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島内宏明

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国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1990-02-02) 1990年2月2日(36歳)
身長
体重
180 cm
75 kg
島内 宏明
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 石川県小松市
生年月日 (1990-02-02) 1990年2月2日(36歳)
身長
体重
180 cm
75 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 外野手
プロ入り 2011年 ドラフト6位
初出場 2012年3月30日
最終出場 2025年5月28日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

島内 宏明(しまうち ひろあき、1990年2月2日 - )は、石川県小松市出身の元プロ野球選手(外野手)。左投左打。

プロ入り前

明治大学時代(2011年)

小松市立御幸中学校時代は「全小松ボーイズ」でプレーし、中学3年時には、エースとして全国大会出場を果たした[1]。

地元石川県などの有力校から誘われた中で、本人は遊学館志望だったが、当時星稜のコーチだった林和成が三顧の礼をするようにチームの魅力を伝えたことに惹かれたことで、進学先に星稜を選んだ[1]。

星稜高校時代は2年秋から主将を務め、3年夏には甲子園に「1番・一塁手」として出場。初戦の長崎日大高校戦では2安打1四球と活躍したが、チームは1-3で敗退した。高校時代の野球部の同期には高木京介がいる[1]。

明治大学へ進学し、硬式野球部に入部。1年次の秋から六大学リーグ戦に出場。3年次の秋から外野手としてスタメン起用されるようになる。秋には規定打席不足ながら打率.400を記録。4年次の春は中盤以降で率を落としたもののリーグ3位の打率.385を記録し、初のベストナインに選出された。秋も打率.349の成績で2季連続でベストナインに選ばれ、第42回明治神宮野球大会でも優勝を飾った。元々はプロ志望ではなく、地元で社会人野球が続けられたらいいという程度に思っていたが、野球部監督の善波達也や当時コーチの松岡功祐や寮長に発破をかけられ、4年次の活躍でプロを志望するようになった[2][3]。大学ではベストナイン1回受賞。大学時代の野球部の同期には野村祐輔、阿部寿樹、柴田章吾がいる。

2011年10月27日に行われたドラフト会議では、東北楽天ゴールデンイーグルスから6位指名を受け、契約金3000万円、年俸600万円(金額は推定)という条件で入団した[4]。背番号は35[5]。

楽天時代

横浜スタジアムにて(2012年)

2012年、同年の楽天の新人の中では唯一、開幕一軍に入った。俊足を買われて代走要員としてのベンチ入りだったが、走塁ミスが多く[6]、一軍と二軍を行ったり来たりの状態が続いた[7]。しかし8月22日の千葉ロッテマリーンズ戦(Kスタ宮城)で「9番・中堅手」として初めて先発出場すると、プロ初打席で適時打を打つなど2安打3打点の活躍を見せ[7]、8月24日の北海道日本ハムファイターズ戦(Kスタ宮城)では吉川光夫からプロ初本塁打を放ち[8]、8月28日のロッテ戦(QVCマリン)ではプロ初の猛打賞を記録[6]。9月5日の日本ハム戦(東京ドーム)には同じく新人の岡島豪郎とのアベック本塁打を放った。新人2人によるアベック本塁打は1989年の中日ドラゴンズの大豊泰昭、山口幸司以来23年ぶりであった。そのままシーズン終了まで一軍に帯同、左翼手の準レギュラーとして打席数は少ないながらも打率.299、100打席以上立った選手の中ではチームトップとなる長打率.443と結果を残した。

2013年、シーズン序盤は前年同様、相手投手の左右に合わせて右打者の中島俊哉との併用で左翼手としての出場が主だったが、セ・パ交流戦を境に相手先発が左投手の試合でも右翼手として先発出場するようになり、そのままレギュラーに定着した。7月7日の対福岡ソフトバンクホークス戦(福岡 ヤフオク!ドーム)では9回に星野大地から自身初のランニング本塁打を放った[9]。聖澤諒が離脱した際には中堅手として先発出場し、打率.284・6本塁打・OPS.717と"恐怖の9番打者"として活躍するが、9月13日のオリックス・バファローズ戦(Kスタ宮城)の9回の守備中に左肩を痛め、球団初のリーグ優勝を目前にして離脱、優勝の輪に加われなかった[10]。しかし、チームメイトは島内の貢献を称え、ベンチの中に島内のユニフォームが飾られた[10]。日本シリーズには復帰を果たし、第4戦に代打として1試合出場した。

