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日本のユダヤ人

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日本のユダヤ人(にほんのユダヤじん、ヘブライ語: יהדות יפן)では、日本に一定期間在住するユダヤ人の人に加え、ユダヤ教徒に改宗した日本人やその子孫、さらには日本帰化者、日本に関わりが深い人も含んで説明する。

東京渋谷区広尾にある日本ユダヤ教団本部・シナゴーグ。なお、この建物は2009年に建て替えられる前の旧建造物である[2][3]。
概要 総人口, 居住地域 ...
日本のユダヤ人
ヘブライ語: יהדות יפן
Star of David Menorah イスラエルの旗日本の旗
総人口
不明
(推定400〜2,000人[1])
居住地域
神戸・長崎・東京・横浜・徳島
言語
ヘブライ語・日本語・英語
宗教
ユダヤ教
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日本のユダヤ人社会

かつては、神戸と長崎に比較的大きなユダヤ教徒のコミュニティがあったが、第二次世界大戦の影響で、戦後に多くの在日ユダヤ人はアメリカ合衆国などへ移住した。現在の日本在住ユダヤ人の多くは、ユダヤ系アメリカ人などの一時滞在者であるが、イスラエルからの移住者もいる。ユダヤ人とは断定できないが、日本在住のイスラエル国籍者は802名(2005年末時点)である。また、非常に少ないが、個人的にユダヤ教に改宗した日本人も存在する。ただし、日本人がユダヤ教に改宗したとしても、彼らが自覚するユダヤ人としての生活を特に保護する特別な法制度は存在しない。

日本のユダヤ人コミュニティの歴史

イラク系ユダヤ人のコミュニティーが神戸に形成される。1941年頃までに40家族ほどが居住。
  • 1928年 - ユダヤ人民族区(ユダヤ自治州の前身)の設置。
  • 1938年 - ソビエト連邦と満州国の国境にあるシベリア鉄道・オトポール駅(現・ザバイカリスク駅)にて、ヨーロッパから逃げてきた18名のユダヤ人が亡命。満州国政府がドイツとの関係悪化を恐れ受け入れを拒んだ為、極東ユダヤ人協会の代表であるアブラハム・カウフマンの相談を受けた樋口季一郎少将が、状況を見かね、部下たちと共にユダヤ人たちへ食料や衣類、寒さを凌ぐための燃料、医療の手配、上海まで行くためのルート確保を行った(オトポール事件)。このルートは「ヒグチ・ルート」と呼ばれ、1938年から1940年にかけ、このルートで上海へ渡ったユダヤ人は4,000人〜2万人とも言われている。その後の杉原千畝や王替夫が上海日本人租界へとユダヤ難民を救出するルートとなった。この功績により、樋口は1941年6冊目の「ゴールデンブック」にその名前が載っている[5][6]。
  • 1939年6月 - 駐ベルリン満州国公使館書記官の王替夫が、ユダヤ人難民にビザを発給。1940年5月まで、ユダヤ難民含む合計12,000人以上が渡航した[7][8][9]。
  • 1940年7月 - リトアニア在カウナス領事館副領事の杉原千畝が、ユダヤ難民にビザ発給(1940年9月まで、ユダヤ難民含む合計およそ6,000人)。
  • 1941年5月末 - ソ連経由でポーランド系の難民が神戸に移住。杉原が1939年から1940年まで発行したビザによる難民も含まれていた。およそ6,000人のユダヤ人難民を受け入れた。
神戸のコミュニティーは第二次世界大戦中に大半が上海へ移動し、18,000人のコミュニティーが上海に形成され、アメリカ・ユダヤ人共同配給委員会(英:American Jewish Joint Distribution Committee)の支援下に生活を送る。中華民国の新しいコミュニティーとしては、ロシアを経て形成されたハルビン[10]、上海などのコミュニティーが知られている。
戦後まもなく、基督兄弟団、基督聖協団(医療・緑化運動支援)、キリストの幕屋(手島郁郎が設立。ヘブライ語辞典、ユダヤ教関連図書、歴史書の研究と出版活動も行っている)、聖イエス会(日本滞在支援、ヘブライ大学との協力)などといったキリスト教関係者がユダヤ人社会、イスラエル国との交流の先導を取りはじめる。
  • 1953年 - アメリカ軍関係者を中心の、東京・広尾にコミュニティーが形成される。東京に日本ユダヤ教団が設立される。
  • 1961年 - 東京に日本イスラエル文化研究会が設立される。機関紙「ユダヤ・イスラエル研究」を刊行。
  • 1979年12月 - ユダヤ人社会・経済・教育、ユダヤ教の包括的入門書として、手島佑郎の「ユダヤ人はなぜ優秀か」(サイマル出版会)が刊行される。
  • 1985年
5月 - 石川耕一郎の翻訳作業の成果である「ミシュナ」(セーデル・ネジーキーン、9・アーボート、10・ホーラーヨートの二冊)が出版される。
9月 - 「ベラホート」出版
  • 1986年2月 - 「タアニート、メギラァ、モエード・カタン、ハギガァ」出版。
  • 1987年4月 - 「ペサヒーム」出版。
  • 1993年6月 - 市川裕の翻訳による「モエードの巻 メギラー篇」出版(三貴)。
  • 1994年8月 - 手島佑郎「ユダヤ人のビジネス哲学」(ダイヤモンド社)刊行。
  • 1995年 - 広島県福山市にホロコースト記念館が設立される。関西に日本ユダヤ文化研究会(現 神戸・ユダヤ文化研究会(JJSK))が設立される。機関紙は「ナマール」。
  • 1996年 - イスラエル商工会議所設置。
  • 1997年12月 - 「ケリーム篇 ; オホロート篇 ; ネガイーム篇 ; パラー篇 ; トホロート篇 ; ミクヴァオート篇 ; マフシリーン篇 ; ザヴィーム篇 ; テヴール・ヨーム篇 ; ヤダイム篇 ; ウクツィーン篇」 翻訳出版(三貴)。
  • 2000年12月 - 大阪に、民間レベルで経済交流を行う財界人中心の商工会議所設置。
  • 2003年10月 - 石川耕一郎、三好迪の翻訳「ゼライーム」出版(教文館)。
  • 2004年3月 - 倉内ユリ子の翻訳による「シュヴオート篇」出版(ライブ)。

