山下真司

日本の俳優、タレント From Wikipedia, the free encyclopedia

山下 真司(やました しんじ、1951年〈昭和26年〉12月16日 - )は、日本俳優タレントコメンテーターフロム・ファーストプロダクション所属。山口県下関市出身。

生年月日 (1951-12-16) 1951年12月16日(74歳)
身長 183 cm
血液型 B型
概要 やました しんじ 山下 真司, 生年月日 ...
やました しんじ
山下 真司
山下 真司
「信玄公祭り」での武田信玄役
(2019年4月6日撮影)
生年月日 (1951-12-16) 1951年12月16日(74歳)
出身地 日本の旗 日本山口県下関市
身長 183 cm
血液型 B型
職業 俳優タレントコメンテーター
ジャンル テレビドラマ映画舞台CMバラエティ番組
活動期間 1975年 -
事務所 フロム・ファーストプロダクション
公式サイト 公式プロフィール
主な作品
テレビドラマ
太陽にほえろ!
スクール☆ウォーズ』シリーズ
獣電戦隊キョウリュウジャー
映画
首都消失
トリック劇場版
バラエティ番組
くいしん坊!万才
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来歴

下関市幡生町で生まれ育つ。母が働き父が家事育児を担当。姉がいる。下関市立下関商業高等学校卒業、一浪を経て中央大学文学部中退[1]。モデルとして働き始め、十分な稼ぎがあったが[2]、『太陽にほえろ!』に出演したいという思いがあり[2]1975年文学座附属研究所に入所し、卒業後に劇団NLTに入団。それまでは六本木クラブでアルバイトをしていた、また東京大学駒場キャンパスの生協食堂で調理補助(飯炊き)のアルバイトをしていたこともあった[3]

『太陽にほえろ!』への二度のテスト出演の後、本人は選ばれないだろうと思っていたが[2]、1979年に同番組のスニーカー刑事(五代潤)役に抜擢、注目される[1]。1983年に『シングルガール』で映画初出演。同年に松田聖子の主演映画『プルメリアの伝説 天国のキッス』にも出演する。さらに、NHK連続テレビ小説おしん』で連続テレビ小説初出演[4]

1984年に『スクール☆ウォーズ』では主役の熱血教師を演じた。校内暴力で荒れ果てた高校ラグビー部を熱血指導で全国大会優勝に導いた教師の実話を基にしたドラマで、制作の大映テレビ伝統のケレン味あふれるストーリー展開と山下の熱演が見事にはまり、大人気となる。以後山下自身に「熱血漢」のイメージが定着[1]。1990年の続編にも主演し、のちに自身でもパロディ的に再現する機会も多く、山下の代名詞的な作品となった[4]

その後も『ヤヌスの鏡』、『天使のアッパーカット』などの大映テレビ制作ドラマに続いて起用されたほか、『男女7人秋物語』などのドラマでも好演[4]。1994年に料理紀行番組『くいしん坊!万才』では9代目くいしん坊としてお茶の間で親しまれた[4]。全国各地を歩いていたこともあり、担当年数4年間は松岡修造に破られるまで歴代トップであった。

テレビドラマ出演は他に、NHK大河ドラマ春日局』・『徳川慶喜』・『葵 徳川三代』・『天地人』など、『となりの芝生』、『霧の旗』など、持ち味の力強い演技に加え、『ケータイ刑事 銭形』シリーズ、『富豪刑事』シリーズなどで熱血キャラを逆手にとったコミカルな芝居も多い[4]

エピソード

学生時代

下関市の長屋の借家で、両親と3歳上の姉と育った[1]。元々父は、米問屋の跡継ぎだったが経営が上手くいかずに店を潰したため、旧国鉄で事務員として働く母が家計を担い、以後父は主夫業をこなした[1]。海と山に囲まれていたため外遊びが好きだった。父が50歳の時に生まれたこともあって可愛がられ、週末には早朝に山陰に釣りに出かけるなど小学校高学年になるまでは父が遊び相手だった[1]

中学生では陸上部に入部し、三段跳びで活躍[1]。映画好きな父の影響で映画を観るようになり、役者に憧れ始めた[1]。中学3年生の時、母が郊外に建てた平屋の一軒家に引っ越した[1]

元々商家だった山下家は代々、下関商業高校のOBだったことから本人も同校に進学したが、簿記より太宰治や武者小路実篤の作品が好きな文学少年だった[1]。入学時からオシャレのつもりでオーダーメイドの学生服に革靴を履いていたところ、目立ったことで先輩などから殴られることがあった[1]。ウエイトリフティング部に入部して体を鍛えると同時に、以前からの持ち味であったジャンプ力と背筋力を活かしてバレーボール部にも入部した[1]

中学時代から「将来は都会で役者になりたい」と思ってはいたが、高校時代に「卒業後に働くのはまだ早い」と考えた[1]。東京の大学に進学を決意したが受験に失敗し、一浪を経て中央大学に合格。しかし県内の大学進学を望む両親から反対されたため、家出同然で上京した[1]

