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学園都市

人口で大学関係者が多く占めている都市 From Wikipedia, the free encyclopedia

学園都市(がくえんとし、英:college town, university town)とは、大学およびそれに関連する文化が町(または都市)の性格を支配的に規定する地方自治体を指す語である。多くの場合、学生人口が当該コミュニティ人口の20%を占めることを特徴とする。なお、大都市圏の一部を成すコミュニティ(しばしば「学生街」と呼ばれる)は含まない[1]。

イングランド・オックスフォードのハイ・ストリート。学園都市の典型例である。同市には単一の中心キャンパスは存在せず、大学の建物は商店の合間に市内各所へ点在しており、写真中央右にもその一部が見える。
ニューハンプシャー州ハノーバーのメイン・ストリート。アイビー・リーグのダートマス大学を擁する。

当該大学が大規模である場合もあれば、リベラル・アーツ・カレッジなどの小規模な高等教育機関が複数集積する場合、あるいは定住人口が小さい場合もある。いずれにせよ教育機関の存在が経済・社会生活の隅々にまで浸透していることから、そのように呼称される。

地域住民の多くが大学に雇用され(大学がコミュニティ最大の雇用主となることが多い)、多くの事業者が主として大学を顧客とし、学生人口が地元住民の人口を上回る場合もある。

特徴

フィンランド・北サヴォ県のクオピオ。東フィンランド大学およびサヴォニア応用科学大学(英語版)を擁する。

欧州において学園都市は、概して古い大学を有することを特徴とする。都市の経済は大学活動と密接に結びつき、大学病院・診療所、印刷所、図書館、研究所・実験施設、ビジネスインキュベーター、学生宿舎、食堂、学生組合、学生団体、学術的行事・祝祭など、大学の全体的な組織によって強く支えられる。

さらに、都市の歴史と大学の歴史はしばしば深く絡み合う。欧州の多くの学園都市は、科学と教育の重要拠点であるのみならず、何世紀にもわたり政治・文化・社会の影響力の中心として機能してきた[2]。オックスフォード、ケンブリッジ、セント・アンドルーズ、ダラムといった学園都市では、都心部が物理的にも機能的にも大学に支配され、その結果として町は大学と同一視されるに至っている。歴史的な学園都市の多くでは大学の周囲に町が成長したが、ダラムは大学が町の中心部を「植民地化」した例としてしばしば言及される[3]。

米国では、ランドグラント大学の多くが農業教育と研究を提供するという歴史的使命ゆえに学園都市に立地している。これらの町では、コミュニティに強い「スクール・プライド」の伝統が見られ、住民の多くが大学に勤務し、スクールカラーを身につけ、10万人以上の観客を集めることのある大学アメリカンフットボールの試合などの学校イベントに参加する。例として、ジョージア州アセンズ(ジョージア大学)やペンシルベニア州ユニバーシティ・パーク(英語版) (ペンシルベニア州立大学)が挙げられる[要出典]。

高度教育を受けた流動性の高い人口に加え、典型的な学園都市には非伝統的なライフスタイルやサブカルチャーに属する人々が多く、一般に非慣習的な事柄への寛容度が高い。また音楽・文化が非常に活発である。技術研究や革新的ベンチャー企業の拠点となった町も多い。起業支援センターを備える大学は、ミュンヘン[4]やボストン[要出典]といった大都市にも、トリエステ[5]やノースカロライナ州ダーラム[要出典]といった小都市にも所在しうる。小規模な学園都市でも、大学とその資源によりスピンオフ企業が立ち上げられ、支援されることがしばしばある[要出典]。

発展

イングランドのダラム(ダラム大学がある)は、「世界の都市の中で相対的な学生人口が最も高い部類に属する」とされ、人口の64%が学生である[6]。

欧州の大半では、中世大学は学園都市ではなく主要な都市部で発展・創設された。もっとも、イタリアのシエナ、ドイツのテュービンゲン、イングランドのケンブリッジのような例外も存在する。

