応其寺
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位置
北緯34度19分00.00秒 東経135度36分47.37秒 / 北緯34.3166667度 東経135.6131583度座標: 北緯34度19分00.00秒 東経135度36分47.37秒 / 北緯34.3166667度 東経135.6131583度
山号
中興山
宗派
高野山真言宗
| 応其寺 | |
|---|---|
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山門 | |
| 所在地 | 和歌山県橋本市橋本二丁目3番地4号 |
| 位置 | 北緯34度19分00.00秒 東経135度36分47.37秒 / 北緯34.3166667度 東経135.6131583度座標: 北緯34度19分00.00秒 東経135度36分47.37秒 / 北緯34.3166667度 東経135.6131583度 |
| 山号 | 中興山 |
| 宗派 | 高野山真言宗 |
| 本尊 | 救世観世音菩薩 |
| 創建年 | 天正15年(1587年) |
| 開基 | 木食応其 |
| 札所等 |
紀伊西国霊場第15番 伊都郡四国八十八ヵ所第27番 |
| 法人番号 | 7170005004659 |
応其寺(應其寺、おうごじ)は、和歌山県橋本市橋本にある高野山真言宗の寺院。山号を中興山、本尊は救世観世音菩薩、開基は同地を開発した僧侶、木食応其である。
紀伊続風土記二によれば、橋本町は応其が秀吉から古佐田村の一部を免許地として与えられ、開いたのが始まりとされている。また、興山上人橋本開基縁起によれば、天正15年(1587年)紀の川に長さ130間の橋を架け、これが「橋本」の地名の由来となったという。その中心にあったのが応其寺で、その前身は惣福寺であったといわれている。寺宝として、豊臣秀吉から送られた唐子織袈裟や応其書状等の古文書・古記録類を所蔵している。本尊である救世観音の脇侍として安置される応其上人像は、天正18年(1590年)に町民らが寄進したものである。
応其寺は橋本町の火災により、何度か火災にあっている。現在の本堂は三間堂で、宝永4年(1707年)の応其上人100回忌に合わせて本堂再建の動きが確認でき、おそらくそのころに建立されたものと考えられる。また、現在の表門は四脚門で、棟札から応其上人250回忌にあたる安政4年(1857年)に建立されたことがわかる。