打掛
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歴史
室町時代の武家では婚姻の形式が嫁入婚へと移行し、家督を継ぐ意味の婚礼が重要視されるようになり、婚礼衣装は白打掛に小袖を着用する様式が確立された[2]。この婚礼衣装は後世の白無垢姿の原型になっている[2]。
文明11年(1479年)には、後土御門天皇が八代将軍足利義政の正妻の日野富子を宴に招いた際に、打掛の服装を許可する別勅を発した。
江戸時代には上層武士の婚礼において、花嫁は白地に銀の箔押しや縫箔の打掛を着用したる[2]。大名の姫君の婚礼では数枚の小袖を重ねてから、緋の袴を履き、その上に打掛を着用したる[2]。
江戸時代末期から明治時代になると白地の振袖の上に赤地の振袖を重ね、その上に黒地の振袖あるいは打掛を重ねて着用する三襲(三つ襲)もみられるようになった[1]。
