川口能活

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カタカナ カワグチ ヨシカツ
ラテン文字 KAWAGUCHI Yoshikatsu
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1975-08-15) 1975年8月15日(50歳)
川口 能活
名前
カタカナ カワグチ ヨシカツ
ラテン文字 KAWAGUCHI Yoshikatsu
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1975-08-15) 1975年8月15日(50歳)
出身地 静岡県富士市
身長 180cm[1][注 1]
体重 77kg
選手情報
ポジション GK
利き足 右足
ユース
0000-1987 日本の旗 天間小サッカー少年団(天間小SS)
1988-1990 日本の旗 東海大第一中学校
1991-1993 日本の旗 清水商業高校
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1994-2001 日本の旗 横浜マリノス / 横浜F・マリノス 193 (0)
2001-2003 イングランドの旗 ポーツマスFC 12 (0)
2003-2004 デンマークの旗 FCノアシェラン 8 (0)
2005-2013 日本の旗 ジュビロ磐田 228 (0)
2014-2015 日本の旗 FC岐阜 43 (0)
2016-2018 日本の旗 SC相模原 43 (0)
通算 527 (0)
代表歴2
1995-1996  日本 U-23 3 (0)
1997-2010[3] 日本の旗 日本 116 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。2018年12月2日現在。
2. 2010年5月21日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

川口 能活(かわぐち よしかつ、1975年8月15日 - )は、静岡県富士市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。スポーツ科学者。現役時代のポジションゴールキーパー(GK)。元日本代表

学位修士スポーツ科学)(早稲田大学2023年[4]

FIFAコンフェデレーションズカップ2001ベストイレブン、AFCアジアカップ2004ベストイレブンなどの受賞歴を持つ。国際Aマッチ出場数は日本代表歴代3位、同ゴールキーパー歴代1位の116試合を記録[5]。4大会連続でFIFAワールドカップメンバーに選出されている(1998年 W杯フランス大会2002年 W杯日韓大会2006年W杯 ドイツ大会2010年W杯 南アフリカ大会)。オシムジャパン、岡田ジャパンでは主将を務めた[6]。 2016年にJFA B級コーチライセンスとゴールキーパーC級コーチの資格を取得すると、日本代表等のGKコーチとして日本代表を裏で支えている。 2022年には日本代表等のGKコーチを退任し、古巣ジュビロ磐田のトップチームでGKコーチとして帰還した。

プロ入り前

サッカー漫画『キャプテン翼』の影響や兄の薦めから9歳でサッカーを始め、富士市立天間小学校時代は富士市内のサッカースポーツ少年団でプレーした。当初はポジションを転々としたが、小学校4年生から本格的にGKに専念する[7]

1988年東海大学第一中学校に入学。在学中に3年連続で全国中学校サッカー大会出場を経験し、2年時・3年時の2度、大会優秀選手に選出された[8]

1991年清水市立商業高等学校(現静岡市立清水桜が丘高等学校)に入学。 1年生時からレギュラーとして試合に出場した[9] 第70回全国高等学校サッカー選手権大会望月重良平野孝らと共に出場し、前園真聖を擁する鹿児島実業に1-2で敗れ3回戦で敗退した。

2年生時は出場はならなかったが、翌年の第72回全国高等学校サッカー選手権大会に出場。 田中誠小川雅己佐藤由紀彦安永聡太郎鈴木悟ら後のJリーガーを多く擁するチームを、キャプテンとして率いた。 予選から準々決勝まで11試合連続無失点を記録すると[10]、準決勝で城彰二を擁する鹿児島実業高校と再び対戦。 試合は2-2でPK戦にもつれ込むが、鹿児島実業4人目の藤崎義孝を川口がセーブして5-4で制した。 決勝戦では前年度王者の長崎県立国見高等学校と対戦し、2-1で勝利。 5年ぶり3回目の選手権優勝を果たした。

クラブ経歴

横浜マリノス/横浜F・マリノス時代

1994年横浜マリノスに加入。当時、マリノスには日本代表GK松永成立が在籍していたが、松永の出場停止で浦上壮史が先発出場した試合で、初めてリザーブとして公式戦でベンチ入りした。2年目の1995年シーズン途中に、監督のホルヘ・ソラリとヘッドコーチの早野宏史が若手の川口を正GKに抜擢。これにより、4月26日第11節柏レイソル戦でJリーグ初出場を果たした。初出場で浮足立ったプレーもあったがゴールを守り、無失点で勝利した。この後もポジションを確保し、この年のNICOSシリーズは全試合出場。

7月19日に優勝が懸かったサントリーシリーズ第25節清水エスパルス戦で、1-2でリードされた後半ロスタイム、コーナーキックのチャンスでゴール前に上がりヘディングシュートをするもののゴールポストに当たり得点にはならなかった。この試合には敗れたもののチームは1stステージ優勝を経験し、1995年度のチャンピオンシップヴェルディ川崎を下し年間優勝。自身も初タイトルとなる、Jリーグ新人王を獲得した。

