服部大池
From Wikipedia, the free encyclopedia
| 服部大池 | |
|---|---|
|
国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)(現・地図・空中写真閲覧サービス)の空中写真を基に作成 | |
| 左岸所在地 | 広島県福山市駅屋町加法 |
| 位置 | |
| 河川 | 芦田川水系服部川 |
| ダム湖 | 服部大池 |
| ダム諸元 | |
| ダム型式 | アースダム |
| 堤高 | 15.0 m |
| 堤頂長 | 190.0 m |
| 堤体積 | 17,000 m3 |
| 流域面積 | 22.0 km2 |
| 湛水面積 | 17.0 ha |
| 総貯水容量 | 650,000 m3 |
| 有効貯水容量 | 650,000 m3 |
| 利用目的 | かんがい |
| 事業主体 | 服部大池水利組合 |
| 着手年 / 竣工年 | 1643年 / 1645年 |
| 出典 | [1] |

服部大池(はっとりおおいけ)は、広島県福山市駅家町にあるため池である。江戸時代に芦田川水系服部川をせき止めて作られたもので、現在も現役で使われている。2010年(平成22年)に農林水産省から広島県で唯一ため池百選に選ばれた。
人柱伝説
服部大池の築造は大変な難工事であったために堤に「人柱」が捧げられたとの言い伝えがある。それによると人柱にされたのは病気の母親に代わり人夫として夫役に出ていた16歳のお糸であったとされ、彼女が選ばれた理由は『着物に横つぎが当たっていて、未婚の娘』(貧しい処女であるという意味)であったからだという。また、伝説には後日談があり、お糸には恋人の若者がおり毎夜池の堤でお糸の名を呼び続け、ついには池に身を投げてしまった。それを知った人々が二人の霊を慰めるために弁財天を祀ったうえで松と槙を植えた。後に2人の魂がひとつになろうとしているかのように2本の根が絡み合い、やがて『比翼の松』と呼ばれるようになったという(現在では枯れてしまい、お糸大明神に祀られている)。
この話は地元では事実として信じるひとも多いが、江戸時代の文献にはこれに類する話は全く存在せず、石碑は何れも後年に造られたものである。また堤の改修工事で人骨が見つかったという話も存在しない。しかしながら話自体は昭和初期頃には市井に広まっていたようで、当時からその信憑性を疑う声はあったが、戦後には市内小学校の同和道徳教育の教材に用いられたことなどから、話の信頼性が高まったようである。