長崎のユダヤコミュニティ

長崎、梅香崎のベス・イスラエル・シナゴーグ
坂本国際墓地のユダヤ人区画

長崎のコミュニティーのメンバーの多くは、五月法にはじまる反ユダヤ政策により帝政ロシアからの逃亡を余儀なくされた移民である[11]。 1896年9月[4]、ハスケル・ゴールデンベルク R. H. Goldenberg とジークムント・D・レスナー S. D. Lessner により、長崎市梅香崎町にシナゴーグが設立された[11]。実業家で、長崎のユダヤ人の指導者的存在でもあったレスナーは、1901年発足のユダヤ教博愛協会と、翌年発足の英国系ユダヤ人会両会の会長に就任し[4]、さらに、会社経営者であったモリス・A・ギンズベルグ Morris A. Ginsburg の支援の下、新坂本国際墓地のユダヤ人区画開設にも尽力した[12]。ゴールデンベルクは二人の男児と一人の女児のいる日本人女性と結婚し、夫人はユダヤ教へ改宗した。1904年、二人のキリスト教徒(日本人)が彼らの合意によりユダヤ教へ改宗した。国内外の貧しいユダヤ人のための慈善(ツェダーカー)組織がレスナーにより組織された。この時期の長崎の総人口が10万7422人であったのに対し、長崎在住のユダヤ人の人口は100人ほどであった。

1904年に開戦した日露戦争は、長崎在住のユダヤ人商人の多くがロシア人およびロシア艦隊への物資供給に関わっていたことから、長崎のユダヤ人コミュニティー衰退のきっかけとなった[13]。また、長崎の国際貿易港としての地位低下や、1914年の第一次大戦開戦後、同盟国側のドイツ・オーストリア国籍を有したユダヤ人に対する日本政府による財産の没収、ユダヤ人の指導者的存在であったレスナーの急逝(1920年)により、長崎のユダヤ人コミュニティーは衰退の一途をたどり[14][15]、長崎のシナゴークも1924年に役割を終えた[16][17]。

参考文献:ジューイッシュ・クロニクル, June, 1904 "NAGASAKI" by Joseph Jacobs, Jewish Encyclopedia.com