ポーツマスFC時代

2001年10月21日イングランドフットボールリーグ・チャンピオンシップ(2部)に所属するポーツマスFCへ移籍し、日本人GKとして初の欧州移籍を果たした。移籍金180万ポンド(当時のレートで3億円)は、ポーツマス史上最高額(当時)であった[11][12]。これにより10月20日の2ndステージ第10節セレッソ大阪戦がマリノスでのラストゲームになった。

新天地でのデビューは11月3日のリーグ戦第8節シェフィールドW戦で、チームは3-2で勝利した。また、2002年1月4日に行われたレイトン・オリエントFC戦で日本人選手として初めてFAカップに出場した。

2001-02シーズンはリーグ戦11試合に出場したが、レギュラー確保には至らなかった。2002年にはウェストハム・ユナイテッドFCからトリニダード・トバゴ代表シャカ・ヒスロップが加入したこともあって、シーズンの大半をリザーブリーグで過ごす。イングランドでの2年目は1試合の出場にとどまり、プレミアリーグ(1部)に昇格した2003-04シーズンは出場機会を完全に失った。結局、2002-03シーズンに途中出場した2003年5月4日第44節ブラッドフォード・シティAFC[13] がポーツマスでの最後の試合となり、プレミアリーグでは出場できなかった。

FCノアシェラン時代

試合の出場機会を求め、2003年9月4日デンマークFCノアシェランに移籍。10月5日SASリーガ第11節ヘアフュルエBK英語版戦にてスーペルリーガ公式戦に初出場した。しかし、後にデンマーク代表にも名を連ねたキム・クリステンセン英語版にポジションを奪われ、2004年4月12日第25節ヴィボーFF戦以降出場機会はなかった。

ジュビロ磐田時代

2005年にノアシェランから地元・静岡県のチームであるジュビロ磐田へ移籍。同年4月10日のJ1第4節FC東京戦で、約4年ぶりにJリーグ公式戦に出場した[14]

2006年は全34試合に出場し、Jリーグベストイレブンに選ばれた[15]

2008年5月10日の第12節アルビレックス新潟戦(東北電力スタジアム)で史上32人目、GKとしては史上3人目のJ1通算300試合出場を達成[16]。しかしこの年チームは終始低迷し、残留のかかった最終節の大宮アルディージャ戦も敗れて16位でシーズンを終えた。12月13日、J2・3位のベガルタ仙台とのJ1・J2入れ替え戦第2戦では、後半24分の平瀬智行のループ気味のヘディングをセーブ[17][18]、後半ロスタイムでの顔面でのセーブ[19] などの働きを見せ、磐田のJ1残留に貢献した。

2009年バーレーン遠征中の1月24日に右脹脛を負傷。肉離れと診断され、Jリーグ開幕戦の出場は微妙と報道されていたが[20]、開幕戦に間に合わせた。しかし守備の乱れなどもあり、モンテディオ山形戦(2-6@ヤマハ)、第2節ガンバ大阪戦(1-4@万博)の2試合で計10失点を喫し、更に第6節清水エスパルス戦まで5試合勝利がなく、その後失点は減ったものの波に乗り切れず低空飛行が続いた。9月19日、第26節京都サンガF.C.戦でFW金成勇と接触した際に右脛骨骨幹部骨折で負傷、右脛骨骨幹部骨折により全治6ヶ月と診断され[21] 離脱。残りのシーズンを棒に振ることとなった。

2010年序盤はリハビリのためベンチ入りすらなかったが、自身も代表に選出された南アフリカW杯後の8月7日、第17節山形戦(0-1)で約1年ぶりに公式戦に復帰した。この年はリーグ戦17試合に出場。リーグ戦こそ前年同様序盤の出遅れもあって2年連続で11位に留まったものの、第32節では敵地で鹿島アントラーズ相手に好セーブを連発して8年ぶりの勝利を挙げた。ナビスコカップでは決勝トーナメント4試合に出場し、9年ぶりの決勝進出。決勝のサンフレッチェ広島戦では槙野智章のPKを止めるなど好プレーを披露し、12年ぶりの優勝を達成した(なお、この優勝が磐田にとっては7年ぶりのタイトルだった)。

2011年8月3日に行われたスルガ銀行チャンピオンシップでは、2-2で迎えたPK戦で2人目と3人目を止めて優勝に導いた。また5年ぶりに全34試合にフル出場し、順位も4年ぶりに1桁(8位)を記録した。

2012年3月10日コンサドーレ札幌との開幕戦で史上3人目のJ1通算100完封を達成した[22]。続く3月17日サガン鳥栖戦では史上8人目のJ1通算400試合出場を達成した[23]。しかし、3月22日の練習中に右アキレス腱を断裂。全治6ヶ月と診断され、長期離脱となってしまった[24]。その後、12月15日の天皇杯4回戦・鹿島戦にて約9カ月ぶりに公式戦に復帰するも、チームは逆転負けを喫した[25]

