奥尻島分屯基地
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沿革
1945年の敗戦に伴い、アメリカ軍第5空軍によって航空機管制や防空を目的としたレーダーサイトが全国各地に逐次整備されていった。1950年6月の朝鮮戦争勃発以降、日本のレーダーサイトは第5空軍隷下の第314航空師団によって本格的な固定レーダーサイトとして全国で整備され、運用されていく。奥尻島では三沢基地に所在する第39航空師団によって、29番サイトとして整備が進められ、1952年に運用が開始された(道内の16番サイト江差と30番サイト留萌が奥尻島に統合された)。1954年、航空自衛隊の創設により、航空自衛隊北部訓練航空警戒隊(9001部隊)は、第39航空師団からの防空体制の引き継ぎのため要員を第5軍に訓練のために派遣し、その後、各レーダーサイトで現地の米軍要員から実務訓練を受けさせた[1][2]。
1959年、北部航空警戒管制群(現:北部航空警戒管制団;北部訓練航空警戒隊から改編)第29警戒群の先遣隊が奥尻島に駐屯した[2][3][4]。1960年までにアメリカ軍から自衛隊に業務の移管が完了した[1]。
1991年3月30日、警戒資料群第3収集隊が編成され、奥尻島分屯地に配備される。
1993年(平成5年)7月12日、北海道南西沖地震が発生した。奥尻島分屯基地では、地震発生直後ただちに近傍災害派遣を発令し、北海道本土からの救援部隊が到着する前に、崩壊したホテルでの救出活動や、青苗地区での消火・救助活動に従事すると共に、負傷者に対しての医療支援・食料提供等を実施した。この地震でレーダーサイトが損傷したため、復旧するまでの間E-2C早期警戒機による防空支援が実施された[5]。
2000年3月31日、第29警戒群が第29警戒隊に改編される。
2001年3月27日、警戒資料群が廃止され、電波情報収集群第3収集隊に改編される。
