藤沢宿
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種類古代宿場
| 藤沢宿 | |
|---|---|
藤沢宿(歌川広重『東海道五十三次』より) | |
| 種類 | 古代宿場 |
| 所在地 | 神奈川県藤沢市 |
| 座標 | 北緯35度21分 東経139度29分 / 北緯35.35度 東経139.48度座標: 北緯35度21分 東経139度29分 / 北緯35.35度 東経139.48度 |
慶長6年(1601年)に東海道の宿場となった。後に戸塚宿、川崎宿が追加され東海道6番目の宿場となる。東海道五十三次整備以前から清浄光寺(遊行寺)の門前町として栄え、後北条時代は小田原城と支城の江戸城の桜田門、八王子城、玉縄城をつなぐ小田原街道の分岐点だった。
清浄光寺の東側に江戸側の見附(江戸方見附)があり、現在の小田急江ノ島線藤沢本町駅を越えた西側あたりに京都側の見附(上方見附)があった。この範囲が藤沢宿である。
境川に架かる大鋸(だいぎり)橋(現遊行寺橋)を境に、江戸側(東岸)の大鋸町[注釈 1](後に西村が分立)は相模国鎌倉郡、京都側(西岸)の大久保町、坂戸町は同国高座郡に属した[1]。
右上の浮世絵の背景に見られるように清浄光寺(通称:遊行寺)が近くにあり、手前の大鋸橋の京都側南東には江島神社の一の鳥居があり、ここから絵の手前右手へ江の島道が約1里(約4km)の距離で江の島に通じていた。また八王子道(現・国道467号)のわきには源義経が祀られている白旗神社がある。幕末には70軒以上の旅籠があった。
本陣
藤沢御殿
ふじさわ宿交流館
名所・旧跡・観光スポット・祭事・その他
名物
代官
以下は藤沢宿支配の歴代代官の一覧であるが、藤沢宿には代官所は存在しなかった。
- 慶長元年(1596年)- 彦坂小刑部元正
- 慶長6年(1601年)- 深津八九郎孝勝
- 慶長8年(1603年)- 米倉助右衛門永時
- 慶長12年(1607年)- 依田肥前守信重
- 元和3年(1617年)- 服部惣左衛門
- 慶安2年(1649年)- 成瀬五左衛門重治
- 天和3年(1683年)- 国領半兵衛重次
- 貞享4年(1687年)- 西山八兵衛昌親
- 元禄4年(1691年)- 古郡文右衛門正府
- 元禄10年(1697年)- 竹村惣左衛門嘉躬
- 元禄13年(1700年)- 平岡三郎右衛門尚宣
- 元禄14年(1701年)- 小長谷勘左衛門(市右衛門)正綱
- 宝永7年(1710年)- 小林又左衛門正府
- 正徳4年(1714年)- 河原清兵衛正真
- 享保6年(1721年)- 江川太郎左衛門英勝(韮山代官所代官)
- 享保6年(1721年)- 松平金左衛門
- 享保9年(1724年)- 日野小左衛門正晴(韮山代官所代官)
- 享保17年(1732年)- 齋藤喜六郎直房
- 寛延2年(1749年)- 戸田忠兵衛正方
- 寛延2年(1749年)- 辻六郎左衛門富安
- 宝暦元年(1751年)- 岩出伊左衛門信之
- 明和2年(1765年)- 伊奈半左衛門忠宥
- 明和5年(1768年)- 池田喜八郎季庸
- 明和6年(1769年)- 久保田十左衛門政邦(後の勘定奉行)
- 明和7年(1770年)- 江川太郎左衛門英征(韮山代官所代官)
- 明和7年(1770年)- 野田文蔵
- 寛政4年4月(1791年)- 小笠原仁右衛門
- 寛政4年6月(1791年)- 大貫次右衛門鎌次郎
- 文政6年11月(1823年)- 中村八太夫(天領代官による当分預かり)
- 天保2年6月20日(1831年)- 江川太郎左衛門英毅(韮山代官所代官)
- 天保5年(1834年)- 江川太郎左衛門英龍(韮山代官所代官)
- 安政2年(1855年)- 江川太郎左衛門英敏(韮山代官所代官)
- 文久2年(1862年)- 江川太郎左衛門英武(韮山代官所代官。後の韮山県令。)