2013年シーズンはチームの成績低迷の影響もあり徐々に出場機会を失い、8月10日第20節サンフレッチェ広島戦(1-2@Eスタ)以降はスターティングメンバーから外れるようになる。8月31日第24節ヴァンフォーレ甲府戦(1-1@ヤマハ)では5試合ぶりに復帰するが、その後のリーグ戦での出場はなく、以降は腰痛の影響もあり登録メンバーから外れることもあった。最終節となる12月7日の大分トリニータ戦(3-1@ヤマハ)で久々の出場を果たし、9試合ぶりの勝利に貢献するが、翌年のJ2降格が決定しているチームからの契約期間満了の通達により、この試合をもってジュビロ磐田での最終ゲームとなり、9年間在籍したチームを去ることになった[26]

FC岐阜時代

2014年1月17日、J2に所属するFC岐阜へ移籍[27]。同年リーグ戦37試合に出場した。

2015年1月15日、FC岐阜が15年シーズンの契約を更新したことを発表[28]。同年より背番号が22から1に変更される[29]。2015年シーズンはプロ入り後初のひざの故障に悩まされ[30]、第7節の東京ヴェルディ戦を最後に長期離脱。同年11月14日カマタマーレ讃岐戦で7か月ぶりにベンチ入り。リーグ最終節のアビスパ福岡戦で約7か月半ぶりにスタメン出場を果たした[31]

同年11月27日、FC岐阜は契約満了により川口の契約更新を行わないことを発表し、退団することとなった[32]

SC相模原時代

2016年にJ3所属のSC相模原に完全移籍した[33]。3月の開幕直前に左足首を負傷したが、同年5月8日の第8節ブラウブリッツ秋田戦に出場してJ3初出場[34]。2017年11月19日、第32節のFC東京U-23戦で通算500試合に出場した。

2018年11月にシーズン終了と共に現役引退することをクラブが発表した[1]。引退の理由は「日本サッカーに、自分が選手としてではなくて、違った形で貢献したいという思いが強くなって、それで引退する覚悟を決めました」と引退会見で話している[35]。12月2日、現役最後の試合となったJ3最終節の鹿児島ユナイテッドFC戦では、キャプテンマークを巻いてスタメンで出場、無失点でチームの勝利に貢献した[36]。試合後に行われた引退セレモニーでは、ライバルだった楢﨑正剛が花束を持ってサプライズで登場した[37]。楢﨑も翌年1月に引退を発表し、3月2日に行われた楢﨑の引退セレモニーでは、逆に川口がサプライズで花束を持って登場した[38]

代表経歴

1994年2月2日マレーシア国際トーナメント、U-23マレーシア代表戦に初出場を果たす。以降U-23サッカー日本代表としてアトランタオリンピック予選に正GKとして出場し、メキシコオリンピック以来となる28年ぶりのオリンピック出場に貢献する。その後、オリンピックのサッカー競技・日本代表選手のメンバーに選出される。

1996年7月22日アトランタオリンピック1次リーグ第1戦、ロナウドリバウドといった錚々たる面々を揃えたブラジル代表と対戦。防戦一方の展開の中、素早い飛び出しと堅い守備で相手の攻撃を凌ぎ、28本にも及ぶシュートを無失点に抑え込む。ブラジル相手に1-0の完封勝利を収めた大波乱の立役者として大きく賞賛された(マイアミの奇跡も参照)。ブラジルの代表監督マリオ・ザガロは「日本のGKは素晴らしかった」と語っている[39]。チームはグループリーグを2勝1敗で終えるも3位となり決勝トーナメント進出を逃す。

1996年8月25日ウルグアイ戦に、当時監督の加茂周によりフル代表へ初招集される[40]1997年2月13日、キングスカップスウェーデン戦において国際Aマッチ初出場を果たし[3]、以降はコンスタントに出場機会を増やしていく。フランスW杯・アジア最終予選の全試合に唯一出場し、特に苦戦を強いられたアウェー戦での活躍が光り、9月19日アブダビでのUAE戦では劣勢の状況の中、相手を無失点に封じ込め勝ち点1をもたらした。日本のサッカーの歴史に深く刻まれる“ジョホールバルの歓喜”でも2失点はしたが、安定した守備を披露し歴史的な場面に立ち会った。

1998 FIFAワールドカップのメンバーに選出され、初戦のアルゼンチン戦では相手の23本のシュートを1失点のみで抑え、敗れたものの善戦した。その後のクロアチア戦(0-1)、ジャマイカ戦(1-2)でも奮闘するが敗れグループリーグ敗退となった。

フランスワールドカップ後に監督に就任したフィリップ・トルシエの下では、楢﨑正剛の台頭もあり徐々に出場機会が減り、2000年シドニーオリンピックの代表からも外れた。しかし、出番が回ってきたAFCアジアカップ2000ではグループリーグの1試合を除く全試合に出場。決勝のサウジアラビア戦では完封勝利し優勝に貢献した。