 この記事にはパブリックドメインである次の文書本文が含まれる: Singer, Isidore [英語版]; et al., eds. (1901–1906). The Jewish Encyclopedia. New York: Funk & Wagnalls. {{cite encyclopedia}}: |title=は必須です。 (説明)Jewish Encyclopedia.com

明治・大正期のユダヤ人観

日露戦争においては、ロシアのアジア進出が顕著であり、特にシベリアや中央アジアに勢力を広げ、さらに満洲への進出を試みていた。このような状況の中、ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世の支持を受けたロシア皇帝ニコライ2世は、日本に対する攻勢を開始した[18]。

日本は戦時プロパガンダにおいて、アジアの諸民族をツァーリ体制による支配から解放することを掲げていた。これは、ポグロムによって東欧のロシア帝国領で当局や民間人から敵意を受けていたロシアのユダヤ人たちにも、強い影響を与えた。ロシア軍に所属していたユダヤ人兵士でさえ、軍内部の同僚からの敵意によって安全が保障されていなかった。

アジアの民族の一つとみなされたユダヤ人は、日本の捕虜となった際に比較的良好な待遇を受け、宗教上の祭日を執り行うことや、伝統的な食事をとることを許された。さらに、軍人でありシオニスト活動家でもあったヨセフ・トルンペルドール の指導のもと、120人のメンバーからなるシオニスト団体を結成することさえ認められた。[19][20][21][22]

この時期、日本はユダヤ系アメリカ人の銀行家ジェイコブ・シフ からも支援を受けた。シフは、ロシアを弱体化させ、同胞であるユダヤ人の苦難を軽減することを期待して日本への支援を始めたが、その後、日本の文化や日本人に純粋な関心を抱くようになった。後にシフは、明治天皇から大日本帝国の勲章である勲一等瑞宝章を1905年に、そして勲一等旭日大綬章を1907年に授与された。[23]

フグ計画

ロシア内戦において、日本はシベリアにおける反共産主義勢力の活動を支援した。この時期、ロシア側から日本人に対して『シオン賢者の議定書』が配布された。しかし、その影響はむしろ逆の方向に作用した。日本軍の一部は、この文書に記された陰謀論を、ユダヤ人が非常に知的で、強大な影響力を持ち、国際的に緊密に結びついた民族であることを示すものとして受け止め、そのようなユダヤ人の能力や国際的なネットワークを大日本帝国の利益のために利用できると考えるようになった。

その結果、ヨーロッパからのユダヤ人難民を日本へ移住させ、特に満洲国の地域において自治権を与える構想が検討された。この計画には、日本人にユダヤ教を、ユダヤ人に神道を紹介し、両者の宗教が類似していることを示す構想も含まれていた。また、アメリカの映画産業を支配していると日本側が考えていたユダヤ人を取り込み、ハリウッドにおける日本のソフト・パワーの構築に利用することや、世界の金融を支配していると考えられていたユダヤ人の影響力を利用して、日本によるアジア進出を支持させることも構想された。

移住計画では、受け入れるユダヤ人移民の人口を1万8000人から60万人とする複数の想定が立てられていた。また、計画には学校や病院などのインフラストラクチャーの整備、さらに想定される人口規模に応じた入植地の面積や配置などについても具体的な案が含まれていた。

一方で、計画立案者たちは、ユダヤ人が日本の政治や経済に影響力を持ち、最終的にはそれらを掌握する可能性についても警戒していた。これは、『シオン賢者の議定書』が、ユダヤ人が各国に潜入したうえで、その国を支配するという陰謀論を広めていたためである。

こうした構想は、後に「フグ計画」と呼ばれるようになった。「フグ」とはフグを意味し、適切に調理すれば美味である一方、調理を誤れば危険な食材であることから、ユダヤ人の受け入れも同様に、日本に利益をもたらす可能性がある一方で、扱いを誤れば危険になり得るという比喩である。

第二次世界大戦の間、日本は最終的にフグ計画を実行することはなかったが、ドイツの反ユダヤ主義に同調することもなかった。移動を制限されていたものの、ユダヤ人難民は比較的尊重され、日本人との間に良好な関係を築いていたほか、上海のゲットーでは近隣の中国人住民とも良好な関係を保っていた。しかし、1942年3月11日には、ユダヤ人の強制送還や新たな難民の受け入れ停止が検討され、一時的に反ユダヤ的な方針が強まった。この計画も同月30日には中止され、日本政府がドイツの人種主義から距離を置く従来の方針を維持することが改めて確認された。

