平井光親

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国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1966-11-08) 1966年11月8日(59歳)
身長
体重
175 cm
78 kg
平井 光親
愛知工業大学硬式野球部 監督
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 福岡県糟屋郡志免町
生年月日 (1966-11-08) 1966年11月8日(59歳)
身長
体重
175 cm
78 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 外野手
プロ入り 1988年 ドラフト6位
初出場 1989年4月11日
最終出場 2002年10月18日(引退試合)
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督・コーチ歴
  • 千葉ロッテマリーンズ (2006 - 2007)
  • 愛知工業大学

平井 光親(ひらい みつちか、1966年11月8日 - )は、福岡県糟屋郡志免町出身の元プロ野球選手外野手)、野球指導者。

1991年の首位打者争い

東福岡高から愛知工業大学へ進学し、愛知大学野球連盟に加盟する同校の硬式野球部に入部する。大学時代は、2年次の明治神宮大会でエース・西崎幸広(当時4年)の活躍で優勝を経験。通算65試合出場、217打数88安打、打率.406、9本塁打、50打点。首位打者1回、最優秀選手1回、ベストナイン5回受賞。

1988年のプロ野球ドラフト会議ロッテオリオンズから6位指名を受け入団。1年目の1989年より一軍出場を果たし、3年目の1991年には外野のレギュラーとなり、打率.314で首位打者を獲得し(後述)、外野手としてベストナインにも選ばれた。以後、シュアな打撃と堅実な守備で活躍した[1]

1997年は出遅れるも、途中で右膝の骨折から見事な復帰を果たす[2]1998年には打率.320でイチローに次ぐ2位[3]。同年は初のオールスター出場[4]も、7月に脇腹の肉離れを起こし、痛みを抑えて出場した[4]

2000年は55試合の出場ながら.305という高打率を記録し、調子はまだ良かったが、その頃から左膝が痛くなってしまい、オフの間にトレーニングすれば治ると思って、いざ病院に行ってみると、膝の皿の裏の軟骨が損傷していて[4]2001年の年明けに手術に入った[4]。だが術後の経過は改善がなかなかなく、春先に何試合か出場して、7月頃に2度目の手術。それで3か月程、松葉杖での生活を送り、脚の筋力も落ちて、「正直、終わったかな」と思っていたという[4]

2002年は足を引きずって歩くような状態で、かばっているうちに今度は右膝が痛くなり、3度目の手術を受けた。自身の担当スカウトでもあった醍醐猛夫二軍監督に相談をして、最終的に、打撃コーチ時代からの付き合いで、何とか恩返しをしたかったという山本功児監督の「もう(これ以上苦しむのは)ええやろ」という言葉で、引退を決意した[4]。膝の故障は私生活にも悪影響を与えていたという。同年10月18日の引退試合(対近鉄戦)では、門倉健からタイムリーツーベースを放ち、自らの引退に花を添えた。

引退後は、球団編成担当を経て、二軍打撃コーチ補佐を務めた。2008年よりロッテ球団の振興部テクニカルコーチとして、ベースボールアカデミーで海外の提携球団や、千葉県内の野球教室で指導をしていたが、2014年をもってコーチ契約を満了し、退団した。

2016年12月22日、2017年1月1日付で母校の愛知工業大学の監督に就任することが発表された[5]

1991年、平井はオリックスの松永浩美と壮絶な首位打者争いを繰り広げる。松永は10月6日に全日程を終了して484打数152安打で打率.3140であり、その時点で平井は342打数108安打で打率.3158で松永を上回っていたが、この時点での打席数は383打席であり、シーズンの規定打席である403打席(当時)に20打席不足していた(松永も自身の最終戦は守備についただけで打席には立っていない)。ロッテは残り7試合を残していたが、平井は最初の3試合で14打席に立ち8打数3安打3四球3犠打で乗り切り、打率.3171(350打数111安打)となった(残り4試合)。この時点で、規定までの残り6打席で少なくとも6打数1安打か、0安打でも3打席以上犠打・犠飛・四死球があれば松永を上回る状況であった。シーズン127試合目は、凡打・四球・犠打で.3162となり、残り3打席で2打数0安打なら打率.3144で平井が首位打者、3打数0安打なら打率.3136で松永が逆転という状況と変わった。シーズン128試合目は、スタメンから外れるも、1回裏に先頭の西村徳文が塁に出ると平井は代打で登場して送りバントを決め、事実上首位打者を確定させた[注 1]。残りの2打席は凡退して規定打席にちょうど到達し交代、松永とわずか4毛差(.3144)で首位打者を獲得した[注 2]。また、シーズン111安打(パ・リーグ20位)は2リーグ制導入以降の首位打者の安打数としては史上最少であった。

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
1989 ロッテ 1217172300030000000020.176.176.176.353
1990 4295837124101870041700150.145.209.217.426
1991 11040335338111141413934421313541385.314.377.394.771
1992 99321281217914411043210553000272.281.345.370.715
1993 5113212072790036100050700204.225.268.300.568
1994 1134193885210926651622803522113434.281.321.418.739
1995 12748741645108174414549651844613715.260.335.349.683
1996 12241535738891625124334620136415211.249.319.347.666
1997 932802292056935861911924000235.245.354.376.730
1998 11644838759124210816935301324531424.320.391.437.827
1999 10531626132661903941911734312466.253.359.360.719
2000 551231051932703482200111630123.305.393.457.851
2001 2134293510195000050062.172.294.310.604
2002 11101100210000000001.0001.0002.0003.000
通算:14年 10673491302734382215821391139294201810022331171139751.272.343.376.720
  • 各年度の太字はリーグ最高

タイトル

表彰

記録

初記録
節目の記録
その他の記録

背番号

  • 49 (1989年 - 1993年)
  • 2 (1994年 - 1996年)
  • 21 (1997年 - 2002年)
  • 72 (2006年 - 2007年)

脚注

関連項目

外部リンク

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