上京後

豊島区目白のアパートで暮らし始め、当初は母親から仕送りをもらっていたが入学から3か月後に父が脳梗塞で倒れた[1]。母から「仕送りはできないが自力でやるなら頑張りなさい」と言われ、学費と生活費を稼ぐため練馬のアパートに移って大学の生協でバイトを始めた[1]。しかしのそのバイトは生活するのが精一杯で貯金もできず、大学に行くどころではなくなったため、1年足らずでバイトを辞めて大学も中退した[1]

ファッション関係の会社で営業社員として働き出し、川崎市の一軒家を改装した会社の寮で暮らした[1]。内心役者を目指していたが芸能界への入り方が分からず悩んでいたところ、先の会社のポスターで当時モデルだった草刈正雄を見て「モデルになる」という方法があることを知る[1]。その頃長髪にしていたことで上司からクビをちらつかされて、今後のことを色々と考えて退社[1]

港区六本木のレストランでウエイターに転職し、マンションの一室の6人部屋で住み込みで働いた[1]。レストランの客としてやって来た業界関係者から背の高さを買われてモデルクラブを紹介されたことが転機となり、ヘアカットモデルとなった[1]。これを皮切りにいくつかのチラシやCM、ファッションショーにも出演し、ほどなくして杉並区高井戸の1LDKのアパートに引っ越した[1]

俳優デビュー

23歳の時に役者になる夢を思い出して文学座を受験して合格し、研究生時代にドラマ『太陽にほえろ!』のオーディションを受けて俳優デビューを果たした[1]。出演が決まった時点で撮影が朝から夜遅くまでのハードスケジュールになることを知り、すぐに帰って休めるよう世田谷区の撮影所近くのアパートに転居した[1]

この現場では、先輩俳優やベテランスタッフばかりで上下関係が厳しく、フィルム撮影なためNGを出さないよう必死だった[1]。また、本作はアクションシーンにも力を入れていたため、撮影ではビルからビルへ飛び移ったり、走る車に飛び乗ったりと死に物狂いで臨んでいたという[1]

出演を全て終えた時は緊張から解放されてホッとしたが、それまでの若手刑事役の俳優たちが殉職する形で番組卒業したのとは違い、本人は刑事を退職する形だった[1]。このため、内心「しばらくしたらあの厳しい撮影現場にまた呼び戻されるのでは?」とビクビクしていたとのこと[1]

1984年、『スクール☆ウォーズ』の熱血教師・滝沢賢治役では、台本で何かとというとすぐ「泣く」と書かれており、内心「こんなに泣くのかよ!」と戸惑った[1]。本作の撮影開始時に世田谷区成城の3LDKのマンションに引っ越した[1]

私生活

私生活では『太陽にほえろ!』出演期間中に、知人主催のゴルフコンペで知り合った7歳上の女性とお互いに一目ぼれし、世田谷区成城のマンションで同棲を始めた[1]。当時そのマンションには松田聖子と神田正輝も住んでおり、マスコミが彼らをマークしていたことでたまたま山下の交際がバレてしまったという[1]

『スクール☆ウォーズ』終了後に、砧公園のすぐそばにある桜の木の下でプロポーズした[1]。結婚後、世田谷区岡本に一軒家を購入し、妻と2人の連れ子との4人で暮らした[1]。その後世田谷区深沢の一軒家で暮らし、現在は夫婦で都内の3LDKのマンションで暮らしている[1]

人物

特技は、英会話ゴルフ。義理の息子は俳優の森部達也(山下が1988年に結婚した際の妻の連れ子)。私生活ではお互いゴルフが好きという共通点もある錦野旦と親交が深い。

運動好きでロケの合間などに腕立て伏せをするなど筋力トレーニングをする姿が再三目撃されている。また、自身が筋トレをするだけでなく、共演の女優にも役柄と全く関係のないタックルの練習や腹筋をさせていたことがある。

運動好きであることはロンドンブーツ1号2号田村淳に『ロンドンブーツ1号2号のオールナイトニッポン』でよくネタにされていた(山下本人がゲスト出演したことがある)。田村とは同じ山口県下関市出身ということで親交がある。

「女のスタッフや共演者には挨拶しない」と公言していた。現場でのコミュニケーションを深める手段は女性スタッフを抱きしめることである。

レギュラー出演している『東大王』では、珍回答の多さや正解率の低さで、共演者から罵倒されたり激昂されたりするなど、大御所にもかかわらずその無知さから、『おバカタレント』という扱いを受け、本人も酷く落胆していた。しかし山下を哀れんだ共演者の富永美樹から漢字のドリルを貰い、宮川一朗太からはアドバイスを貰うなどして放送中に漢字を勉強するようになり、正答数も増えたため、現在はおバカタレント枠は藤本敏史に譲っている[5]

『太陽にほえろ!』で共演した石原裕次郎からは何度も名前を聞かれたが、そのことについて石原からからかわれていたのだろうと思ったという[2]

同じ文学座の出身で『太陽にほえろ!』でデビューした松田優作とは同郷であった[2]。また偶然一度出くわし、挨拶をしたことがあった[2]