2014年、シーズン序盤に打撃不振で二軍調整を経験したが、聖澤が戦線を離脱した後半戦には、一軍の正中堅手に定着。一軍公式戦では66試合の出場で、前年と同数の6盗塁を記録したが、打率(.242)・本塁打(2)・打点(18)とも前年を下回った。

2015年、1月5日に一般女性と結婚[11]。同年の一軍公式戦では25試合の出場で、入団後初めて本塁打を1本も打てなかった。シーズン終了後には、球団を通じて広島のトレーニングクラブ「アスリート」の門を叩くと、肉体改造に取り組んだ。

2016年、開幕を二軍で迎えたが、岡島が戦線を離脱した4月に一軍へ昇格すると、岡島に代わって「1番・右翼手」として起用された。岡島は後に戦線へ復帰したが、後半戦に入って深刻な打撃不振に陥ったことに加えて、シーズン途中から入団したカルロス・ペゲーロが右翼手に起用されたことから、8月以降は「1番・中堅手」として先発に定着。8月6日の対埼玉西武ライオンズ戦(楽天Koboスタジアム宮城)では4回一死満塁の打席で十亀剣から自身初の満塁本塁打[12]、同月30日の対日本ハム戦(東京ドーム)では、一軍公式戦では自身初の1試合2本塁打を記録した。このうち、1回表に先頭打者として打った本塁打は、一軍公式戦における球団通算1000本塁打にもなった。一軍公式戦全体では114試合の出場で打率.287、球団の生え抜き野手としては当時最多の9本塁打[13]、自身初の2桁盗塁を記録した。

2017年、レギュラーシーズンでは、「6番・中堅手」として開幕戦初の先発出場を果たしたことを皮切りに、正中堅手として一軍公式戦全143試合出場を初めて達成。パシフィック・リーグの最終規定打席へ初めて到達するとともに、自己最高の14本塁打・47打点を記録するなどの活躍で、チーム4年ぶりのAクラス入りとクライマックスシリーズ進出に貢献した。シリーズ終了後の契約交渉では、推定年俸5500万円(前年から2200万円増)で契約を更改。その際に球団から背番号の変更を打診されたが、従来の35と同じ2桁の背番号を提示されたため、打診を固辞した[14]。

2018年、前年に続いて、レギュラーシーズンの開幕戦から18試合連続で先発出場した。4月19日の対ソフトバンク戦(福岡ヤフオク!ドーム)では、一軍公式戦で初めて4番打者を務めた。しかし、この試合の走塁中に右内腹斜筋を損傷。4月20日の診察で、実戦への復帰までにおよそ1か月を要することが判明したため、同日付で出場選手登録を抹消された[15]。6月中旬に一軍復帰すると自身の故障中に田中和基が中堅手に定着していたため左翼手に回り、梨田昌孝監督の辞任によって平石洋介監督代行が就任すると打順は3番に固定された。以降の試合は出続けて2年連続で規定打席に到達し、ドラフトを経た生え抜き選手としては初の2年連続の2桁本塁打、自己最多の53打点、自己最高でリーグ8位となる打率.292を記録。さらに左翼手の守備では12球団トップのUZR17.1を記録した。

2019年、オープン戦中盤から4番候補として挙げられると開幕戦に「4番・左翼手」として先発出場。ドラフトを経た生え抜き選手が開幕戦に4番で出場するのは球団史上初となった。4番で先発出場した4月20日の第2打席で通算45本目の第1号2ランを打ち、日本プロ野球18人目の全打順本塁打を達成した[16]。また、ドラフトを経た生え抜き選手としての連続2桁本塁打を3年に伸ばした。