当時、駐日ドイツ大使館付警察武官であったヨーゼフ・マイジンガー親衛隊大佐は、日本政府に対して公式な反ユダヤ政策を導入するよう繰り返し圧力をかけたが、日本政府はこれを一貫して拒否した。ただし、日本側はユダヤ人の移動を制限し、ユダヤ人難民を上海のゲットーに集中させる政策には同意した。

この時期、ユダヤ教の宗教生活は中国と日本においても維持・発展し、伝統的なユダヤ教の高等教育機関であるミール・イェシーバーもその重要な役割を果たした。同校の多くの学生は、杉原千畝によってビザを発給されることで、リトアニアから脱出し、迫害を逃れることができた。[24]

日本文化におけるユダヤ文化の表象

日本の大衆文化においては、ユダヤ教やヘブライ文化、カバラなどに由来するモチーフが作品の中で用いられることがある。

イスラエルのフォークダンス曲「マイム・マイム」は、イザヤ書12章3節の「喜びをもって、救いの井戸から水を汲む」という聖書の句に由来する。曲はイスラエルの音楽教育者エマヌエル・アミランによって作曲され、円形のフォークダンスの振付はエルゼ・デュブロン によるものとされている。1950年代以降、日本の幼稚園や学校などでも広く知られるようになった。曲名の「マイム・マイム」はヘブライ語で「水、水」を意味する。1998年には任天堂のゲーム『ゲームボーイギャラリー』のミニゲーム「ボール」でBGMとして使用されたほか、スタジオジブリの映画『おもひでぽろぽろ』(1991年)やアニメ『ご注文はうさぎですか??』(2015年)でも使用されている[25]。

アニメ映画『THE END OF EVANGELION』の冒頭などでは、天使や生命の樹など、ユダヤ教およびカバラに関連する図像が使用されている。これらは作品独自の宗教的・神秘主義的世界観を構築するために用いられており、必ずしも伝統的なユダヤ教の教義をそのまま表現したものではない。

ゼノギアスでは、物語の中心的な形而上学的存在に「ゾーハル」という名称が用いられている。また、「カドモニ」は、カバラにおける「アダム・カドモン」(原初の人間)に由来すると考えられる名称である。さらに、兵器「メルカバー」にはヘブライ語で「戦車」を意味する語が用いられている。メルカバーは、旧約聖書のエゼキエル書に登場する神の戦車や、後世のユダヤ神秘主義における「メルカバー神秘主義」とも関連する概念である。

ファイナルファンタジーVIIでは、主要な敵役であるセフィロス の名称が、カバラにおけるセフィロトに由来している。セフィロトとは、カバラにおいて神から発出する10の神的属性・段階を指す概念である。

ペルソナ5では「クリフォト」および「クリフォトの世界」が登場する。カバラにおけるクリフォト は、神聖な力を覆い隠したり、その流れを阻害したりする「殻」あるいは負の力として説明される概念である。同様のモチーフは漫画『ブラッククローバー』やゲーム『デビル メイ クライ5』にも登場する。

ゲーム『真・女神転生』シリーズでは、ユダヤ教やユダヤ神秘主義に由来する多数の天使、悪魔、概念が登場する。その中には、カバラにおける世界観の一つである「アッシアー界」(アッシャー界、Assiah)も含まれている。

ライトノベルおよびアニメ『デート・ア・ライブ』では、十体の精霊が「セフィラクリスタル」と呼ばれる結晶を有しており、それぞれの名称にはカバラのセフィロトを構成する10のセフィラと同じ名称が用いられている。

『Fate/Grand Order』では、ソロモン・イブン・ガビーロール に由来する名称を持つ人物が登場するほか、ゴーレムなどユダヤ文化・伝承に由来するモチーフも登場する。作中の「ゴーレム・ケテル・マルクト」は、カバラにおけるセフィラの名称である「ケテル」と「マルクト」を組み合わせた名称である。

