貨物の取り扱いを廃止[3]。
- 1984年(昭和59年)2月1日:荷物の取り扱いを廃止する[6][7]。
- 1986年(昭和61年)11月1日:釧網本線の合理化により、駅員無配置(簡易委託駅)となる[7][8]。
- 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化に伴い、北海道旅客鉄道(JR北海道)に継承される[9]。
- 1991年(平成3年):同年公開の映画「仔鹿物語」の撮影に当駅を使用[10]。
- 1992年(平成4年)4月1日:簡易委託が廃止され、無人駅となる。
- 1998年(平成10年)
- 7月1日:同日の「くしろ湿原ノロッコ号」への新車両(50系51形改造車、通称510系客車)投入および折り返し作業簡素化、増発に合わせ、次のように改修[新聞 1][11][12][7]。
- 既存のログハウス駅舎(釧路湿原・細岡)に合わせて駅外装をログハウス風に改装し同日リニューアルオープン。旧事務室を改修し、軽食喫茶「ノロッコ & 8001」開業。
- 東釧路方場内信号機を改修し、東釧路方から2番線(上り本線)だけでなく1番線(下り本線)に直接入線可能とした(1番線から網走方への出発は引き続き不可)。
- 2番線(上り本線)東釧路方に出発信号機を新設し、2番線到着時にも1番線への転線を伴わず東釧路方へ直接折り返し可能とした。
- これらと機回し不要の制御客車の導入により入替作業が不要となり、ノロッコ号を従来の1日1往復から最大4往復まで運転可能とした[注 2]。
- 7月9日:駅隣接地に「ミニエゾシカ公園」開業[7][11]。
- 7月1日:同日の「くしろ湿原ノロッコ号」への新車両(50系51形改造車、通称510系客車)投入および折り返し作業簡素化、増発に合わせ、次のように改修[新聞 1][11][12][7]。
- 2007年(平成19年)10月1日:駅番号を設定 (B58) [JR北 1]。
→詳細は「塘路湖」を参照
所在地名より。
駅構造
相対式ホーム2面2線をもつ地上駅である。駅本屋側の1番線が下り本線(釧路方面)、対向の2番線が上り本線(網走方面)であるが、信号装置上東釧路方からは1番線・2番線双方へ入線可能、2番線は下り方面への出発も可能となっており、当駅から釧路方面への折り返し運転(主に「くしろ湿原ノロッコ号」を想定)に対応している[11]。かつては副本線および貨物ホームを有していた[13]。釧路駅管理の無人駅。
駅舎は1953年(昭和28年)に改築されて以来のものであるが[5]、1998年(平成10年)にログハウスを模した外観に改修されており[新聞 1]、旧事務室部分には喫茶店「ノロッコ & 8001」が入居している[13][10][新聞 2]。
のりば
| 番線 | 路線 | 方向 | 行先 | 備考 |
|---|---|---|---|---|
| 1 | ■釧網本線 | 下り | 釧路方面 | 当駅始発列車の発着にも対応[11] |
| 2 | 信号の上では可能[11] | |||
| 上り | 摩周・網走方面 |
- 駅舎内(2025年2月24日)
- ホーム(2018年9月)
- 構内踏切(2018年9月)
- 駅名標(2018年9月)
利用状況
乗車人員の推移は以下のとおり。年間の値のみ判明している年については、当該年度の日数で除した値を括弧書きで1日平均欄に示す。乗降人員のみが判明している場合は、1/2した値を括弧書きで記した。
また、「JR調査」については、当該の年度を最終年とする過去5年間の各調査日における平均である。
| 年度 | 乗車人員 | 出典 | 備考 | ||
|---|---|---|---|---|---|
| 年間 | 1日平均 | JR調査 | |||
| 1973年(昭和48年) | 52,868 | (144.8) | [14] | ||
| 1974年(昭和49年) | 49,602 | (135.9) | |||
| 1975年(昭和50年) | 44,558 | (121.7) | |||
| 1976年(昭和51年) | 42,443 | (116.3) | |||
| 1977年(昭和52年) | 38,878 | (106.5) | |||
| 1978年(昭和53年) | 35,906 | (98.4) | |||
| 1979年(昭和54年) | 32,675 | (89.3) | |||
| 1980年(昭和55年) | 30,066 | (82.4) | |||
| 1981年(昭和56年) | 26,933 | (73.8) | |||
| 1982年(昭和57年) | 28,305 | (77.5) | |||
| 1983年(昭和58年) | 26,471 | (72.3) | |||
| 1984年(昭和59年) | 24,290 | (66.5) | |||
| 1985年(昭和60年) | 25,185 | (69.0) | |||
| 1986年(昭和61年) | 26,280 | (72.0) | |||
| 1987年(昭和62年) | 13,140 | (35.9) | |||
| 1988年(昭和63年) | 9,150 | (25.1) | |||
| 1989年(平成元年) | 8,030 | (22.0) | |||
| 1990年(平成2年) | 6,400 | (17.5) | |||
| 1991年(平成3年) | 4,325 | (11.8) | |||
| 1992年(平成4年) | 4,917 | (13.5) | |||
| 1993年(平成5年) | 6,696 | (18.3) | |||
| 1994年(平成6年) | 7,300 | (20.0) | |||
| 1995年(平成7年) | 4,758 | (13.0) | |||
| 2016年(平成28年) | 5.4 | [JR北 2] | |||
| 2017年(平成29年) | 5.2 | [JR北 3] | |||
| 2018年(平成30年) | 5.2 | [JR北 4] | |||
| 2019年(令和元年) | 5.6 | [JR北 5] | |||
| 2020年(令和2年) | 4.8 | [JR北 6] | |||
| 2021年(令和3年) | 4.8 | [JR北 7] | |||
| 2022年(令和4年) | 5.8 | [JR北 8] | |||
| 2023年(令和5年) | 4.8 | [JR北 9] | |||
| 2024年(令和6年) | 5.8 | [JR北 10] | |||
