1990年の全日本ロードレース選手権
From Wikipedia, the free encyclopedia
| 1990年の全日本ロードレース選手権 | |||
| 前年: | 1989 | 翌年: | 1991 |
1990年の全日本ロードレース選手権 (1990ねん の ぜんにほんロードレースせんしゅけん) は、1990年(平成2年)3月4日の鈴鹿BIG2&4レースで開幕し、同年10月28日のMFJグランプリ (筑波)で閉幕した1990年シーズンの全日本ロードレース選手権である。
トップカテゴリーの500ccクラスチャンピオンは伊藤真一(ペンタックス・ホンダ)が獲得した[1]。
500cc
FIMロードレース世界選手権のレギュレーション仕様に準じたゼッケン表記の変更が実施され、本年より全日本選手権でも500ccクラスは黄色地に黒数字、250ccクラスは緑地に白数字、125ccクラスは黒字に白数字での表記が義務付けられた。TTフォーミュラ1はスーパーバイク世界選手権と同じく白地に黒数字のゼッケン表記となった。
8月上旬に富士スピードウェイでの開催がカレンダーに組み込まれたが、全日本ロードレースが富士で開催されるのは1969年以来21年ぶりであった[2]。
開幕戦筑波は雨の中行なわれ、ネスカフェ・ヤマハの町井邦生が500cc初優勝を挙げる幕開けとなった。PENTAX ホンダの伊藤真一は雨と強風で難コンディションの中、着実に3位表彰台を得たが、一方で前年3年連続チャンピオンとなったヤマハのエース藤原儀彦は得意の筑波での開幕を7位(参戦台数の規定によりノーポイント)と出遅れた[3]。伊藤&NSRは続く鈴鹿-SUGO-筑波-筑波と連勝を続けポイントリーダーとして理想的なポイント差を構築する。対する藤原は、伊藤の後方で宮城光(味の素ホンダ)、樋渡治(Schickアドバンテージ・スズキ)、町井などの第二集団に吸収されるケースが続き、第6戦筑波では転倒後に最後尾から追走しなければならないなど、シーズン前半は歯車がかみ合わなかった[4]。
伊藤による5連続ポールポジションと決勝レース4連勝でシーズンの流れはホンダ優勢で進んだが、8月に入り第11戦富士でヤマハ・YZRがようやく復調の兆しを見せる。WGP500でのYZR500の戦いをサポートするべく国内でのマシン開発を担う平忠彦が今季初の全日本スポット参戦をすると、予選でポールポジションを獲得し、藤原も3番手につける。決勝では藤原が伊藤を寄せ付けず独走でシーズン初優勝、ストップ・ザ・ホンダを果たした[5]。マシンのセッティングも改善した藤原はこの勝利のあと第12戦SUGO-第13戦鈴鹿まで3連勝で猛追、伊藤とのポイント差を17ポイント差まで縮めタイトル獲得の権利を残した[6]。
全日本第15戦となるSUGOでの『第18回TBCビッグロードレース』には、WGP最終戦を終了したケビン・シュワンツ(スズキ)、ニール・マッケンジー(スズキ)、クリスチャン・サロン(ヤマハ)と3名のグランプリ・ライダーが参戦、藤原は健闘し日本勢トップとなる3位表彰台を獲得したが、伊藤は手首を痛めているなど調子が上がらず9位でレースを終え、ポイント差が6とシーズンで最も接近する[7]。最終戦・MFJグランプリ(筑波)では、これまで未勝利の宮城光(ホンダ)がトップを走っていた伊藤を追い抜きトップを走行。2位走行中の伊藤は、レース中盤15周目から3位藤原との激しいバトルとなった。伊藤はこのまま藤原を抑えきればタイトルを獲得できるが、終盤に入った24周目に最終コーナーからストレートにかけての加速で藤原が伊藤をパスし攻略に成功。藤原はトップを行く宮城を捕らえることができれば合計ポイントで伊藤を逆転し4連覇達成となる。500ccでの優勝経験がない宮城だったが、最後まで藤原の追撃を0.4秒差で抑え500cc初優勝を達成。2位藤原、3位伊藤でチェッカーを受け、最終ポイントでは4ポイント伊藤がリードを保って自身初の全日本500チャンピオンを獲得。宮城の勝利は伊藤+NSRタイトル獲得の大きな助けとなった。伊藤にとっては1988年のA級昇格と同時のホンダワークス入り以来、3シーズン目での悲願達成となった。また、ホンダの全日本500タイトル獲得は1986年の木下恵司以来4年ぶり2回目となった[8]。
