一門 (相撲)

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ここでは、大相撲における一門制度について記述する。

大相撲の従業者(力士年寄行司呼出床山若者頭世話人)はいずれかの相撲部屋に所属しているが、これらの部屋は複数が連合しており、これを「一門」と呼称する。

一門が実態として機能したのは、明治維新を契機とする。江戸時代においては、力士は大名の抱えの制度によって生計を立てていたが、廃藩置県によって大名の庇護を得られなくなって以降、力士の帰属意識は、藩ではなく、日常を過ごす部屋に向く。一方この時代、個々の部屋の独立性は強くなく、年寄は自前の部屋施設および弟子(内弟子)を構えながら、日々の稽古やチャンコ(食事)などは年寄が現役を過ごした部屋でまとまって行うのが一般的であった。この年寄の出身部屋と自前の部屋との関係性が、本家と分家の関係となり、「一門」と称される元となった。一門は、日常の稽古や生活の他、巡業も一門単位で行うなど、強い連帯意識を持った。特に巡業の興行単位であったことから、「組合」とも称した[1]。また、生計を共にする擬制的な家族であることから、同じ一門の力士は本場所で対戦しなかった(系統別総当たり制#系統別総当たり第2期[2]

1957年以降、財団法人である相撲協会の前近代性が問題になったのを機に、協会は組織の近代化を推し進め、実態としての一門の力は弱まってゆく。1958年には巡業が協会単位で行われるようになり、一門単位の巡業は途絶。また、部屋単位の独立性を高め、1965年からは部屋別総当たり制を導入。それまで分家にはなかった土俵の設置を全部屋に義務付けることで、部屋単位の生計・稽古が基本となり、一門の日常的な存在意義は大きく減退した[3]

しかし以降も、慣習や人的つながりの面で、一門の形は継続している。特に、年寄間での利害関係の調整が一門制度の主目的となっており、一門内での対立がエスカレートした場合には、一部の部屋が一門から追放(破門)されることがある。破門された部屋は、他の一門に加盟するか、自前の一門を構える、あるいは無所属になる道があったが、2018年に貴乃花一門が崩壊した際、協会は新たな一門の結成および無所属の部屋の存在を認めないことを決定した[4]

現在の一門の主な役割及び特徴は以下の通り。

  • 協会の人事、とりわけ理事の選出は一門の枠組みで決定されており、理事選挙の際には年寄の人数に応じて一門ごとの割り当て数が決められ、無投票になることが多い。
  • 協会からは毎年、各一門へ助成金が支給され、さらに一門の責任者が所属する各部屋に分配している。
  • 役員以外の年寄衆で構成される年寄会には、各一門より会長もしくは副会長を選出している。
  • 冠婚葬祭や年季の付き合いなどは、一門単位で行われている。ただし、同じ一門であっても、他の一門から移籍して元々の付き合いのない部屋は"別系統"の部屋であるため、行事に参加しないこともある[5]
  • 年寄名跡の継承は、一門内で行われるのが望ましいとされる。名跡取得の際に授受される金銭は、一門を越えて継承する場合、同門の場合より1,2割高くなるのが相場である。また、先代との義理で元の一門の冠婚葬祭への参加が求められるなど、人間関係が複雑になることから、特に有力力士は他門からの名跡取得を忌避する傾向がある[6]

一門の一覧

一門名 部屋数 所属親方数 総帥 選出理事
太字は理事長)
現役の筆頭力士
(最高位太字は現在の役)
(四股名太字は幕内優勝力士)
備考
出羽海一門 14 36 11代出羽海
2・小城ノ花
11代出羽海
(前2・小城ノ花)
18代藤島
(大関・武双山
17代尾上
(小結・濱ノ嶋
横綱豊昇龍
立浪部屋
3系統の部屋の集合体。
二所ノ関一門 17 28 13代二所ノ関
横綱稀勢の里
13代佐渡ヶ嶽
(関脇・琴ノ若
9代高田川
(関脇・安芸乃島
14代片男波
(関脇・玉春日
横綱大の里
二所ノ関部屋
戦後全ての世代で看板力士を輩出。
時津風一門 5 17 17代時津風
(前1・土佐豊
12代伊勢ノ海
(前3・北勝鬨
11代追手風
(前2・大翔山
大関・正代
時津風部屋
大関霧島
音羽山部屋
1945年、立浪一門より独立した双葉山により結成。
4つの系譜の部屋による連合体。
高砂一門 4 13 8代高砂
(関脇・朝赤龍
8代八角
(横綱・北勝海
大関・朝乃山
高砂部屋
明治初期に創設された高砂部屋を起源に持つ。
後に九重部屋の加入により2系統になる。
伊勢ヶ濱一門 5 11 10代伊勢ヶ濱
(横綱・照ノ富士
15代浅香山
大関魁皇
大関安青錦
安治川部屋
もとは4系統の部屋の集合体。現在は3系統が存在する。
2012年までの名称は「立浪一門」。

無所属

近年では、以下の部屋が無所属であった。

  • 高田川部屋 - 1998年理事選(後述)に際して高砂一門を離脱。2011年1月に二所ノ関一門へ移籍。

2018年7月下旬に日本相撲協会は理事会で全ての親方は5つある一門のうち、いずれかに所属することを決定した。その結果、以下の部屋に変動がおきた。いずれも正式な相撲協会からの承認は同年11月29日付[7]

  • 間垣部屋大嶽部屋阿武松部屋 - 2010年理事選(後述)に際して二所ノ関一門を離脱。離脱後は貴乃花グループを経て2014年から貴乃花一門として活動。18代間垣(元横綱・若乃花)は貴乃花グループ時代の2013年に部屋経営を断念、間垣部屋を閉鎖する際に伊勢ヶ濱一門の伊勢ヶ濱部屋へ移籍。2018年に貴乃花が一門の名称を返上し離脱した結果、大嶽部屋と阿武松部屋は阿武松グループとして活動し、2018年9月に二所ノ関一門に復帰した。
  • 立浪部屋 - 2012年1月に立浪一門(後の伊勢ヶ濱一門)を離脱し貴乃花グループへ移籍。2018年5月に貴乃花一門を離脱。無所属を経て9月に出羽海一門に移籍。
  • 千賀ノ浦部屋 - 2016年4月の親方の交代に際し、出羽海一門から貴乃花一門へ移籍。2018年9月に阿武松グループを経て二所ノ関一門に移籍。
  • 湊部屋錣山部屋 - 2017年12月に時津風一門を離脱。無所属を経て2018年9月に二所ノ関一門に移籍。
  • 貴乃花部屋 - 2010年、二所ノ関一門より独立、「貴乃花グループ」を創設。2014年以降に助成金が支給されるようになり「貴乃花一門」として認められた。2018年の理事選を機に貴乃花は一門の名称を返上し脱退、無所属となった。貴乃花は同年10月1日付で退職、力士らは千賀ノ浦部屋に転籍し部屋は閉鎖された。

かつて存在した一門

かつて存在したが、現存しない一門としては、明治以後だけでも雷一門境川一門伊勢ノ海一門玉垣一門井筒一門友綱一門尾車一門貴乃花一門などが存在した[8]。雷一門には、明治初期まで存在したものと、1880年頃に玉垣一門から分かれて独立し昭和戦前まで存在したものがあるが、このうち後者についての詳細は雷部屋#雷一門を参照のこと。

協会理事と一門

脚注

参考文献

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