FIFAコンフェデレーションズカップ2001には正GKとして出場。グループリーグではカナダ戦とカメルーン戦の2試合に出場し、何れも完封勝利を収める。カメルーン代表監督のルシャントルは試合後「GKの並外れた実力を前に、我々はチャンスを阻まれてしまった」と語った[39]。準決勝のオーストラリア戦では、豪雨に見舞われる難しい環境下での一戦となったが、大会を通じての4試合連続完封を成し遂げる。フランスとの決勝戦ではパトリック・ヴィエラに決勝点となる1点を許し、敗戦を喫した。日本代表は準優勝を収め、自身は同大会のベストイレブンに選出された。その後は海外移籍による出場機会の激減で試合勘など不満の残る状況が続き、コンディションが整わない日々が続いた。自国開催の2002 FIFAワールドカップでは代表に選ばれたものの出場機会は無かった。

日韓W杯後にジーコが監督に就任してからも控えの立場が続き、FIFAコンフェデレーションズカップ2003のメンバーに選出されるが出場機会は無かったが、AFCアジアカップ2004では全6試合に出場[5]。決勝トーナメント準々決勝のヨルダン戦、1-1のまま縺れ込んだPK戦ではいずれも入れられたら敗退が決まる状況で2本のシュート(3回終了時1-3)を阻止する。結果的にヨルダンは3人成功後4人連続で失敗し、日本の逆転勝利となった。ホスト国中国との決勝戦でも大会で披露した好調ぶりを発揮し、チームは2大会連続3度目優勝を果たす。自身もアジアカップ2004 ベストイレブンのタイトルを獲得。同大会ではシュート阻止率94.0%を記録した(サッカー解析システム「opta(オプタ)」より)[41]

FIFAコンフェデレーションズカップ2005は国内組として出場。初戦となるメキシコ戦は1-2で敗れるが、続くギリシャ戦は無失点に抑えて1-0で勝利する。第三戦のブラジル戦では2点を先取される展開となったが、その後は得点を許さず、後半にはフアンが放った至近距離のシュートを顔面で阻止する気迫のセーブを見せる。その影響で一時的に脳震盪を患うが[42][43]、その後もプレーを続け、日本は2点ビハインドから2点を取り返し引き分けに持ち込んだが、グループリーグ1勝1敗1分の3位で終え決勝トーナメント進出を逃した。

2006年、自身3度目となるワールドカップのメンバーに選ばれ全3試合に出場。初戦のオーストラリア戦は相手の再三の攻撃を凌ぐも、スローインへの飛び出しから同点にされ[44]、終盤に3失点を喫して1-3で敗れた。第2戦のクロアチア戦では、キックに定評があるダリヨ・スルナのPKを止め勝ち点1を呼び込んだ(0-0)。このプレーによって、ワールドカップでPKを止めた史上20人目のGKとして名を残した[45][46]。またドイツ紙は川口に対し「何度も止めた英雄」と絶賛した[47]。第3戦のブラジル戦では、次々に放たれる21本のシュートを浴び4失点を喫するも孤軍奮闘の守りを見せたが、1-4で敗戦。しかし英メディアはブラジルの猛攻を再三好セーブで凌いだ川口を絶賛し[48]、ブラジルメディアも好セーブを連発した川口を高く評価した[49][50]。チームはグループリーグ2敗1分けで決勝トーナメント進出を逃したが、自身はFIFAが選定した「グループリーグ敗退国ベストイレブン」の控えGKに選ばれた[51]。また、ブラジル戦で前半ジュニーニョ・ペルナンブカーノのミドルシュートを止めたセーブが「2006 FIFAワールドカップスーパーセーブベスト10」ランキングの6位に選ばれた。

ドイツワールドカップ後にイビチャ・オシムが監督に就任して以降は、キャプテンに指名されると共に背番号1を与えられた。2007年3月24日キリンチャレンジカップペルー戦で国際Aマッチ100試合出場を達成[52]。自身3度目となるアジアカップには正GKとして全試合出場した。決勝トーナメント準々決勝のオーストラリア戦では、1-1で延長戦も終了し引き続き行われたPK戦では1番手のハリー・キューウェル、2番手のルーカス・ニールを連続で阻止する活躍を見せ4-3で勝利した[53]。しかし、準決勝のサウジアラビア戦では2-3で敗戦。3位決定戦の韓国戦ではまたしてもPK戦にもつれたが5-6で敗戦し、3連覇は成らなかった。

2008年3月26日に行われた2010 FIFAワールドカップ・アジア3次予選のアウェーバーレーン戦で、相手のセンタリングのボールを捌ききれず失点し、この試合を最後に約4年守っていた正GKのポジションを剥奪されたが、11月13日シリア戦では楢﨑の負傷により国際Aマッチ11試合ぶりとなる出場を果たした(3-1で勝利)[54][55]。その後の2010 FIFAワールドカップ・アジア最終予選カタール戦では完封勝利を果たす(3-0)[56]2009年1月20日AFCアジアカップ2011・最終予選イエメンには欠場したが、1月28日のバーレーン戦では出場濃厚だったものの練習中に右脹脛を負傷[57][58]。欠場となった。

3月19日にはコンディション不調と所属する磐田の不振により、3月28日の2010 FIFAワールドカップ・アジア最終予選のバーレーン戦での招集が見送られた。怪我以外で代表メンバーから外れたのは4年4か月ぶりだった[59]。さらに9月19日の第26節京都戦で相手選手と接触し、右脛骨骨幹部骨折で全治6か月の大けがを負った[60]

