通谷池
From Wikipedia, the free encyclopedia
道後平野は、1771年(明和8年)の大旱魃で水争いによる死者が出るなど古くから渇水に対して様々な問題が生じていた。一級河川・重信川の伏流水が豊富に湧き出ている赤坂泉[2]ができて水利権に関する揉め事は収まったものの、依然農業用水は不足していた。
この池の原形は1793年(寛政5年)に宮内村と麻生村の共有という形で造られ、他後1967年(昭和42年)[要追加記述]中予分水の事業の一つである土佐湾流出する[要追加記述]一級河川 仁淀川水系面河ダムから虹の用水で石鎚山の分水嶺を越え東温市田桑の二級河川中山川の逆調整池まで流下し千原取水塔より取水し、隧道用水路により、南北分水工で北部幹線水路と南部幹線水路にそれぞれ分水されて池に導水されるのに伴い改修を行った。
現在も道後平野の250haの田畑を灌漑しており、虹の用水はこの池から大谷池まで導水している。
→詳細は「面河ダム」を参照