松山二三郎
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寺子屋で学んだ後、家業の農業に従事[1]。長男ら家族8人で暮らし、子7人、孫16人、ひ孫29人、やしゃご4人がいた。妻は1949年に亡くなった。耳が少し遠く、足腰は弱っていたが、103歳頃までは自宅から500メートル離れた畑にまで出かけ、毎日農作業に精を出していた[2]。106歳頃から横になっていることが多くなった。
1990年3月6日、藤原喜一が109歳で亡くなったことにより、松山が108歳で長寿日本一の男性となる。
男性長寿日本一となった際「おかげさまで。みんなにかわいがられて」と何度もお礼を述べた[3]。普段から110歳まで生きることを目標にしていた。
食欲旺盛で、卵とウナギが大好物だった。長寿の秘けつについて「三度の食事はキチンと取る。好き嫌いなく腹八分目」と語っていた[4]。
1990年9月発表の長寿番付では、全国10番目の長寿であった[2]。