新垣敏之

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国籍 日本の旗 日本
チーム チームHRC
Team ROC Banco
Padgett's TUBE Riders
チーム・パトン
レース数 31 (30スタート)
通算獲得ポイント 31
新垣 敏之
グランプリでの経歴
国籍 日本の旗 日本
チーム チームHRC
Team ROC Banco
Padgett's TUBE Riders
チーム・パトン
レース数 31 (30スタート)
通算獲得ポイント 31
初グランプリ 1990年 250cc 日本GP
最終グランプリ 1996年 500cc オーストラリアGP
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新垣 敏之 (あらかき としゆき、: Toshiyuki Arakaki1965年2月17日 - ) は、沖縄県沖縄市出身[1]オートバイ・ロードレーサー1987年の全日本ロードレース選手権 ジュニアTT F-IIIクラスチャンピオン[2]。身長161cm、体重54kg。

1992年よりロードレース世界選手権・GP500(現MotoGP)に参戦した。ヨーロッパのメディアではToshi Arakaki表記で報じられることもある[3]

初期の経歴

子供のころからオートバイが好きで早く乗りたいと思っており、中学の頃から家の近所にあった米軍基地の中でアメリカ兵たちと一緒にモトクロスで遊ぶようになった[1]。この時期の仲間には、1982年全日本モトクロス・ジュニア125cc王者となるロン・キンダーも一緒に走っていた[1]

16歳になるとすぐに二輪運転免許を取ったが、レースに参戦したい一心で地元の高校を1年を中退し、17歳の時に沖縄を出て兄を頼り上京。何の当てもなかったが、オートバイが好きだという気持ちだけで就職先を探し、バイクショップでの仕事を見つける。しかし最初の店はまったくモータースポーツ活動に関わっていない店だったため1年で辞め、レース活動に理解のあった「東和モータース」で整備工を募集しているのを知り入社する[1]

仕事をしながら東和モータースでカワサキ・GPZ400を購入するローンを組み、2年ほど富士スピードウェイのプロダクションレースに参加していた。もっと本格的にロードレースに参戦したい気持ちが高まっていたところ、東京・用賀でカスタムバイクを制作し「筑波バトルオブザツイン(B.O.T.T)」に参戦しているショップ「スコードロン」の社長が新垣に「うちのバイクでB.O.T.Tに参戦しないか?」と声をかけたことが転機となる。ヤマハ・SRX400で初めて筑波サーキットを走行した新垣は、ここで2位の好成績を出した。

全日本選手権参戦

1986年に全日本ロードレース選手権を管轄する日本モーターサイクルスポーツ協会(MFJ)のライセンスを取得。「スコードロン」とパーツの取引で繋がりのあったチームル・マンとの縁で、新垣は市販レーサーのヤマハ・TZ250を入手し、このマシンでノービス250ccに参戦を開始する。同年の鈴鹿4時間耐久レースにもホンダ・VFR400で参戦した。シーズンを終えると筑波選手権ノービス250ランキング2位を獲得し、この好成績によりノービスを卒業しジュニアライセンスへ昇格する。

1987年は全日本ロードレースジュニア250にTZ250、ジュニアTT F-IIIクラスにホンダ・NSR250Rでダブルエントリー。この年のジュニアには伊藤真一岡田忠之福智学宮崎敦らのちのGPライダー・国際A級トップライダーとなる選手が属し、同期である[4]。同年の新垣は「ジュニアで筑波のラップタイム1分を切るライダーがいる」と話題になるなど、ロードレース界での知名度が上昇した[5]。F-IIIクラスでは年間5勝を挙げ、シリーズチャンピオンを獲得。この結果により1988年からの国際A級昇格が決まった。

国際A級昇格後、250ccクラスにフル参戦し2年連続で年間トップ10に入り、1990年ホンダワークス(HRC)と契約、250ランキング6位を獲得。1991年は全日本250ランキング4位に入った。

世界選手権参戦

1992年、プライベータ―としてROCヤマハのマシンでロードレース世界選手権の最高峰クラスであるWGP500にフル参戦を果たす。ライダー1人・メカニック1人の最小体制での参戦だったが、第10戦フランスGPと第11戦イギリスGPで10位に入賞しポイントを獲得する。このフル参戦は「プライベーターでないと分からない苦しいこともあるけど、お金には代えられないとても貴重な経験の数々だった。来年続けないわけにいかないな、っていう思いです。毎日スポンサー獲得のために企画書もって歩き回っています。」と充実感を述べている[6]