250cc
前年初の全日本王者となった岡田忠之がホンダ・ワークス(HRC)入りし、ホンダ・NSR250で連覇を目指す年となった[9]。この年の全日本250ccクラスの特徴の一つに、ブリヂストンタイヤのレーシングスリック供給体制強化があった。これまでもブリヂストンはロードレース用タイヤを少数体制で供給し、実績として1987年日本GPでの小林大によるWGP250優勝や、前年の岡田による全日本タイトル獲得などの結果を重ねていたが、その体制をさらに強化。ワークスマシンではホンダワークスの岡田、A級2年目の青木宣篤(カップヌードル・ホンダ、監督は前述の小林大[10])、エンデュランスレーシング・ホンダの宇田川勉と田口益充に加え、ヤマハでTZ250開発を担う難波恭司もブリヂストンタイヤ装着で参戦する[11]。前シーズンまでダンロップタイヤユーザーだったヤマハのエース本間利彦(UCCヤマハ)が、本年はミシュランタイヤを使用する。
開幕戦・筑波はウェットコンディションで行われ、ホンダ・NSRの1-2-3-4(岡田-青木-宇田川-田口)で始まったが、2戦目の西日本大会ではネスカフェ・ヤマハの原田哲也(国際A級2年目/ヤマハ・TZ250)が田口との首位争いを勝ち抜きA級昇格後の初優勝を挙げ、本来ヤマハのエース格であり、ワークス車YZR250に乗る本間利彦が2位とヤマハ勢による1-2フィニッシュでホンダに対して一矢報いた。続くSUGOでもヤマハ・YZRの本間がポールポジションを獲得し、決勝でもホールショットを奪ったものの序盤にして転倒リタイアとなり、本間は以後調子が下降する。TZに乗る原田は以後3戦連続で優勝の岡田+NSRに続く2位表彰台を獲得し続け、前年より台数の増加したホンダ・NSR勢に対抗する筆頭の存在となる[12]。第7戦鈴鹿で転倒した本間は第8戦筑波を欠場、その筑波では原田がトップ走行中にペースが急に落ちた岡田を捕らえ、シーズン2勝目を獲得。
第9戦SUGOでは500ccクラスの開催が無かったため、伊藤真一がHRCよりNSR250で250ccクラスに参戦。伊藤のNSRは従来のキャブレターではなくフュエルインジェクション(EFI/電子制御燃料噴射装置)がセットされており、新機構の実戦テストが行われた[13]。レースでは岡田がポールtoフィニッシュで5勝目を挙げ、開幕戦以来二度目のホンダ1-2-3-4フィニッシュ(岡田-田口-青木-宇田川)を達成、原田は5位でフィニッシュした。第11戦富士では本間だけではなく原田にもYZR250が与えられ、レースでは終始岡田+NSRと接戦を展開。最終ラップにスリップストリームの攻防を制した原田がシーズン3勝目を獲得する[14]。
第13戦鈴鹿では予選から岡田+NSRが好調、決勝レースでもトップ独走で唯一2分14秒台で継続走行を見せる中、原田を先頭とする2位グループは2分16秒台であり、2位原田との差は24秒という独走優勝であった[15]。第14戦西仙台ハイランド大会では、レース中盤から岡田VS原田の首位バトルが最終ラップまで続き、トップを奪った原田だったが最終周の最終コーナーでスリップダウン。その脇を岡田がすり抜けシーズン7勝目を獲得、タイトルに王手をかけた。原田はすぐにマシンを起こして再スタートし、2位でゴールした。
第15戦TBCビッグロードレース(SUGO)には、同年のWGP250で圧勝を見せたジョン・コシンスキーが参戦。このレースからコシンスキーと原田、難波恭司には翌年仕様の新型TZ250(V型エンジン搭載)が先行投入された。予選ではポイントリーダーの岡田がポールポジションを獲得し、決勝レースでも好スタートを切りトップを走行する。しかし序盤6ラップ目に3コーナーで転倒[11]、以後はコシンスキーが独走で優勝しWGPトップレベルの走りを見せた。原田は2位で表彰台に立ち17ポイントを獲得。ここでノーポイントとなった首位岡田とのポイント差わずか「5」まで接近しての最終戦・MFJグランプリ(筑波)を戦うこととなった[16]。
