杉村繁

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国籍 日本の旗 日本
出身地 高知県高知市朝倉[1]
生年月日 (1957-07-31) 1957年7月31日(68歳)
身長
体重
170 cm
75 kg
杉村 繁
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 高知県高知市朝倉[1]
生年月日 (1957-07-31) 1957年7月31日(68歳)
身長
体重
170 cm
75 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 内野手
プロ入り 1975年 ドラフト1位
初出場 1977年4月6日
最終出場 1987年7月20日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴
  • ヤクルトスワローズ
    東京ヤクルトスワローズ (2000 - 2007)
  • 横浜ベイスターズ (2008 - 2011)
  • 東京ヤクルトスワローズ (2013 - 2025)

杉村 繁(すぎむら しげる、1957年7月31日 - )は、元プロ野球選手内野手)、プロ野球コーチ

プロ入り前

高知高等学校では、170cm未満の小柄な体格ながらスラッガーとして活躍し「中西二世」の異名をとり、また東海大相模高校原辰徳とは「西の杉村、東の原」と並び称された[2]。甲子園には3回連続出場。1974年春の選抜に1年上のエース高橋修二を擁し出場。2回戦で永川英植を擁する優勝候補の横浜高と対戦。高橋と永川が互いに無失点で投げ合うが、延長12回に中越え適時打を放ちサヨナラ勝ち、一躍注目を集めた。この大会では準々決勝に進むが和歌山工に敗退した[3]。同年夏の選手権は2回戦(初戦)で中京商原田末記に抑えられ惜敗[4]

3年生となった翌1975年春の選抜では左腕エース山岡利則(近大 - 大昭和製紙)の好投もあって順調に勝ち進み、準決勝で報徳学園に辛勝[3]。決勝では東海大相模高と激突、5-5で迎えた延長13回表に決勝打となる三塁打を放ち選抜初優勝に導く[5]。漫画家の水島新司はこの時期の杉村をドカベンの登場人物である微笑三太郎のモデルとしている[6]。同年夏は県予選準々決勝で玉川寿(慶大 - 日本石油)らのいた土佐高に敗れ、甲子園には届かなかった。

同年暮のドラフト会議ヤクルトスワローズから1位指名され、入団した[1]

ヤクルト時代

1977年、監督の広岡達朗の指令でコンパクトな打撃に改造、更に守備を鍛えられ、その甲斐もあって主に遊撃手として32試合に出場。

1979年には、5月から遊撃手として水谷新太郎と併用され51試合に先発出場、自己最高の185打数45安打を記録した。その後も内野のユーティリティープレイヤーとして活躍。

1982年には主に二塁手として26試合に先発する。

1987年に引退[1]

高校時代の杉村を間近で見た審判に「杉村はどれ程の(凄い)選手になるのか」と言わしめる程だったが、プロ12年間でわずか4本塁打に終わった。

引退後

引退後は球団広報などのフロント業務を長く務め、1988年に鳴り物入りで入団した長嶋一茂番を務めたこともある。2000年若松勉監督のもと打撃コーチ補佐として抜擢・起用され、その後、打撃・走塁コーチに昇格。打撃コーチとしては、現役時代の師の中西太の教えをベースとして指導している[7]

2007年まで一軍打撃コーチとして青木宣親などを指導し、チームの打力強化に努めた。

2008年からは横浜ベイスターズの一・二軍巡回打撃コーチ(正式な肩書きは湘南シーレックス育成総合コーチ)に就任し内川聖一首位打者タイトル獲得に貢献する[2]など横浜でも実績を残した[注 1]

2009年からは駒田徳広と共に一軍打撃コーチを務めたが前年のチーム打率.266を大きく下回るチーム打率.239(リーグ最下位)と低迷した。4月16日の広島戦(3回戦)で、監督の大矢明彦が遅延行為により退場となったため監督代行を務めた。

2010年からは一軍打撃チーフコーチを務めたが、前年同様2年連続チーム打率12球団最低を記録するなど打撃が低迷した。

2011年は巡回打撃コーチを務めた。

2012年夕刊フジ野球評論家を務めた[9]

2013年からはヤクルトに復帰し、二軍打撃コーチを務める[10]

2013年10月23日、2014年シーズンより一軍打撃コーチに就任することが発表された[11]。打撃コーチとして、山田哲人の育成などに結果を残した[12]

2015年から2017年は一軍チーフ打撃コーチ[13][14][15]

2018年からは巡回コーチ[16]

2020年からは再び一軍打撃コーチ[17][18]村上宗隆塩見泰隆長岡秀樹を育てた[19]西田明央は「杉村繁コーチと毎日打撃練習を継続して取り組めたことで、打撃で手応えを掴むことができました。何事においても継続は難しいことだと思うので、杉村コーチの存在は大きかったです」[20]と述べている。

2021年はチーム得点がリーグトップ625を記録し、6年ぶりのリーグ優勝、20年ぶりの日本一に貢献した。

2022年は2年連続リーグトップの得点力を挙げ[21]、リーグ連覇に貢献した。

2024年西川遥輝を再生した[19]2025年シーズン開幕直前の3月27日、スコアラー兼任となる[22]。同年は体調不良で休養を繰り返し10月6日に契約満了に伴いコーチ契約を終了した事が発表された[23][24]

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
1977 ヤクルト 3219181310041000010080.167.211.222.433
1978 3760000000001000010.000.000.000.000
1979 772091851045510529011301110329.243.286.281.567
1980 295953513301194002020253.245.298.358.656
1981 4087814195002470111321121.235.267.296.563
1982 8712410982531133512100411122.229.263.303.566
1983 6557536102011560021100100.189.200.283.483
1984 60918182230128110020711214.272.337.346.683
1985 3843374800082001050041.216.310.216.526
1986 8660000000000000030.000.000.000.000
1987 1016150200021000100030.133.133.133.266
通算:11年 4497186444614722241854614323345511120.228.271.287.558

記録

初記録

背番号

  • 2(1976年 - 1978年)
  • 41(1979年 - 1987年)
  • 73(2000年 - 2007年)
  • 96(2008年 - 2009年)
  • 84(2010年 - 2011年)
  • 74(2013年 - 2025年)

脚注

関連項目

外部リンク

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