1995年の第3戦日本グランプリ(鈴鹿)は雨となったが、このレースではグランプリでのキャリアベストとなる8位でチェッカーを受けた。

1996年シーズン終盤には、とても小さいながらも伝統的にグランプリに参戦するイタリアの小チーム「パトン」のマシンに乗る機会もあった[7]。最終戦オーストラリアGPではパトンのマシンで15位に入り、貴重な1ポイントをもたらした(パトンにとって同年唯一のポイント獲得)。グランプリ参戦はこの1戦が最後となった。

WGP以外では、スーパーバイク世界選手権へのスポット参戦や、2001年3月にKENZ SUZUKIのデイトナ遠征のライダーとしてGSX-R1000でフォーミュラUSA・アンリミテッドスーパーバイクへの参戦歴を持つ[8]

2000年代以後も全日本ロードレース、鈴鹿8時間耐久レースに参戦。2006年の全日本ロードレース選手権・ST600クラス第3戦ではヤマハ・YZF-R6で3位表彰台を獲得し、健在な技術を見せた[9]

2024年現在『ライディングスクール虎の穴』で校長を務め、ライディングに関するコーチングをユーザーに提供、オートバイライフ向上に尽力する[10]

レース戦歴

ロードレース世界選手権

クラス 車両 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 順位 ポイント
1990年 250cc ホンダ JPN
Ret
USA ESP NAC GER AUT YUG HOL BEL FRA GBR SWE CZE HUN AUS - 0
1991年 ホンダ JPN
15
AUS USA ESP ITA GER AUT EUR HOL FRA GBR SMA CZE LMA MAL 38位 1
1992年 500cc ROC-ヤマハ GP1 JPN
DNQ
AUS
16
MAL
13
SPA
18
ITA
15
EUR
14
GER
Ret
HOL
13
HUN
Ret
FRA
10
GBR
10
BRA
14
SAF
11
26位 2
1993年 ROC-ヤマハ GP1 AUS
23
MAL
23
JPN
12
ESP AUT GER HOL EUR SMA GBR CZE ITA USA FIM 34位 4
1995年 ハリス-ヤマハ SLS500 AUS
MAL
JPN
8
ESP
GER
Ret
ITA NED FRA
9
GBR
11
CZE
BRA
ARG
EUR
20位 20
1996年 ハリス-ヤマハ SLS500 (Rd.1-7)
パトン・V70 C10/2 (Rd.14-15)
MAL
17
INA
17
JPN
14
SPA
17
ITA
Ret
FRA
15
NED
Ret
GER
-
GBR
-
AUT
-
CZE
-
IMO
-
CAT
-
BRA
Ret
AUS
15
25位 4

スーパーバイク世界選手権

マシン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 順位 ポイント
R1 R2 R1 R2 R1 R2 R1 R2 R1 R2 R1 R2 R1 R2 R1 R2 R1 R2 R1 R2 R1 R2 R1 R2 R1 R2
1993年 ドゥカティ・888 IE1
IE2
DE1
DE2
ES1
ES2
SM1
SM2
AT1
AT2
CZ1
CZ2
SE1
SE2
MY1
MY2
JP1
11
JP2
6
NL1
NL2
IT1
IT2
GB1
GB2
PT1
PT2
32位 15
1994年 ドゥカティ・916 GB1
GB2
DE1
DE2
SM1
SM2
ES1
ES2
AT1
AT2
ID1
ID2
JP1
Ret
JP2
Ret
NL1
NL2
IT1
IT2
GB1
GB2
AU1
AU2
- 0
1995年 ホンダ・RVF750/RC45 DE1
DE2
SM1
SM2
GB1
GB2
IT1
IT2
ES1
ES2
AT1
AT2
US1
US2
EU1
EU2
JP1
22
JP2
25
NL1
NL2
ID1
ID2
AU1
AU2
- 0

