松前正広 From Wikipedia, the free encyclopedia 松前 正広(まつまえ まさひろ、1917年〈大正6年〉9月30日 - 1944年〈昭和19年〉10月8日[1])は、旧松前藩松前家第21代当主[注釈 1]、子爵。 1929年9月に父・松前勝広が隠居し、家督を継承。 太平洋戦争に補充兵の二等兵として出征したが、1944年10月にニューギニアで戦死。松前家の家督は弟の松前之広が継承。 なお死亡した際に相続人が襲爵を行わなかったため、爵位は消滅している。 系譜 父:松前勝広 弟:松前之広 注釈 ↑ 松前氏(蠣崎氏)は勝山館主・蠣崎信広が「始祖」として扱われており[2]、蠣崎氏(松前氏)の代数は信広を初代として世数が記述される[3]。これは松前慶広を藩祖(初代)とする旧松前藩主の代数とは異なる。また、松前氏(蠣崎氏)については江戸初期の松前盛広の扱いが文献により異なるため代数の加算に違いがみられる(『藩翰譜』や『寛政重修家譜』などでは盛広を藩主と認めていないが『松前家記』などでは藩主として数えている)[4]。最後の松前藩主である祖父の松前修広について、国指定文化財「松前藩主松前家墓所」の解説では松前氏(蠣崎氏)第19代とするが[5]、第18世とするものもある[6]。詳細は蠣崎氏を参照。 脚注 [脚注の使い方] ↑ 『平成新修旧華族家系大成』下巻(霞会館、1996年)p.644 ↑ 「松前藩主松前家墓所 (PDF)」『松前町』。 ↑ 福島憲成「8高等教育機関合同公開講座「函館学」 (PDF)」『キャンパス・コンソーシアム函館』。 ↑ 「福島町の文化財」『福島町』。 ↑ 「北海道・松前郡松前町の文化財」『文化遺産オンライン』。 ↑ 「松前修広」『コトバンク デジタル版 日本人名大辞典+Plus』。 日本の爵位 先代松前勝広 子爵(館)松前家第3代1929年 - 1944年 次代栄典喪失 この項目は、貴族に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:歴史/P:人物伝/PJ:歴史/PJ:人物伝)。表示編集 この項目は、日本の歴史に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:日本/P:歴史/P:歴史学/PJ日本史)。表示編集 表話編歴松前氏当主宗家 季繁(花沢館主) - 信広(勝山館主[注釈 1]) - 光広 - 義広 - 季広 - 慶広(松前藩祖) - 盛広 [注釈 2] - 公広 - 氏広 - 高広 - 矩広 - 邦広 - 資広 - 道広 - 章広 - 良広 - 昌広 - 崇広 - 徳広 - 修広 - 勝広 - 正広 - 之広 - 孝広 - 分家・支流 崇行院松前家 隆広 - 靖広 - 宣広 - 慶広 - 賀広 - 松川松前家 安広 - 広国 - 為広 - 広雄 - 広高 - 脩広 - 広義 - 広文 - 広憲 - 広胖 - 広致 - 広道 - 賢吾 - 泰広系 泰広 - 嘉広 - 勝広 - 端広 - 誉広 - 忠広 - 幸広 - 正広系 正広 - 貞広 - 利広 - 広林 - 広久 - 広賢 - 広命 - 広匡 - 広甫 - 広為 - 熊太郎 - 守広系 守広 - 友広 - 広隆 - 広明 - 広武 - 広栄 - 広重 - 広房 - 広常 - 右狩 - 守道 - 広鄰 - ↑ 蠣崎氏の「始祖」とされ[1]、信広を初代として世数が記述される[2]。 ↑ 盛広の代数(世数)の扱いについては文献により異なる。松前氏(蠣崎氏)当主としては第6代に数えられ[3][2]、盛広を含めると幕末の松前修広で第19代となる[3][2]。しかし、松前修広を第18世とするものもある[4]。また、盛広は松前藩初代藩主・慶広の子であるが、盛広は藩主には就かず、2代藩主には盛広の嫡男の公広が就いたとされ[5]、『藩翰譜』や『寛政重修家譜』などでは藩主と認めていないが、『松前家記』などでは藩主として数えている[6]。代数(世数)の扱いについては、国指定文化財「松前藩主松前家墓所」の解説から松前氏(蠣崎氏)当主には含め[3]、『藩翰譜』や『寛政重修家譜』などと同じく藩主には含めず松前修広で松前藩主14代[4]として表示している。詳細は蠣崎氏を参照。 ↑ 「松前藩主松前家墓所 (PDF)」『松前町』。 1 2 3 福島憲成「8高等教育機関合同公開講座「函館学」 (PDF)」『キャンパス・コンソーシアム函館』。 1 2 3 「北海道・松前郡松前町の文化財」『文化遺産オンライン』。 1 2 「松前修広」『コトバンク デジタル版 日本人名大辞典+Plus』。 ↑ 新藤 透「「新羅之記録」書誌解題稿」『情報メディア研究』第3巻第1号、情報メディア学会、2004年、1-10頁。 ↑ 「福島町の文化財」『福島町』。 Related Articles