これに対し米国では、都市の成長に先立って大学の発展が進み、多くの大学創設者は(オックスフォードやケンブリッジのモデルに倣い)都市部から離れた場所に設置することを選んだ。ただし、ハーバード大学を擁するマサチューセッツ州ケンブリッジのように、その後の都市圏拡大によって学園都市が取り込まれた例もある。米国における学園都市の成長を促したもう一つの要因は、経済発展を望む町が大学誘致のために現金や土地の寄付を競ったことである[7]。

このような歴史的経緯の結果、古典的な欧州の学園都市では大学の建物が都心部の複数地点に分散して立地するのに対し、米国の大学町では大学の建物が都市とは区別されたキャンパスに集中的に配置される傾向がある[3][8]。したがって、オックスフォード、ケンブリッジ、ダラムなど歴史的な欧州の学園都市では学生居住区が都心部周辺に形成される一方、ニューヨーク州イサカなど米国の学園都市では都心部の外側、キャンパス近傍に形成される[6][9]。

学術研究の対象となった米国および英国の大学町の例として、ニューヨーク州イサカとイングランドのダラムが挙げられる。両市は規模が近く、2021年時点でダラムの連続市街地およびイサカの都市地域の人口はいずれも5万~6万人の範囲にある[10][11]。また、いずれも19世紀に創設された主要大学を擁し、学生数は2万人を超える。

イサカは比較的新しい建設都市で、1790年にアメリカ独立戦争の退役軍人を対象として指定された「ミリタリー・トラクト」によって入植が始まった[12]。対照的に、ダラムは10世紀に成立した古い司教座都市である。同地の司教座によって1832年に大学が創設され、イングランドで3番目に古い大学となった。イサカのコーネル大学が市中心部の東にキャンパスを展開したのとは異なり、ダラム大学は20世紀半ばまでは主として市中心部、すなわちパレス・グリーン(英語版)およびザ・ベイリー(英語版)周辺に所在し、その後、エルヴェット(英語版)地区やその南方の丘陵地へ拡張した。

1980年代半ばのイサカのカレッジタウン。

イサカにおいて学生居住の主要地区は、コーネル大学キャンパスの南西に位置するカレッジタウンと、キャンパス西側のギリシャ・ハウジング地区(フラタニティ・ソロリティ住宅街(英語版))である。これらの地区は、1868年の大学開学当時は未開発であった。

カレッジタウンは、米国における他の学生賃貸地区と同様に、学生需要に応じて発展し、19世紀末から20世紀初頭にかけて安価な下宿屋や民間寮が建設された。カレッジタウンは学生需要に特化した独自の中心商業地区も形成した。第二次世界大戦後、他の米国大学と同様にコーネル大学の学生数は急増し、1940年から1965年の間にほぼ倍増した。これによりカレッジタウンはさらに発展し、下宿屋はアパートへと転換し、キャンパスから最も離れた地区に建てられていた多くの家族住宅も学生向けに改装された。同地区は荒廃も進み、1969年には全面的な解体案を含む複数の再開発計画が提示された。しかし、実質的な変化が生じたのは、1980年代にコーネル大学がカレッジタウンの事業に投資してからであり、キャンパス近傍では旧来の住宅が「寮とアパートの中間のような」大型の学生向け集合住宅に置き換わった。他方、キャンパスから遠い地区では、大型住宅を区画分割してアパート化した形態が残り、学生数の継続的増加によって学生賃貸区域の外縁は拡大し、西はイサカ中心部へ、東はブライアント・パークへと広がった[9]。

ブリティッシュコロンビア州カムループスの学園都市において、トンプソン・リバーズ大学は主要雇用主である。

ダラム大学では、1980年代まではほぼすべての学生が町中の賃貸ではなくカレッジに居住していたが、その後の大学の拡大がカレッジ宿泊施設の増加を上回り、多くの学生が周辺地区、特にエルヴェットおよび鉄道高架橋周辺のヴァイアダクト(英語版)地区で民間賃貸に移行した[6]。

