桑名宿
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脇往還佐屋街道もここから分岐していた。徳川四天王の本多家のほか、各松平家の大名が藩主を務めた桑名藩の城下町でもある。
江戸時代後期の調査では、本陣:2軒、脇本陣:4軒、旅籠屋:120軒を擁し、家数:2,544軒、人口:8,848人(男性:4,390人、女性:4,458人)であったと記録されている[1]。東海道では旅籠屋数で宮宿に次ぐ2番目の規模を誇った。
宮宿とは、東海道で唯一の海上路である七里の渡しで結ばれ、伊勢国、および、伊勢参りの玄関口となっていた。
江戸時代の宿場町は揖斐川沿いにあったが、関西鉄道桑名駅が宿場町の西側に設けられて以降、市街地は西にシフトした。
話し言葉(方言)において木曽三川が東京式アクセントと京阪式アクセント(関西式アクセント)の境界であることから[2]、桑名宿は東海道における京阪式アクセント地区最東端の宿場町となっている。