アニメ『進撃の巨人』では、マーレに住むエルディア人が、1930年代のドイツにおけるユダヤ人に類似した境遇に置かれている。エルディア人は収容区に居住することを強制され、民族的出自を示す腕章の着用を義務付けられ、出自に対する羞恥心を植え付ける教育や人種的プロパガンダを受けている。このため、エルディア人の設定にはホロコースト期のユダヤ人迫害を想起させる要素があると指摘されている。

また、調査兵団については、壁内社会において非人間的な扱いを受ける状況や、その抵抗の描写から、ワルシャワ・ゲットー蜂起などのユダヤ人抵抗運動との類似性を指摘する解釈もある。ただし、調査兵団をワルシャワ・ゲットー蜂起に直接結び付けることや、登場人物の姓がアシュケナジム系ユダヤ人の姓を意図的にモデルとしているとする説については、作品の作者や制作側による明確な確認はない。

より明示的に、漫画『赤い鳩(アピル)』では、ユダヤ人と日本人が共通の祖先を持つとする日ユ同祖論(日ユ同祖説)を題材として取り上げている。この説は現在の学術研究では支持されておらず、疑似歴史的な説とされている。作中では、ユダヤ人と日本人の混血であるカトリックの宣教師が登場し、この歴史仮説の正当性を証明するために調査を行う。

ラビ

  • 東京ユダヤ人社会での歴代ラビ一覧
    • ラビ Herman Dicker、1960-1963年、正統派
    • ラビ Marvin Tokayer、1968-1976年、保守派
    • ラビ Jonathan Z. Maltzman、1980-1983年、保守派
    • ラビ Michael Schudrich、1983-1989年、保守派
    • ラビ en:Moshe Silberschein、1989-1992年、保守派
    • ラビ Jim Lebeau、1993-1997年、保守派
    • ラビ Carnie Shalom Rose、1998-1999年、保守派
    • ラビ Elliot Marmon、1999-2002年、保守派
    • ラビ Henri Noach、2002-2008年、保守派
    • ラビ Rachel Smookler、暫定、改革派
    • ラビ Antonio Di Gesù、2009年-現在、保守派
  • ユダヤ教ハシディズム・ルヴァビッチ派(ハバド派)のラビ
    • ラビ Binyomin Y. Edery 1999〜
    • ラビ Mendi Sudakevich 2000〜