2010年5月10日の南アフリカワールドカップに向けた最終メンバー発表までJリーグの公式戦に出場していなかったが、代表監督の岡田武史からチームキャプテンとしての役割を求められ2010 FIFAワールドカップの代表メンバーに選出された[61][62]。本大会で出場機会は無かったがまとめ役としてチームに貢献[63]、岡田から賞賛を受けた[64]

引退後

2019年2月、有望な若手選手を育成するナショナルトレーニングセンターのGKコーチに就任する事が発表された[65]。5月29日には、6月に行われるU-18日本代表のポルトガル合宿に、GKコーチとして参加する事が発表された[66][67]

2019年10月24日に開催されたJリーグ理事会において同年開催のJリーグアウォーズJリーグ功労選手賞の授与が決定した[68]

2020年3月、日本サッカー協会に「アスリート委員会」が新設され、川口は委員長に就任した[69]

2022年1月、U-19日本代表のGKコーチに就任[70]

2023年シーズンから古巣ジュビロ磐田のトップチームGKコーチに就任した[71]

プレースタイル

キャプテンシーに優れ、逆境に立たされた際に存在感を発揮するプレイヤー[72]。しばしば「炎の守護神」[31][73][74]、「魂の守護神」[75] と表現される。

ゴールキーパーとしては小柄な体格であるが、飛び抜けた瞬発力と集中力、判断力の良さを持ち[76]、ゴール前での飛び出しと俊敏な反応を武器としている[77]。 大舞台に強いメンタルの強さも長所と言われており[78]、実際に重要な国際試合では何度も神懸かり的な活躍を見せてきた[79]。特にペナルティーキックでの勝負強さには定評があり、川口がPKを行うときの周りの雰囲気・キッカーの動きを予測するここ一番の集中力は奇跡と称される[80][81]中村俊輔は「能活さんとのPK戦は、どこに蹴っても届きそうな気がするし、読まれている気がする」「蹴る前から『あ、ここだと反応されそう』という画が、頭によぎってしまう。その時点で、こっちはゾーンに入れない。もし決まったとしても、それは“たまたま”に過ぎなくて、勝負は負けているんです。能活さんはキーパーなのにゲームを勝たせる力がある。これって絶対に抜きんでた力がないとできない。0-2、0-3で負けてもおかしくないゲームを1-0で勝ったとしたら、絶対にキーパーの力。能活さんには、そういう試合がありすぎる」と述べている[82]

重心を低く保ち、コンパクトな前傾姿勢が特徴的である[83]

ロングキックを得意とする[84]。マリノス時代から得意としていたが、ノアシェランで更に磨きをかけた[84]。カウンターでも狙う相手によっては球種を変えており、スピードを持つ選手には速いボール、高さ、強さのある選手には受けやすいボールを蹴り分けている[84]

評価

  • ラモス瑠偉は川口について「日本の宝。キーパーとしてNO.1だと思っている。プロフェッショナル意識を持っているし、他の選手たちからも尊敬されている」と語っている[85]

人物

  • 地元である富士市富士山には深い思い入れがある[86][87]
  • 横浜F・マリノス時代にチームメイトであった中村俊輔のフリーキック練習に遅くまで付き合うことも少なくなく、中村からは度々感謝されている[88]
  • 海外志向が強く、1999年1月、当時はセリエAでもトップクラスのチームであったパルマのトレーニングに4日間、練習生として参加、練習生としての扱いではなく、チームの一員の様に扱われ、紅白戦にも出場するなど、大いに刺激を受けたという[89]
  • 2023年12月17日に行われた中村俊輔の引退試合に参加。中村にフリーキックを決められたが、GKながらヘディングで得点を決めた[90]
  • 楢﨑正剛とはライバル関係にあり[77][91][92]、メディアからは新人の頃から比較され続けた。日本代表の練習中に2人が話していると、報道陣がざわつくこともあり[92]、代表合宿でのハイボール処理の特訓においての川口と楢﨑の対決では、その気迫にチームメイトも足を止める一幕もあった(結果は12戦中9勝2敗1分)[91]。川口自身は楢﨑との関係について「普通」と語っており、楢﨑も「全然普通」と賛同している[92]
  • マリノス時代やオリンピックや日韓W杯でチームメイトだった松田直樹とは、シーズンオフに一緒に練習していた。川口は松田の事を“戦友”と言っている[93]。また、松田が心筋梗塞で亡くなる日の前日(2011年8月3日)に行われたスルガ銀行チャンピオンシップ2011で、PK戦で2本止めて優勝した。試合後のインタビューでは「マツが力を貸してくれた。あいつも今、闘っている最中。僕も負けられないと思いました。」と答えていた[94]
  • ホセ・ルイス・チラベルトを尊敬する[39]
  • 現役時代はベスト体重の維持の為1日5度体重計に乗り、100グラム単位まで気を使っていた[39]。この他食事はもちろん、睡眠時間の確保にも気を使っていたため、現役時代を「常に張り詰めた生活」と述べている[95]。引退後の2018年12月13日に「プロサッカークラブをつくろう!ロード・トゥ・ワールド」のメディア発表会に登場した際には前日にレモンケーキ[96] を食べたということを明かし、「甘い物っておいしいですね」とコメントしている[95]

