松前之広 From Wikipedia, the free encyclopedia 松前 之広(まつまえ ゆきひろ、1926年〈大正15年〉11月4日[1] - 2008年〈平成20年〉)は、日本の教育者。 松前藩松前家第22代当主[注釈 1]。 子爵・松前勝広の次男として誕生。 兄の松前正広が1944年10月に太平洋戦争従軍により、死亡したため家督を継承した。 その後は神奈川県横浜市で過ごす[7]。教育者として1985年から2年間、横浜市立本郷養護学校(現・横浜市立本郷特別支援学校)の校長を勤めた[8]。 2008年に病没後は従兄弟の松前孝広が松前家第23代当主に就いている。 系譜 父:松前勝広 兄:松前正広 従兄弟:松前孝広 注釈 ↑ 松前氏(蠣崎氏)は勝山館主・蠣崎信広が「始祖」として扱われており[2]、蠣崎氏(松前氏)の代数は信広を初代として世数が記述される[3]。これは松前慶広を藩祖(初代)とする旧松前藩主の代数とは異なる。また、松前氏(蠣崎氏)については江戸初期の松前盛広の扱いが文献により異なるため代数の加算に違いがみられる(『藩翰譜』や『寛政重修家譜』などでは盛広を藩主と認めていないが『松前家記』などでは藩主として数えている)[4]。最後の松前藩主である祖父の松前修広について、国指定文化財「松前藩主松前家墓所」の解説では松前氏(蠣崎氏)第19代とするが[5]、第18世とするものもある[6]。詳細は蠣崎氏を参照。 脚注 ↑ 『平成新修旧華族家系大成』下巻(霞会館、1996年)p.644 ↑ 「松前藩主松前家墓所 (PDF)」『松前町』。 ↑ 福島憲成「8高等教育機関合同公開講座「函館学」 (PDF)」『キャンパス・コンソーシアム函館』。 ↑ 「福島町の文化財」『福島町』。 ↑ 「北海道・松前郡松前町の文化財」『文化遺産オンライン』。 ↑ 「松前修広」『コトバンク デジタル版 日本人名大辞典+Plus』。 ↑ “松前藩士しのび当主が墓参 伊達・梁川 復領以来初めて”. 河北新報. 2022年5月29日閲覧。 ↑ 沿革 - 横浜市立本郷特別支援学校公式サイト 2019年12月9日閲覧。 関連項目 教育関係者 表話編歴松前氏当主宗家 季繁(花沢館主) - 信広(勝山館主[注釈 1]) - 光広 - 義広 - 季広 - 慶広(松前藩祖) - 盛広 [注釈 2] - 公広 - 氏広 - 高広 - 矩広 - 邦広 - 資広 - 道広 - 章広 - 良広 - 昌広 - 崇広 - 徳広 - 修広 - 勝広 - 正広 - 之広 - 孝広 - 分家・支流 崇行院松前家 隆広 - 靖広 - 宣広 - 慶広 - 賀広 - 松川松前家 安広 - 広国 - 為広 - 広雄 - 広高 - 脩広 - 広義 - 広文 - 広憲 - 広胖 - 広致 - 広道 - 賢吾 - 泰広系 泰広 - 嘉広 - 勝広 - 端広 - 誉広 - 忠広 - 幸広 - 正広系 正広 - 貞広 - 利広 - 広林 - 広久 - 広賢 - 広命 - 広匡 - 広甫 - 広為 - 熊太郎 - 守広系 守広 - 友広 - 広隆 - 広明 - 広武 - 広栄 - 広重 - 広房 - 広常 - 右狩 - 守道 - 広鄰 - ↑ 蠣崎氏の「始祖」とされ[1]、信広を初代として世数が記述される[2]。 ↑ 盛広の代数(世数)の扱いについては文献により異なる。松前氏(蠣崎氏)当主としては第6代に数えられ[3][2]、盛広を含めると幕末の松前修広で第19代となる[3][2]。しかし、松前修広を第18世とするものもある[4]。また、盛広は松前藩初代藩主・慶広の子であるが、盛広は藩主には就かず、2代藩主には盛広の嫡男の公広が就いたとされ[5]、『藩翰譜』や『寛政重修家譜』などでは藩主と認めていないが、『松前家記』などでは藩主として数えている[6]。代数(世数)の扱いについては、国指定文化財「松前藩主松前家墓所」の解説から松前氏(蠣崎氏)当主には含め[3]、『藩翰譜』や『寛政重修家譜』などと同じく藩主には含めず松前修広で松前藩主14代[4]として表示している。詳細は蠣崎氏を参照。 ↑ 「松前藩主松前家墓所 (PDF)」『松前町』。 1 2 3 福島憲成「8高等教育機関合同公開講座「函館学」 (PDF)」『キャンパス・コンソーシアム函館』。 1 2 3 「北海道・松前郡松前町の文化財」『文化遺産オンライン』。 1 2 「松前修広」『コトバンク デジタル版 日本人名大辞典+Plus』。 ↑ 新藤 透「「新羅之記録」書誌解題稿」『情報メディア研究』第3巻第1号、情報メディア学会、2004年、1-10頁。 ↑ 「福島町の文化財」『福島町』。 Related Articles