シナゴーグ

神戸市のシナゴーク

日本国内には4つのシナゴーグがある。

ユダヤ系日本人

日本のユダヤ人一覧

日本で活躍した、あるいは現在活躍しているユダヤ人の一覧。来日したり居住したりしたことのある人物、所縁のある人物も含む。

※名前は五十音順。新規追加や表記の改名時には準拠されたい。

居住もしくは活躍した人々

あ行

か行

さ行

た行

な行

は行

ま行

  • マーヴィン・トケイヤー Marvin Tokayer - ラビ。
  • マーク・ゲイン Mark (Jilius) Gayn - ジャーナリスト。本名モー・ギンズバーグ(Moe Ginsburg)。戦後の混乱期の日本を取材。著書『ニッポン日記』。
  • マクシム・シャピロ(マキシム・シャピロ) - ロシア出身のピアニスト。メトネルの弟子で、1927年に日本へ亡命。レオ・シロタの好敵手と見なされた。教え子の甲斐美和と結婚し、渡米。
  • マーカス・サミュエル - ロンドン出身の商人・ロンドン市長。18歳で横浜に着き、明治9年(1873年)同地にサミュエル商会を設立。灯油販売などに発展し、シェルとなる。
  • マーシャ・クラッカワー - 東京生まれの英語学者、聖心女子大学教授。
  • マーティ・フリードマン - ヘヴィメタルバンドメガデスの元ギタリスト。日本人の妻を持ち、東京都新宿区に住む。ユダヤ系アメリカ人。
  • マルク・カルプレス - フランス出身のIT起業家、マウントゴックスCEO。
  • マルティン・カフカ - 福岡サニックスブルース所属のラグビー選手。曾祖父の従弟にあたる人物にフランツ・カフカがいる。
  • マンフレート・グルリット - ドイツ出身の指揮者。1933年、ユダヤ人であるにもかかわらずナチスに入党。1937年、党員資格剥奪。1939年にドイツから脱出して来日。中央交響楽団の常任指揮者と東京音楽学校の非常勤講師となる。1941年から、藤原義江歌劇団の常任指揮者。1945年に終戦を迎えるも、元ナチ党員の経歴が祟ってドイツへの帰国が叶わず、日本に定住。1952年、オペラ歌手の日高久子と結婚、グルリット・オペラ協会を発足させる。東京にて死去。
    グルリット家(Gurlitt)はユダヤ系の家系。
  • ミッシェル・ワッセルマン - フランス出身の比較文学者。立命館大学教授。
  • ミハイル・コーガン Michael Kogan - タイトーの設立者。日本に亡命したウクライナ系ユダヤ人。早稲田大学卒。テレビゲームの全盛期を招来。
  • ミハエル・ウェクスラー Michael Wexler (1896年 - ?) - ヴァイオリニスト。リトアニア出身。レオポルト・アウアーの弟子。ロシア革命の混乱を避けて、1923年、渡米の途上に来日し、神戸に住む。大阪交響楽団でコンサートマスターを務めた。貴志康一の師。1930年に渡米するも、のちに再来日。1935年頃から芦屋でヴァイオリン教室を経営。1937年まで大阪中央放送局のラジオに出演して演奏した。ニューヨークへ出国する計画が有り、出国前に軽井沢で10日滞在し、1938年7月31日有馬山丸でロサンゼルスへ向け横浜から出国した。
  • ミヒャエル・ベーア(バイルとも表記) Martin Michael Bair(あるいはMichael Martin Baerとも表記[35]) - ドイツ出身の武器商人。1870年までには来日し、日本に長年暮らし、日本人女性と結婚して子供を儲け、武器輸出の会社ベア商会を経営。サミュエル・ビングの妻の兄。原田熊雄の祖父。
  • モーシェ・アツモン Moshe Atzmon - 東京都交響楽団のアドバイザー・首席指揮者。東京都交響楽団の関係者にはエリアフ・インバル、ガリー・ベルティーニらもいる。
  • モーシェ服部 - ラビ、ヘブライスト(夫婦でユダヤ教に改宗しイスラエルに移住)。

や行

  • ヤコフ・ジンベルグ Yakov Zinberg - 国士舘大学教授。
  • ヨーゼフ・ヘンリー・レーフィスゾーン Joseph Henry Levyssohn - オランダ出島商館長。
  • ヨーゼフ・ローゼンシュトック(ローゼンストック、ヨゼフ・ローゼンストック) Joseph Rosenstock - 指揮者。
  • ヨセフ・ラスカ Josef Laska(1886年 - 1964年)- オーストリア出身の作曲家、指揮者。1923年、横浜の交響楽団に招かれて来日。しかし折悪しく起きた関東大震災の被害を避けて関西に居を定め、神戸女学院で音楽を教える。また、宝塚交響楽団で指揮者を務めた。
  • 吉岡孝浩Joseph 1967年生まれ。日本国籍だが2003年7月に東京渋谷区広尾にある日本ユダヤ教団本部・シナゴーグにてユダヤ教に改宗。数少ない日系ユダヤ人。国内外の学者、著名国際政治評論家などと親交があり、日本人とユダヤ人との友好関係の構築を図っている。
  • ヤコブ・フリードマン Yaakov Fridman - 株式会社国際パズルの代表取締役、日本初のイスラエル人の看護学生看護学生、介護福祉士。