2020年は大半の試合を4番もしくは5番で先発出場し、4年連続2桁本塁打とはならなかったが打率.281・8本塁打・53打点を記録した。シーズン中に国内FA権を取得したが行使せず、2000万円増の推定年俸1億2000万円で4年契約を締結した[17]。

2021年のオープン戦では首位打者となる[18]。開幕当初3番を務めていたが5月から4番に座る機会が多くなる。得点圏での高打率と3番に座る浅村栄斗の高出塁率も手伝って打点を量産し、オールスター前でリーグトップかつ自身のキャリアハイを更新する66打点を記録。この活躍から監督推薦で自身初のオールスターに選出され、第2戦(楽天生命パーク)で先発出場し、2度の勝ち越し適時打を放つなど4打数3安打3打点の活躍で全パの勝利に貢献、MVPに輝いた[19]。その後も打点を稼ぎ、2位のブランドン・レアードと1打点差の96打点で自身初の打点王のタイトルを獲得。シーズン96打点はイーグルス生え抜き選手としては最多かつ初となる打撃三冠部門(首位打者・本塁打王・打点王)でのタイトルホルダーとなった。他にも21本塁打を放って生え抜き選手のシーズン最多本塁打数を更新し、34二塁打(パ・リーグ4位)・97四球(同2位)・出塁率.385(同6位)・OPS.863(同6位)など様々の打撃面でキャリアハイを更新するシーズンとなった。ちなみに星稜高校出身のプロ野球選手としては松井秀喜以来の打撃タイトル獲得者である[20]。

2022年、岩手県営野球場での最後のプロ野球公式戦となった6月22日の対日本ハム戦では、鈴木健矢から自身初のサヨナラ本塁打を記録[21]。7月に80打数28安打の打率.350、8月に97打数37安打の打率.381と夏場以降に調子を上げ、8月度「大樹生命月間MVP賞」初受賞となり「本当に非常にうれしいです。プロ野球始めた頃に一番とりたい賞だった。(前年獲得した)打点王より正直うれしくて」とコメント[22]し、この年の最多安打のタイトルに繋がった。7月23日の対西武戦では髙橋光成から本塁打を放ち通算1000安打を達成[23]。9月1日の対オリックス戦(楽天生命パーク)では5-5の同点で迎えた4回無死満塁の打席で村西良太から自身6年ぶり2本目の満塁本塁打を放った[24]。オフに現状維持の推定年俸1億2000万円プラス出来高で契約を更改したが、4年契約の2年目を終えた状態であるにもかかわらず、「来年FAさせてほしい」と球団に要望したため物議を醸し、「島内の乱」と揶揄された[25]。その後、「自分の発言が軽率でしたし、自分が全部悪い」として謝罪し、「本当に迷惑をかけたなと思う気持ちを優勝という形で変えられたらいいなと思っている」と心新たに、チームのために全力を尽くすことを誓った[26]。

2023年、4月29日の対西武戦(ベルーナドーム)では7回に張奕から自身10年ぶり2本目のランニング本塁打を放つ[9]が、7月6日時点では打率.177・4本塁打・15打点と打撃不振で同日付で約5年ぶりに出場選手登録を抹消された[27]。8月11日に一軍に復帰する[28]と、8月の月間打率は.378と調子を上げ[29]、9月24日の対日本ハム戦(楽天モバイルパーク宮城)では1-1の同点で迎えた9回一死一塁の打席で池田隆英からサヨナラ2点本塁打[30]、10月1日の対オリックス戦(京セラドーム大阪)では3打席連続適時打で自己最多の1試合5打点を記録した[31]。シーズン通算では104試合に出場、打率.236・7本塁打・38打点の成績に終わった[32]。4年契約の3年目を終え、オフの12月1日の契約更改では現状維持の推定年俸1億2000万円プラス出来高払いでサインした[32]。