私生活

所属クラブ

ユース経歴
プロ経歴

個人成績

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
1994横浜M/
横浜FM
-J00000000
19954100020430
199615013000280
199712200020240
19983400010350
1999J12806020360
20002805030360
200125070-320
イングランド リーグ戦 FLカップFAカップ 期間通算
2001-02ポーツマス37FLC1100010120
2002-032910000010
2003-04-プレミア00000000
デンマーク リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
2003-04ノアシェラン30SASリーガ8010-90
2004-050000-00
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2005磐田1J12901030330
20063403010380
20073203010360
20083301000340
20092604000300
20101704010220
20113403010380
201220001030
20132101010230
2014岐阜22J2370-00370
2015160-0060
2016相模原23J3190--190
20171180--180
201860--60
通算日本J1 42105101904910
日本J2 430-00430
日本J3 430-00430
イングランドプレミア 00--00
イングランドFLC 1200010130
デンマークSASリーガ 80100090
総通算 54605202005990

その他の公式戦

国際大会個人成績
年度クラブ背番号出場得点
UEFAUEFA EL
2003-04ノアシェラン3010
AFCACL
2005磐田110
通算UEFA 10
通算AFC 10

その他の国際公式戦

代表歴

主な出場大会

試合数

日本代表国際Aマッチ
出場得点
1997210
199890
199930
200080
200190
200220
200320
2004110
2005140
2006190
2007120
200860
201000
通算 1160
サッカー五輪代表
出場得点
199480
1995150
1996130
通算 360

