木曽の桟
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歴史
- 古くは今昔物語集に記述があり、応永7年(1400年)から14年(1407年)にかけて木曽川沿いに新道が開かれた時に、長さ60間(109m)の桟道が付けられたと伝えられる[2]。当時の桟道は険しい岩の間に丸太と板を組み込み、藤づる等で結わえた簡素なものであった。
- 慶長5年(1600年)には、豊臣秀頼が犬山城主・石川備前守に命じて改良工事行っている(『前田慶次道中日記』)。
- 正保4年(1647年)に通行人の松明の火により焼失するが、翌慶長元年(1648年)に尾張藩が875両をかけて、中央部に8間(14.5m)の木橋を架けた長さ56間(102m)の石垣を築いた。
- その後、寛保元年(1741年)と明治13年(1880年)の二度の改修を経て、木橋下の空間はすべて石積みとなり、明治44年(1911年)、わずかに残っていた木橋も国鉄中央線工事のため取り除かれ、石垣のみとなった。