2024年は、一軍で40試合に出場して打率.214、2015年以来の本塁打なしに終わるなど、前年からさらに成績を落とした。この年は二軍でも50試合出場で打率.233(133打数31安打)、2本塁打、21打点と低迷し、5月に出場選手登録を抹消されてからはシーズン終了まで一軍に再昇格できなかった。

4年契約を終え、2025年1月23日に減額制限を超える7500万円減となる推定年俸4500万円プラス出来高払いで契約を更改した[33]。「最後だと思って、いい形で終わりたい」と語っていたシーズンだった[34]が、二軍の58試合で打率.282、OPS.809を記録した[35]一方で、一軍では5試合に出場して安打が出なかった[36]。9月末になり、来季の戦力構想から外れていること、島内に現役続行の意思があることが報じられ[37]、10月3日には球団から正式に戦力外通告が発表された[38]。オフに東京ヤクルトスワローズが獲得調査を行っているという報道もあった[39]が、翌年1月4日に球団から現役引退が発表された[40]。

選手としての特徴・人物

さいたま市営浦和球場にて(2016年)

打撃では「積極的で思い切りが良い」と評される[41]。遠投95メートル[42]。50メートル5.8秒を記録する俊足を持つが、判断の誤りから走塁ミスが多い[2][6]。

楽天入団時の監督である星野仙一は明治大学の先輩であり、厳しい言葉を掛けられていた[7]。

愛称は「ウナギイヌ」[43]。楽天のチーム内ではムードメーカー・いじられキャラである[44]。

適時打や本塁打などを打った後の独特なコメントは「島内語録」と呼ばれ話題となり[45]、グッズ化もなされている[46]。

「ここで島内」というフレーズから始まる応援歌があり、島内が活躍を見せた際にはSNSで「#ここで島内」というハッシュタグを付けた投稿が多く見受けられる[47]。

練習法としては自宅でさまざまな打者の動画を研究し、金本知憲を参考にして長打力アップにつなげたといわれる[48]。

詳細情報

年度別打撃成績

年

度
球

団
試

合
打

席
打

数
得

点
安

打
二
塁
打
三
塁
打
本
塁
打
塁

打
打

点
盗

塁
盗
塁
死
犠

打
犠

飛
四

球
敬

遠
死

球
三

振
併
殺
打
打

率
出
塁
率
長
打
率
O
P
S
2012 楽天 411049711296124317104120082.299.310.443.753
2013 9732929936856461173864452100446.284.326.391.717
2014 662432152652732711861721900225.242.301.330.631
2015 258174615230236512140060.203.241.311.551
2016 114388342439892913841102743302487.287.349.404.753
2017 143577494621311431419347361236404678.265.352.391.743
2018 1034533945311516311170531153347064510.292.373.431.805
2019 1335855066814521510206573491580116511.287.372.407.779
2020 1144714065011417281595391644817718.281.363.392.755
2021 141599486641253452123296222697288715.257.385.477.863
2022 142613541591613631424577532363148216.298.373.453.826
2023 104369322217613071103820034113415.236.325.342.667
2024 40154131828310331200031603164.214.307.252.559
2025 511100000000000010030.000.091.000.091
通算:14年 12684976431750711741843510417405536329583951454860597.273.354.404.758
  • 各年度の太字はリーグ最多

年度別守備成績

年
度
球
団
外野
試

合
刺

殺
補

殺
失

策
併

殺
守
備
率
2012 楽天 32460001.000
2013 90170431.983
2014 62127520.985
2015 20250001.000
2016 1112072001.000
2017 139274411.996
2018 102195613.995
2019 1302644021.000
2020 93168520.989
2021 103164720.988
2022 961514011.000
2023 5081010.988
2024 9221001.000
通算 1037189442128.994
  • 各年度の太字はリーグ最高

タイトル

表彰

記録

初記録
節目の記録
その他の記録

背番号

  • 35(2012年[5] - 2025年)

登場曲

脚注

関連項目

外部リンク

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