戸塚宿 From Wikipedia, the free encyclopedia 種類古代宿場所在地神奈川県横浜市戸塚区座標北緯35度24分 東経139度32分 / 北緯35.4度 東経139.53度 / 35.4; 139.53座標: 北緯35度24分 東経139度32分 / 北緯35.4度 東経139.53度 / 35.4; 139.53戸塚宿戸塚宿(歌川広重『東海道五十三次』)種類古代宿場所在地神奈川県横浜市戸塚区座標北緯35度24分 東経139度32分 / 北緯35.4度 東経139.53度 / 35.4; 139.53座標: 北緯35度24分 東経139度32分 / 北緯35.4度 東経139.53度 / 35.4; 139.53横浜市における戸塚宿の位置横浜市の地図を表示戸塚宿 (関東地方)関東地方の地図を表示 この項目に含まれる文字「塚」は、オペレーティングシステムやブラウザなどの環境により表示が異なります。 「塚」の文字は公式の表記「(塚)」と異なる可能性があります。 戸塚宿(とつかしゅく、とつかじゅく)は、東海道五十三次の5番目の宿場である。東海道では相模国最東端の宿場町である。相模国鎌倉郡(今の神奈川県横浜市戸塚区)にある。 日本橋から旅程がちょうど一泊目にあたり、旅籠数が五十三次中、小田原宿に次ぐ規模であった。当初、保土ヶ谷宿の次は藤沢宿であったが、上記の理由から戸塚にも宿屋が増え、客を奪われることを恐れた藤沢宿の猛反対を押し切り、幕府公認となった。 江戸方見附跡付近 上方見附跡付近 吉田町、戸塚町、矢部町の三町からなる。見附は、現在の吉田町イオン前と戸塚町大坂下(バス停前)にあり、品濃町と原宿町に一里塚が残る。大山道、鎌倉街道、厚木街道などと交差する要衝であった。幕末の黒船来航の際には、避難民が逃げてきたといわれている。 本陣 澤辺・内田の二軒の本陣があった。澤邉本陣跡には屋敷神であった羽黒神社が現存している。内田本陣跡は戸塚郵便局になっている。 備考 戸塚宿にちなむ川柳「佐野の馬 戸塚の坂で 二度転び」は鉢の木物語のパロディで、「いざ鎌倉」と馳せ参じた老馬が鎌倉目前の戸塚で転んだ、という意味。「戸塚の坂」は戸塚宿の上方寄りにある大坂、あるいは保土ヶ谷宿との間にある権太坂や品濃坂(東戸塚駅近く)のことともいう。 元遊廓の名残として、料亭の「丁字屋」が近年まで営業していた。 最寄り駅 JR東海道本線・横須賀線・湘南新宿ライン・横浜市営地下鉄ブルーライン 戸塚駅 隣の宿場 保土ヶ谷宿 - 戸塚宿 - 藤沢宿(途中に原宿と鉄砲宿の2つの間宿がある。) 関連項目 戸塚宿七福神巡り 踊場駅 - 「猫の踊り場伝説」に駅名が由来する。 道行旅路の花聟 - 歌舞伎の演目、戸塚山中(大坂上付近とされる)が登場する。 外部リンク ウィキメディア・コモンズには、戸塚宿に関するカテゴリがあります。 この項目は、日本の歴史に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:日本/P:歴史/P:歴史学/PJ日本史)。表示編集 表話編歴東海道 (江戸:日本橋) 品川 川崎 神奈川 保土ヶ谷 戸塚 藤沢 平塚 大磯 小田原 箱根 三島 沼津 原 吉原 蒲原 由比 興津 江尻 府中 鞠子 岡部 藤枝 島田 金谷 日坂 掛川 袋井 見附 浜松 舞阪 新居 白須賀 二川 吉田 御油 赤坂 藤川 岡崎 池鯉鮒 鳴海 宮 桑名 四日市 石薬師 庄野 亀山 関 坂下 土山 水口 石部 草津 大津 (京:三条大橋) 関所 箱根関所 今切関所(新居関所) 大津街道京街道 大津 (髭茶屋追分) 伏見 淀 枚方 守口 (大坂:高麗橋) 脇街道 中原街道 矢倉沢往還 本坂通 美濃路 佐屋路 関連項目 五街道 日光街道 奥州街道 中山道 甲州街道 東海道五十三次 東海道新幹線 東海道本線 国道1号 東名高速道路 名神高速道路 カテゴリ Related Articles