出場

No.開催日開催都市スタジアム対戦相手結果監督大会
1.1997年02月13日タイ王国の旗バンコク スウェーデン●0-1加茂周キングスカップ
2.1997年03月15日タイ王国の旗バンコク タイ●1-3国際親善試合
3.1997年03月23日オマーンの旗マスカット オマーン○1-0ワールドカップ予選
4.1997年03月25日オマーンの旗マスカット マカオ○10-0ワールドカップ予選
5.1997年03月27日オマーンの旗マスカット ネパール○6-0ワールドカップ予選
6.1997年05月21日日本の旗東京都国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 韓国△1-1ワールドカップ記念試合
7.1997年06月08日日本の旗東京都国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 クロアチア○4-3キリンカップ
8.1997年06月15日日本の旗大阪府長居陸上競技場 トルコ○1-0キリンカップ
9.1997年06月22日日本の旗東京都国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 マカオ○10-0ワールドカップ予選
10.1997年06月25日日本の旗東京都国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 ネパール○3-0ワールドカップ予選
11.1997年06月28日日本の旗東京都国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 オマーン△1-1ワールドカップ予選
12.1997年08月13日日本の旗大阪府長居陸上競技場 ブラジル●0-3国際親善試合
13.1997年09月07日日本の旗東京都国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 ウズベキスタン○6-3ワールドカップ予選
14.1997年09月19日アラブ首長国連邦の旗アブダビ アラブ首長国連邦△0-0ワールドカップ予選
15.1997年09月28日日本の旗東京都国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 韓国●1-2ワールドカップ予選
16.1997年10月04日カザフスタンの旗アルマトイ カザフスタン△1-1ワールドカップ予選
17.1997年10月11日ウズベキスタンの旗タシケント ウズベキスタン△1-1岡田武史ワールドカップ予選
18.1997年10月26日日本の旗東京都国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 アラブ首長国連邦△1-1ワールドカップ予選
19.1997年11月01日大韓民国の旗ソウル 韓国○2-0ワールドカップ予選
20.1997年11月08日日本の旗東京都国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 カザフスタン○5-1ワールドカップ予選
21.1997年11月16日マレーシアの旗ジョホールバル イラン○3-2(延長V)ワールドカップ予選
22.1998年03月07日日本の旗東京都国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 中華人民共和国●0-2ダイナスティカップ
23.1998年04月01日大韓民国の旗ソウル 韓国●1-2ワールドカップ記念試合
24.1998年05月17日日本の旗東京都国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 パラグアイ△1-1キリンカップ
25.1998年05月24日日本の旗神奈川県横浜国際総合競技場 チェコ△0-0キリンカップ
26.1998年06月03日スイスの旗ローザンヌ ユーゴスラビア●0-1国際親善試合
27.1998年06月14日フランスの旗トゥールーズ アルゼンチン●0-1ワールドカップ
28.1998年06月20日フランスの旗ナント クロアチア●0-1ワールドカップ
29.1998年06月26日フランスの旗リヨン ジャマイカ●1-2ワールドカップ
30.1998年10月28日日本の旗大阪府長居陸上競技場 エジプト○1-0フィリップ・トルシエキリンチャレンジ
31.1999年06月03日日本の旗東京都国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 ベルギー△0-0キリンカップ
32.1999年07月02日パラグアイの旗アスンシオン パラグアイ●0-4コパ・アメリカ
33.1999年09月08日日本の旗神奈川県横浜国際総合競技場 イラン△1-1キリンチャレンジ
34.2000年02月13日マカオの旗マカオ シンガポール○3-0アジアカップ予選
35.2000年02月16日マカオの旗マカオ ブルネイ○9-0アジアカップ予選
36.2000年06月06日モロッコの旗カサブランカ ジャマイカ○4-0ハッサン2世杯
37.2000年10月14日レバノンの旗サイダ サウジアラビア○4-1アジアカップ
38.2000年10月17日レバノンの旗サイダ ウズベキスタン○8-1アジアカップ
39.2000年10月24日レバノンの旗ベイルート イラク○4-1アジアカップ
40.2000年10月26日レバノンの旗ベイルート 中華人民共和国○3-2アジアカップ
41.2000年10月29日レバノンの旗ベイルート サウジアラビア○1-0アジアカップ
42.2001年04月25日スペインの旗コルドバ スペイン●0-1国際親善試合
43.2001年05月31日日本の旗新潟県新潟スタジアム カナダ○3-0コンフェデレーションカップ
44.2001年06月02日日本の旗新潟県新潟スタジアム カメルーン○2-0コンフェデレーションカップ
45.2001年06月07日日本の旗神奈川県横浜国際総合競技場 オーストラリア○1-0コンフェデレーションカップ
46.2001年06月10日日本の旗神奈川県横浜国際総合競技場 フランス●0-1コンフェデレーションカップ
47.2001年07月01日日本の旗北海道札幌ドーム パラグアイ○2-0キリンカップ
48.2001年07月04日日本の旗大分県大分スポーツ公園総合競技場 ユーゴスラビア○1-0キリンカップ
49.2001年08月15日日本の旗静岡県静岡県小笠山総合運動公園スタジアム オーストラリア○3-0AFC/OFCチャレンジカップ
50.2001年10月07日イングランドの旗サザンプトン ナイジェリア△2-2国際親善試合
51.2002年03月27日ポーランドの旗ウッジ ポーランド○2-0国際親善試合
52.2002年05月14日ノルウェーの旗オスロ ノルウェー●0-3国際親善試合
53.2003年03月28日日本の旗東京都国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 ウルグアイ△2-2ジーコ国際親善試合
54.2003年10月11日ルーマニアの旗ブカレスト ルーマニア△1-1国際親善試合
55.2004年06月09日日本の旗埼玉県埼玉スタジアム2002 インド○7-0ワールドカップ予選
56.2004年07月09日日本の旗広島県広島広域公園陸上競技場 スロバキア○3-1キリンカップ
57.2004年07月13日日本の旗神奈川県横浜国際総合競技場 セルビア・モンテネグロ○1-0キリンカップ
58.2004年07月20日中華人民共和国の旗重慶 オマーン○1-0アジアカップ
59.2004年07月24日中華人民共和国の旗重慶 タイ○4-1アジアカップ
60.2004年07月28日中華人民共和国の旗重慶 イラン△0-0アジアカップ