全日本ロードレース選手権

チーム マシン 区分 クラス 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 順位 ポイント
1987年 PERSON'S Teamルマン ホンダ・NSR250R ジュニア TT F3 SUZ
TSU
3
- TSU
Ret
SUG
1
- TSU
1
SUG
1
TSU
Ret
- SUZ
1
TSU
1
1位 118
ヤマハ・TZ250 250cc - TSU
Ret
- TSU
SUG
5
SUZ
Ret
TSU
Ret
- TSU
1
SUG
13
SUZ
Ret
TSU
4
9位 50
1988年 Teamルマン ホンダ・RS250R 国際A級 SUZ
10
TSU
NIS
TSU
SUZ
TSU
3
SUG
9
SEN
4
SUG
SUZ
7
SUG
15
TSU
10位 51
1989年 LM SPORTS Teamルマン ホンダ・RS250R TSU
SUZ
NIS
3
SUG
11
TSU
8
SUZ
Ret
TSU
5
SUG
3
SUZ
10
SEN
7
SUG
8
TSU
5
6位 91
1990年 Team HRC ホンダ・NSR250 TSU
NIS
4
SUG
Ret
TSU
4
SUZ
8
TSU
4
SUG
Ret
FSW
SUZ
7
SEN
4
SUG
3
TSU
4
6位 100
1991年 ホンダ・RS250R TSU
7
SUG
8
TSU
3
SUZ
8
TSU
5
FSW
10
SUG
7
SUZ
5
SEN
8
SUG
14
TSU
2
4位 107
1993年 日鉱共石R.T スズキ・GSX-R TT F1 SUZ
MIN
SUG
TSU
SEN
C
SUZ
SUG
FSW
SUZ
TSU
SUG
TSU
8
21位 11
1995年 TUBE RIDERS ホンダ・RVF/RC45 国際 SB SUG
TSU
FSW
SUZ
SUG
MIN
SUZ1
SUZ2
TIA
SUG1
15
SUG2
SUZ
33位 3
1998年 チームVITAL SPIRIT ホンダ・RVF/RC45 MOT
10
SUG
TSU
14
SUZ
MIN
SUZ
8
TSU
14
T I
SUG
18位 18
1999年 プロトレーシング&ノジマ カワサキ・ZRX S-NK MIN
-
SUG
-
TSU
-
SUZ
Ret
MOT
-
SUG
-
SUZ
-
TSU
-
T I
-
MOT
- 0
2000年 ノジマエンジニアリング&プロト カワサキ・ZRX1100 SUZ
-
MIN
-
TSU
4
SUZ
4
MOT
-
SUG
-
SUZ
-
TSU
-
SUG
-
T I
-
MOT
-
13位 13
2006年 ARA新垣学校 虎ノ穴 TAMITON-R ヤマハ・YZF-R6 ST600 MOT
-
TSU
3
A P
-
SUG
-
OKA
DNS
SUZ
-
17位 15
2012年 Team ARA 虎の穴 ヤマハ・YZF-R6 MOT
-
TSU
15
AP1
-
AP2
-
SUG
-
OKA
-
SUZ
-
35位 6

鈴鹿8時間耐久ロードレース

チーム ペアライダー 車番 マシン 予選順位 決勝順位 周回数
1994 ライダーズクラブキタノRT 北尾公二 47 ホンダ・RVF750/RC45 25位 19位 174
1995 TUBE RIDERS & 神戸復興RCキタノ 北尾公二 32 ホンダ・RVF750/RC45 21位 26位 197
1997 VITAL SPIRIT 辻本範行 59 ホンダ・RVF750/RC45 19位 Ret 101
1998 いわたトンボレーシング・ジュビロ 長谷川克憲 65 ヤマハ・YZF750SP 23位 Ret 82
1999 プロトレーシング & ノジマ 戸田隆 21 カワサキ・ZRX1100 32位 Ret 158
2000 戸田隆 21 カワサキ・ZRX1100 31位 55位 150
2001 KENZ Jトラストレーシング 北川圭一
戸田隆
8 スズキ・GSX-R1000 8位 5位 213
2002 BOXERスポーツクラブ 戸田隆 135 BMW・R1100S 70位 35位 195
2004 OSGフェニックス & MOTO SPORTS 大石正彦 64 ホンダ・CBR1000RR 19位 10位 203
2005 川上智彦 64 ホンダ・CBR1000RR 24位 Ret 17
2006 WINスズキ with VANレーシングチーム 生形秀之 55 スズキ・GSX-R1000 18位 Ret 55
2007 WIN-CHU SUZUKI 鈴木大五郎 333 スズキ・GSX-R1000 24位 44位 195
2008 KANSAI YAMAMOTO & angela 石川朋之
左村英祐
88 スズキ・GSX-R1000 20位 49位 178
2012 OVERレーシング & モト・イタリアーナ鈴鹿 大西敬紀
豊田浩史
30 アプリリア・RSV4 27位 Ret 48
2013 Daniele Veghini
Levi Day
30 アプリリア・RSV4 31位 Ret 111

関連作品

脚注

外部リンク

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