イサカのカレッジタウンが学生人口の受け皿として新たに造成されたのとは異なり、これらの地区はもともと長い歴史を持つ住宅地であった。エルヴェットは12世紀末から13世紀初頭にかけて勅許を受けた古代自治区(英語版)であり[13]、学生向けに転用された住宅の多くは旧公営住宅(カウンシルハウス(英語版))であった[6]。一方、ヴァイアダクト地区は19世紀に形成されたヴィクトリア朝のテラスハウス街である[14]。

ダラムの鉄道高架橋の下に連なるテラスハウス。現在は主として学生の賃貸住宅として占められている。

1990年代以降、これらの地区は学生入居が一段と進み、2022年までの25~30年の間に1,800戸超が学生向け賃貸へ転用され、通りによっては学生入居率が100%に達した。ダラムカウンティ評議会(英語版)は2014年に学生住宅政策を導入し、2016年以降は一戸建てから複数入居者用住宅(英語版)への転用に計画許可を義務づけたが、広く「遅きに失した不十分な措置」と受け止められた[6]。評議会はまた、市場の圧力緩和のため、市内における学生専用設計住宅の整備を促進し、民間による最初の学生専用設計住宅はユナイト・スチューデンツ(英語版)が建設した施設で、2012年にエルヴェットで開業した。市中心部の小売店舗も私設学生寮へ転用された。しかし、複数入居者用住宅に対する需要はなお増加を続け、市内の他地区でも学生居住が広がり、特にジャイルズゲート(英語版)では2014年から2022年にかけて学生向け賃料が大幅に上昇した[6]。

伝統的に学生が居住してこなかった地域に大規模な学生人口が流入し、地元住民が押し出される過程は、学生化として知られる。20世紀末から21世紀初頭にかけて、大学の入学者数がキャンパス内住宅の拡張能力を上回る速度で増加したため、学園都市や大都市の大学地区において顕著に見られる現象である。これはジェントリフィケーションの一形態と認識されうるが、一方で、学生の消費が多様な部門で地域経済を活性化し、学生人口の存在が自治体のマーケティングにおいて国際的・コスモポリタンなイメージの発信を可能にするなどの利益ももたらしうる[6]。

学生化は主として大都市における学生街の文脈で指摘されてきた語であり、その用語自体は2002年にイングランドのリーズに関して初めて用いられた。しかし、ダラムはより小規模な大学町における学生化の例を提供している[6]。

タウン・ガウン関係

ミシガン大学を擁するミシガン州アナーバー。

企業城下町の場合と同様に、規模が大きくかつ流動性の高い学生人口は、他の住民と対立を生じさせうる。学生は域外から転入し、地元住民と異なる社会経済的階層に属する場合があり、緊張を高める要因となる。学生人口の人口学的特性の違いは学校の閉鎖を招くことがあり、一戸建ての複数入居者用住宅への転用は手頃な住宅の供給を減少させうる。

経済面では、大学および学生の総体としての購買力の高さが、地域水準を上回る生活費の高騰をもたらす可能性がある[15][16]。他方で、小規模な学園都市では、教職員が勤務外でも頻繁に交流することにより、より結束の強い学術コミュニティが形成され、ワーク・ライフ・バランスの向上につながる場合がある[17]。

日本の事例

「学園都市」の名を掲げる例
研究学園都市など"研究"を含む例
「学園都市」の名を掲げないものの関係機関の集積がみられ学園都市とみなされうる例
文教地区

「学園都市」構想

類似概念

名称に「学園都市」もしくは「研究学園」を含むもの

駅
学校
公園
都市下水路

フィクション

関連項目

脚注

外部リンク

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