61.2004年07月31日中華人民共和国の旗重慶 ヨルダン△1-1(PK4-3)アジアカップ
62.2004年08月03日中華人民共和国の旗済南 バーレーン○4-3(延長)アジアカップ
63.2004年08月07日中華人民共和国の旗北京 中華人民共和国○3-1アジアカップ
64.2004年09月08日インドの旗コルカタ インド○4-0ワールドカップ予選
65.2004年10月13日オマーンの旗マスカット オマーン○1-0ワールドカップ予選
66.2005年01月29日日本の旗神奈川県横浜国際総合競技場 カザフスタン○4-0キリンチャレンジカップ
67.2005年02月02日日本の旗埼玉県埼玉スタジアム2002 シリア○3-0キリンチャレンジカップ
68.2005年02月09日日本の旗埼玉県埼玉スタジアム2002 北朝鮮○2-1ワールドカップ予選
69.2005年05月22日日本の旗新潟県新潟スタジアム ペルー●0-1キリンカップ
70.2005年05月27日日本の旗東京都国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 アラブ首長国連邦●0-1キリンカップ
71.2005年06月03日バーレーンの旗マナマ バーレーン○1-0ワールドカップ予選
72.2005年06月08日タイ王国の旗バンコク 北朝鮮○2-0ワールドカップ予選
73.2005年06月16日ドイツの旗ハノーバー メキシコ●1-2コンフェデレーションカップ
74.2005年06月19日ドイツの旗フランクフルト ギリシャ○1-0コンフェデレーションカップ
75.2005年06月22日ドイツの旗ケルン ブラジル△2-2コンフェデレーションカップ
76.2005年07月31日大韓民国の旗大田 北朝鮮●0-1東アジア選手権
77.2005年08月17日日本の旗神奈川県横浜国際総合競技場 イラン○2-1ワールドカップ予選
78.2005年10月12日ウクライナの旗キエフ ウクライナ●0-1国際親善試合
79.2005年11月16日日本の旗東京都国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 アンゴラ○1-0キリンチャレンジカップ
80.2006年02月10日アメリカ合衆国の旗サンフランシスコ アメリカ合衆国●2-3国際親善試合
81.2006年02月18日日本の旗静岡県静岡県小笠山総合運動公園スタジアム フィンランド○2-0キリンチャレンジカップ
82.2006年02月22日日本の旗神奈川県横浜国際総合競技場 インド○6-0アジアカップ予選
83.2006年02月28日ドイツの旗ドルトムント ボスニア・ヘルツェゴビナ△2-2国際親善試合
84.2006年03月30日日本の旗大分県大分スポーツ公園総合競技場 エクアドル○1-0キリンチャレンジカップ
85.2006年05月09日日本の旗大阪府長居陸上競技場 ブルガリア●1-2キリンカップ
86.2006年05月13日日本の旗埼玉県埼玉スタジアム2002 スコットランド△0-0キリンカップ
87.2006年05月30日ドイツの旗レバークーゼン ドイツ△2-2国際親善試合
88.2006年06月04日ドイツの旗デュッセルドルフ マルタ○1-0国際親善試合
89.2006年06月12日ドイツの旗カイザースラウテルン オーストラリア●1-3ワールドカップ
90.2006年06月18日ドイツの旗ニュルンベルク クロアチア△0-0ワールドカップ
91.2006年06月22日ドイツの旗ドルトムント ブラジル●1-4ワールドカップ
92.2006年08月09日日本の旗東京都国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 ブラジル○2-0イビチャ・オシムキリンチャレンジカップ
93.2006年08月16日日本の旗新潟県新潟スタジアム イエメン○2-0アジアカップ予選
94.2006年09月03日サウジアラビアの旗ジッダ サウジアラビア●0-1アジアカップ予選
95.2006年09月06日イエメンの旗サヌア イエメン○1-0アジアカップ予選
96.2006年10月04日日本の旗神奈川県横浜国際総合競技場 ガーナ●0-1キリンチャレンジカップ
97.2006年10月11日インドの旗バンガロール インド○3-0アジアカップ予選
98.2006年11月15日日本の旗北海道札幌ドーム サウジアラビア○3-1アジアカップ予選
99.2007年03月24日日本の旗神奈川県横浜国際総合競技場 ペルー○2-0キリンチャレンジカップ
100.2007年06月05日日本の旗埼玉県埼玉スタジアム2002 コロンビア△0-0キリンカップ
101.2007年07月09日ベトナムの旗ハノイ カタール△1-1アジアカップ
102.2007年07月13日ベトナムの旗ハノイ アラブ首長国連邦○3-1アジアカップ
103.2007年07月16日ベトナムの旗ハノイ ベトナム○4-1アジアカップ
104.2007年07月21日ベトナムの旗ハノイ オーストラリア△1-1(PK4-3)アジアカップ
105.2007年07月25日ベトナムの旗ハノイ サウジアラビア●2-3アジアカップ
106.2007年07月28日インドネシアの旗パレンバン 韓国△0-0(PK5-6)アジアカップ
107.2007年08月22日日本の旗大分県大分スポーツ公園総合競技場 カメルーン○2-0キリンチャレンジカップ
108.2007年09月07日オーストリアの旗クラーゲンフルト オーストリア△0-0(PK3-4)3大陸トーナメント
109.2007年09月11日オーストリアの旗クラーゲンフルト スイス○4-33大陸トーナメント
110.2007年10月17日日本の旗大阪府長居陸上競技場 エジプト○4-1アジア・アフリカチャレンジカップ
111.2008年01月26日日本の旗東京都国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 チリ△0-0岡田武史キリンチャレンジカップ
112.2008年02月06日日本の旗埼玉県埼玉スタジアム2002 タイ○4-1ワールドカップ予選
113.2008年02月23日中華人民共和国の旗重慶 韓国△1-1東アジア選手権
114.2008年03月26日バーレーンの旗マナマ バーレーン●0-1ワールドカップ予選
115.2008年11月13日日本の旗兵庫県御崎公園球技場 シリア○3-1キリンチャレンジカップ
116.2008年11月19日カタールの旗ドーハ カタール○3-0ワールドカップ予選

記録

  • ワールドカップ予選5試合連続完封 ※歴代最多タイ記録[100](当時[101])

初出場

指導歴

タイトル

チーム

個人

サッカー

その他

出版

書籍

  • ゴールはオレにまかせろ!「川口能活」―アトランタ若き守護神 (1996年7月発売、著・大貫哲義 主婦と生活社ISBN 4391119129
  • 川口能活〈PERSONAL BOOK〉YOSHIKATSU (1996年12月発売、小学館ISBN 4091023266
  • 魂のゴールキーパー 川口能活 (2006年3月発売、著・西川昭策 アールズ出版ISBN 4862040128
  • 川口能活 証 (2006年5月発売、著・山中忍 文藝春秋ISBN 4163680101
  • 月刊コロコロコミック』 (1998年6-7月号でドキュメント漫画「川口能活物語」を掲載、作画はかとうひろし)
  • 壁を超える (2017年10月10日発売、著・川口能活 角川新書ISBN 9784040821665 [102]

ビデオ

出演

脚注

外部リンク

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