安藤正裕

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カタカナ アンドウ マサヒロ
ラテン文字 ANDO Masahiro
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1972-04-02) 1972年4月2日(53歳)
安藤 正裕
名前
カタカナ アンドウ マサヒロ
ラテン文字 ANDO Masahiro
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1972-04-02) 1972年4月2日(53歳)
出身地 埼玉県坂戸市
身長 176cm
体重 67kg
選手情報
ポジション DF / MF
利き足 右足
ユース
1988-1990 日本の旗 越生高校
1991-1994 日本の旗 国士舘大学
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1995-1999 日本の旗 清水エスパルス 115 (6)
1999-2000 日本の旗 ジュビロ磐田 4 (0)
2000 日本の旗 横浜F・マリノス (loan) 7 (0)
2001 日本の旗 大宮アルディージャ 44 (5)
2002 日本の旗 ガンバ大阪 2 (0)
2002 日本の旗 ベガルタ仙台 12 (0)
2003-2005 日本の旗 大宮アルディージャ 84 (4)
2003 日本の旗 京都パープルサンガ (loan) 3 (0)
通算 271 (25)
代表歴2
1999[1] 日本の旗 日本 1 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。2003年12月31日現在。
2. 1999年7月2日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

安藤 正裕(あんどう まさひろ、1972年4月2日 - )は、埼玉県坂戸市出身の元サッカー選手。ポジションはミッドフィルダーディフェンダー。元日本代表。

高校2年生までは無名の存在であったが、3年時の1990年に埼玉県選抜に選出され国民体育大会で優勝した経験を持つ。国士舘大学を経て、1995年に清水エスパルスに加入。2年目の1996年からレギュラーのポジションを射止める。日本代表にも選ばれ、1999年7月2日のコパ・アメリカパラグアイ戦にフル出場した。同じポジションの市川大祐が台頭した1999年には出番が激減し、10月には同県内のライバル、ジュビロ磐田へと移籍[2]チャンピオンシップでは古巣の清水と対戦し、第一戦の中山雅史の先制ゴールをアシストすると、守備でも同年のJリーグMVPに輝いたアレックスを抑え込み、磐田に年間優勝のタイトルをもたらした。2000年6月より横浜F・マリノスに期限付き移籍[3]

2001年、大宮アルディージャに移籍。2002年、ガンバ大阪に移籍[4]。2002年9月にベガルタ仙台に完全移籍[5]

2003年、大宮アルディージャに完全移籍[6]。2003年10月からは期限付き移籍で京都パープルサンガに所属[7]、翌年大宮に復帰し[7]、キャプテンを務めた[8]

2005年限りで大宮アルディージャから戦力外通告を受け[9]、2006年4月1日に現役引退が発表された[10]

プレースタイル

右サイドのスペシャリストで、スピードのある攻め上がりと精度の高いクロスを得意とする。[要出典]

所属クラブ

個人成績

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
1994国士大---1010
1995清水-J70-0070
199630016030490
199733226030412
19983025150403
1999J116231-193
磐田3440003070
2000150000-00
横浜FM1270100080
2001大宮29J24452010475
2002G大阪6J12010-30
仙台351200020140
2003大宮8J2363--363
京都J130001040
2004大宮J2441-20461
2005J140000040
通算日本J1 14763221701968
日本J2 124920301299
日本 --1010
総通算 2711534221032617

その他の公式戦

タイトル

チーム

清水エスパルス
ジュビロ磐田

代表歴

試合数

  • 国際Aマッチ 1試合 0得点(1999)[1]
日本代表国際Aマッチ
出場得点
199910
通算 10

出場

No.開催日開催都市スタジアム対戦相手結果監督大会
1.1999年07月02日パラグアイの旗 アスンシオンエスタディオ・ディフェンソーレス・デル・チャコ パラグアイ●0-4フィリップ・トルシエコパ・アメリカ1999

出典

関連項目

外部リンク

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