チャンピオン決定戦となった最終戦・筑波は、スタートで一瞬先行した原田を第1コーナー出口からのライン取りで岡田がうまく交わし、トップに立つ。岡田・原田の後方からは、岡田と同じホンダ勢の田口益充、宇田川勉、新垣敏之が原田を追い、一時は岡田-田口-宇田川のホンダ1-2-3体制となる。原田は宇田川を抜き返し3位に戻るが、トップを走る岡田はチェッカーまで危なげなく安定した速さで優勝[11]。全日本選手権250ccクラス二連覇を達成した[17]。2位には田口が入り、結果として岡田のアシスト役となった。原田は3位で終えタイトルには届かなかったが、A級昇格2年目でのランキング2位獲得[18]と、ヤマハを背負って戦い続けた健闘が光ったシーズンとなった。原田は1シーズン中に3つの違うマシン('90TZ / YZR / '91TZ)を乗り継ぐことになったが、車両のセッティングについて学ぶことも多かったと述べており、「かなり極端なリヤ下がりの姿勢にセッティングしていた。当時の僕はリヤが高いとブレーキングが怖くて奥まで突っ込むことができなかったんです。翌'91年のTZMまでは、リヤが低くて曲がるためにはブレーキをコーナーの奥まで引きずったり、その引きずり量をかなり繊細にコントロールしていました。」と特徴ある仕様の車両だったと証言している[19]。
スケジュールおよび勝者
| Rd. | 決勝日 | 開催イベント | 500cc 優勝 | 250cc 優勝 | 125cc 優勝 | TT F1 優勝 | TT F3 優勝 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 | 3月4日 | 鈴鹿BIG2&4 | ― | ― | ― | 岩橋健一郎 | 岩橋健一郎 |
| 2 | 4月8日 | 筑波ロードレース大会 | 町井邦生 | 岡田忠之 | 島正人 | ― | ― |
| 3 | 4月22日 | 鈴鹿ロードレース大会 | 伊藤真一 | ― | ― | 宮崎祥司 | ― |
| 4 | 4月29日 | 西日本ロードレース大会 | ― | 原田哲也 | 上田昇 | ― | 鶴田竜二 |
| 5 | 5月13日 | TTフォーミュラSUGO大会 | 伊藤真一 | 岡田忠之 | 岡本利行 | ― | ― |
| 6 | 5月27日 | 筑波ロードレース大会 | 伊藤真一 | 岡田忠之 | ― | ― | 鶴田竜二 |
| 7 | 6月10日 | 鈴鹿200kmレース大会 | ― | 岡田忠之 | ― | ダリル・ビーティー | 下川浩治 |
| 8 | 6月24日 | 筑波ロードレース大会 | 伊藤真一 | 原田哲也 | 坂田和人 | 岩橋健一郎 | ― |
| 9 | 7月8日 | SUGOロードレース大会 | ― | 岡田忠之 | ― | 宮崎祥司 | 加藤義昌 |
| 11 | 8月5日 | ロードレースカップ in FISCO | 藤原儀彦 | 原田哲也 | ― | ― | 加藤義昌 |
| 12 | 8月26日 | SUGOスーパーバイク併催大会 | 藤原儀彦 | ― | 上野秀明 | ― | ― |
| 13 | 9月9日 | 鈴鹿インターナショナル大会 | 藤原儀彦 | 岡田忠之 | 坂田和人 | 宮崎祥司 | ― |
| 14 | 9月23日 | 西仙台ハイランドロードレース大会 | ― | 岡田忠之 | 若井伸之 | ― | 鶴田竜二 |
| 15 | 10月7日 | TBCビッグロードレース (SUGO) | ケビン・シュワンツ | ジョン・コシンスキー | ― | 宮崎祥司 | ― |
| 16 | 10月28日 | MFJグランプリ (筑波) | 宮城光 | 岡田忠之 | 坂田和人 | ピーター・ゴダード | 福島聡 |
| チャンピオン | 伊藤真一 | 岡田忠之 | 坂田和人 | 岩橋健一郎 | 鶴田竜二 | ||
- F3クラスの第1戦は、3月25日に世界選手権日本GPと併催。
- 第10戦は7月22日に国内A級鈴鹿6時間耐久レースを開催、国際A級の開催は無かった。