ら行

  • ラーム・エマニュエル - 第31代駐日アメリカ合衆国大使。
  • リービ英雄 - アメリカ出身の作家。本名 Ian Hideo Levy。日本語で小説を執筆。父がユダヤ人、母がポーランド人。
  • リチャード・ウィリアム・ラビノウィッツ - アメリカ出身の弁護士。アンダーソン・毛利・ラビノウィッツ法律事務所(現アンダーソン・毛利・友常法律事務所)のパートナー。
  • リチャード・バーガー - アメリカ出身の日本で活躍するタレント。
  • リリー・クラウス Lili Kraus - ハンガリーのピアニスト。ジャワで日本軍に捕らえられ、三年間投獄された。数度来日した。
  • ルイーゼ・ヴィーゲルト Anna Bertha Luise Wiegert - 森鴎外のドイツ留学時代の恋人。裕福な仕立屋の娘。1888年9月12日、鴎外を追って来日し、1ヵ月後に帰国。『舞姫』のエリスのモデル。鴎外の二女杏奴(あんぬ)はAnna、三男類(るい)はLuiseから命名されたとする説もある。また、ユダヤ人ではなくプロテスタントの家系の出だったとする説もある。
  • ルイス・デ・アルメイダ - 医師、商人、イエズス会士。ユダヤ教からキリスト教に改宗した家系の出。日本初の病院をつくり、ハンセン病と戦った。
  • ルートヴィヒ・ハーバー - 開国後の日本にドイツ領事として派遣され、1874年8月11日に函館で旧秋田藩の士族田崎秀親に暗殺された(ハーバー事件)。
  • ルートヴィヒ・リース Ludwig Ries - 歴史学者。日本人女性と結婚。史学会創設とランケ派史学の移植など。
  • ルプ・ジ・カルヴァリョ Lopo Sarmento de Carvalho - ポルトガルの日本貿易船隊司令官。
  • レオ・シロタ Leo Sirota - ピアニスト。日本に亡命したウクライナ系ユダヤ人。のちアメリカに移住。
  • レオ・メラメド Leo Melamed - ポーランド出身の投資家。1939年、杉原千畝の発行したヴィザで日本に亡命し、九死に一生を得る。1941年に渡米。
  • レオニード・クロイツァー - ピアニスト。日本に亡命したロシア系ユダヤ人。日本人女性と結婚し、東京藝術大学で教え、茅ヶ崎に定住して日本で亡くなった。
  • レスター・サルウィン Lester Salwin (1911-1984)-アメリカ・ミズーリ州出身の法曹。イリノイ州の弁護士資格を取得後、連邦政府の公務員となり、1946年8月、志願して占領下の日本に来る。GHQでは、1946年12月から経済科学局反トラスト・カルテル課の立法係主任として、昭和22年に制定された日本の独占禁止法の起草作業において当初GHQを代表して交渉し、その内容の形成に極めて大きな役割を果たした。また、株主の帳簿閲覧権や代表訴訟制度を設けた昭和25年の商法改正の際にも、最初に改正の内容をシックス・ポインツとして提示し、改正の方向を決定づけるなど大きな役割を果たした。占領終結後も大使館員として日本にしばらく残ったが、その後、帰米し、中小企業庁等に勤務した。
  • レフ・メチニコフ - 地理学者、社会学者、ナロードニキ革命家。生物学者イリヤ・メチニコフの次兄。ロシアから日本に亡命中、大山巌の推挽により東京外国語学校露語科で講師を務める(1873 - 75年)。日本亡命時の回想記として『亡命ロシア人の見た明治維新』(原題『日本の文明開化 - 明治』 / 1876年)・『回想の明治維新』(原題『日本における2年間勤務の思い出』 / 1883 - 84年)がある。
  • ロイ・真・長谷川(長谷川真) (1906-1996) - 日本人の元キリスト教徒のヘブライ語・神学・社会学者、のち改宗者。
  • ロジャー・パルヴァース Roger Pulvers - 作家、劇作家、演出家、東京工業大学教授。アメリカ出身だがオーストラリアに帰化。1994年以降は日本に住む。宮澤賢治や坂口安吾を英訳。
  • ロバート・アラン・フェルドマン Robert Alan Feldman - モルガン・スタンレー証券日本主席エコノミスト。
  • ロバート・クリッツァー Robert Kritzer - 仏教学者。京都ノートルダム女子大学教授。
  • ロバート・ゲラー Robert J. Geller - 地震学者。東京大学教授。

来日した人物

日系

  • ハルミ・クロソフスカ・ド・ローラ(ジュエリーデザイナー)Harumi Klossowska de Rola - ヨーロッパ出身だが、日本人の母とユダヤ人(母親がユダヤ系)画家バルテュス(クロスフスキ・ド・ローラ)の間に生まれた。
  • カルメン・マキ - 1968年からミュージシャン
  • ケニー野村 Kenny Nomura - 元野球選手。野村沙知代とユダヤ系アメリカ人Alvin George Engelは(アルヴィン・エンゲル) の息子。「グッバイ・マミー―母・野村沙知代の真実」などの著書が話題となったこともあった。
  • 剣太郎セガール - モデル。父スティーヴン・セガールがユダヤ系アメリカ人。

ユダヤ教へ改宗した日本人

その他、注記

関連文献

脚注

参考文献

関連項目

外部リンク

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Timelines

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