『太陽にほえろ!』に関して、2007年のインタビューで、今でも一度目のテスト出演の際の台詞を覚えているが、2度目のテスト出演の台詞は全く覚えていないと話した[6]。約2年間スニーカー刑事を演じた後、これまでの新人刑事とは異なり、殉職ではなく退職する形で番組を卒業した(自身は当初は殉職する形で番組を卒業すると言う段取りになっていたが、殉職より退職のほうがいいと言う自身の希望によって退職する形で番組を卒業する事となった)。卒業時は、寂しいような、撮影の過酷な番組から去ることが出来るとホッとした様な気分であったと後に語った[2]。2002年からの「ケータイ刑事シリーズ」では、『太陽にほえろ!』での役名である五代潤と同じ名前でレギュラー出演した。

『スクール☆ウォーズ』は最高視聴率20%を超すヒット作品となり、「俺はこれからお前たちを殴る」の台詞が流行した。以後、さまざまな番組でこの作品のパロディを披露。中でも山下自身が出演していたドラマ『富豪刑事』(第1シリーズ)の第9話では松村雄基岩崎良美もゲスト出演するなど、ほぼ全体を通してパロディが行われており、近年では『獣電戦隊キョウリュウジャー』にてこのセリフとともに怪人を拳型のオーラで攻撃するというパロディも披露した。

2014年1月19日放送分の『キョウリュウジャー』にて、キョウリュウシルバーに変身したことで戦隊ヒーローを演じた俳優としての最年長記録を更新した[7]が、その記録は2年後の『手裏剣戦隊ニンニンジャー』で笹野高史によってさらに更新された[8]

出演

テレビドラマ

配信ドラマ

映画

オリジナルビデオ

  • 湾岸ミッドナイト(1992年3月13日、大映)
  • 不倫の値段(1994年2月25日、ケイエスエス) - 主演・鳥耕作 役
  • 光の川(1996年3月21日、松竹ホームビデオ)
  • 麻雀飛翔伝 哭きの竜2(1996年7月26日、アミューズソフト) - 石川喬 役
    • 麻雀飛翔伝 哭きの竜3(1996年9月27日)
  • Zero WOMAN 名前のない女(1997年4月4日、マクザム
  • ある日突然に…君に「いじめ」は似合わない(1998年、ミュージアム) - 主演・進 役
  • 報復攻撃 美しき殺人者(1998年8月21日、徳間ジャパンコミュニケーションズ) - 特別出演
  • 実録・名古屋やくざ戦争 統一への道シリーズ(GPミュージアムソフト) - 辻本亘 役
    • 実録・名古屋やくざ戦争 統一への道(2003年7月25日)
    • 実録・名古屋やくざ戦争 統一への道2(2003年12月25日)
    • 実録・名古屋やくざ戦争 統一への道 完結編(2004年6月25日)
  • 実録・大日本菊水会 双龍伝(2007年2月25日、GPミュージアムソフト) - 組長 役
    • 実録 大日本菊水会 双龍伝 完結編(2007年4月25日)
  • 虎狼の群れ(2017年9月1日、コンセプトフィルム) - 黒龍会柏田組若頭 石堂 役[17]
    • 虎狼の群れ2(2017年10月6日)
  • 聖域 組長の最も長い一日(2018年6月25日、オールイン エンタテインメント) - 大和組組長 大山大悟 役
    • 聖域2 組長の最も長い一日(2018年7月25日)
  • 王様戦隊キングオージャーVSキョウリュウジャー(2024年10月9日、東映ビデオ) - 桐生ダンテツ 役[18]

舞台

ゲーム

ラジオ

ラジオドラマ

PV

バラエティ・情報番組・その他

  • サンデースクエア(1983年7月3日 - 9月11日、日本テレビ)※司会
  • くいしん坊!万才(1994年1月4日 - 1997年12月30日、フジテレビ)
  • いつでも笑みを!(1998年4月4日 - 9月、関西テレビ・フジテレビ系)※サブ司会
  • 情報プレゼンター とくダネ!(フジテレビ)
    • (2007年10月1日 - 2009年3月23日)※「走れ!三面刑事」コーナー担当
    • (2020年5月5日 - 2021年3月23日)※月1で火曜日コメンテーターとして出演
  • 東大王(2018年10月24日 - 2024年9月18日、TBS)※不定期出演
  • めざまし8(2021年4月9日 - 2022年3月28日、フジテレビ)[22]
    • 月曜日または金曜日コメンテーター[23]
    • 『帰ってきた!走れ!三面刑事』コーナー担当[24]

CM

パチンコ

ディスコグラフィ

シングル

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  発売日 タイトル 規格品番 収録曲
1st 1993年9月22日 10年目の約束 SIDN-7 俺たちがいた夏
2nd 1999年4月21日 ひだまり CRSN-604 哀愁グラス
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連載

  • 山下真司の人生相談「苦労や困難なんて笑い飛ばしちゃおうぜ!」(2008年、BIG tomorrow)
  • 山下真司の俺と「スクール☆ウォーズ」(2016年8月24日 - 2017年3月28日、デイリースポーツ[34]

脚注

参考文献

外部リンク

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