岸部清
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- 1956年、「マウンテンボーイズ」との合併により、「ザ・サンズ・オブ・ドリフターズ」結成。初代リーダーとなり、3年半勤める。
- 1959年、「ザ・サンズ・オブ・ドリフターズ」リーダーの座を桜井輝夫に譲り脱退。渡辺プロダクションマネージャーを経て、芸能事務所「第一プロダクション」を創設し社長に就任する。同社の代表取締役社長、また音楽出版社協会の副会長、日本音楽事業者協会の名誉理事を兼任。
- 千昌夫や小林幸子や扇ひろ子らとの交友があった関係で演歌歌手を中心に所属タレントを増やしていきぴんからトリオの「女のみち」の大ヒットで大きく躍進した。
- 1972年には大阪市に第一プロダクション大阪支社、系列会社として小林プロダクションを立ち上げるが1978年に閉鎖している。その後キャッツタウンレコードを創設、アメリカ・ニューヨークにもスタジオを開設している[1]。
- 2017年、岸部の高齢により第一プロダクションが解散し、2018年破産した。
- 2019年2月11日、心不全により死去。肺癌で闘病中だったという。満88歳没[2]。
役職
- 第一プロダクション・グループ代表
- 音楽出版社協会、副会長
- 日本音楽事業者協会、名誉理事
脚注
- ↑ 『アサヒ芸能』 発行:徳間書店(1993年5月8日号)「大ヒット曲を生んだ老舗プロダクションの今」 閲覧。
- ↑ “第一プロダクション元社長・岸部清さん死去「女の道」大ヒット仕掛け人”. スポニチアネックス. (2019年2月14日). オリジナルの2019年2月13日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20190213222143/https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2019/02/14/kiji/20190213s00041000356000c.html 2019年2月14日閲覧。
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関連項目
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