柴田政見

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国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1946-07-01) 1946年7月1日(79歳)
所属団体 日本中央競馬会(JRA)
柴田政見
2010年大阪杯表彰式
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 青森県上北郡上北町
(現・東北町
生年月日 (1946-07-01) 1946年7月1日(79歳)
騎手情報
所属団体 日本中央競馬会(JRA)
所属厩舎 中京栗東柴田不二男(1965年 - 引退)
初免許年 1965年3月1日
免許区分 平地
騎手引退日 1990年2月28日
重賞勝利 9勝
通算勝利 4260戦364勝
調教師情報
初免許年 1990年(1991年開業)[1]
調教師引退日 2015年10月20日
重賞勝利 5勝(うち地方交流1勝)
G1級勝利 1勝
通算勝利 中央4234戦259勝[2]
地方119戦16勝[3]
経歴
所属 栗東T.C.
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柴田 政見(しばた まさみ、1946年7月1日 - )は、青森県上北郡上北町(現・東北町)出身の元騎手・元調教師

実弟にそれぞれ元騎手の柴田政人(三男)と柴田利秋(四男)がおり、騎手時代は「柴田三兄弟」として知られた[4]

長兄は実家を継いでおり、息子は騎手の柴田善臣、孫は厩務員の柴田健登とオートレース選手の柴田陸樹である。

農家の次男として生まれ、叔父に当時騎手であった柴田不二男がおり、実家は不二男の勧めで競走馬生産も兼業していた。中学2年時に名古屋競馬場で初めて競馬を現地観戦したことがきっかけで騎手を志し、中学卒業後に馬事公苑騎手養成長期課程に第13期生として入所。

修了後ら中京で調教師に転身していた不二男の厩舎に所属し、1965年にデビュー。

1年目の1965年は3月6日の中京第3競走4歳以上30万下・ツカダホマレ(6頭中5着)で初騎乗を果たし、4月10日阪神第2競走4歳未勝利・フジハヤトで初勝利を挙げる[5]9月25日9月26日京都では初の2日連続勝利[6]10月30日の中京では初の1日2勝[6]を挙げるなど、初年度から2桁勝利で20勝台の20勝[7]をマークし、関西の新人賞に当たる中央競馬関西放送記者クラブ賞を受賞[8]

初年度から1974年まで10年連続2桁勝利を記録し、2年目の1966年1968年1969年1971年1973年は20勝台をマーク[7]

1966年には京都牝馬特別・ミスハツライオーで重賞初勝利[9]を挙げ、オペレツタで読売カップ(春)アラブ大賞典(秋)タマツバキ記念(秋)2着[10]に入り、12月11日の中京では初の1日3勝[9]を記録するなど、2年連続20勝台となる24勝[7]をマーク。

3年目の1967年には渡辺栄に替わってタケダヒカル主戦騎手[11]となり、アラブ大賞典(春)・タマツバキ記念(春)3着[11]、アラブ大賞典(秋)では渡辺が騎乗するオペレツタとの同厩ワンツーで勝利[12]。障害ではキングハツライの主戦を務め、阪神障害ステークス春秋2着に入った[13]

1970年中日新聞杯ではタケダキングでスピーデーワンダーの2着[14]1971年ハリウッドターフクラブ賞ではサンシャチホマレでメジロアサマメジロムサシに次ぐ3着[15]1972年きさらぎ賞ではセカンドブラザーでヒデハヤテの2着[16]に入った。

1973年シンザン記念ではディクタボーイでホウシュウエイトに勝利し[17]、自己最多の27勝[7]をマーク。

1974年には4歳牝馬特別(西)・エビスオールでサクライワイに勝利し[18]、カルホーンでは48kgの中京記念を15頭中13番人気でヤマブキオーの5着[19]、49kgの鳴尾記念を10頭中9番人気でストロングエイトの4着[19]に入った。スカイシーダーではセイユウ記念・タマツバキ記念(秋)を勝利し、タマツバキ記念を勝った10月27日には政人がアイテイシローで京都牝馬特別を制し、史上初の兄弟同日重賞制覇を達成[20]

1975年にはCBC賞をオーラミハルで開業1年目の山本正司調教師に重賞初勝利[21]をもたらしたほか、同日の中山では政人が朝日杯3歳ステークスをボールドシンボリで制し2度目の兄弟同日重賞制覇となったが、その後は1997年3月2日武豊幸四郎兄弟が記録するまで無かった[22]。同日勝利ではないが、末弟の利秋も重賞に勝利しており[23]、中央競馬で三兄弟による重賞勝利は他に例がない。

1975年はカルホーンで49kgの鳴尾記念をナオキの4着[19]、シンポーラでは愛知杯イナボレスの4着[24]としたが、9勝と初の1桁勝利に終わった[7]

1976年には4歳牝馬特別(西)をホクザンラッキーで5着[25]1977年には5頭立ての阪神3歳ステークスをホクザンシャトーで4着[26]に入った。

1979年から1983年には4年連続2桁勝利[7]を記録し、1979年にはヒカリペガサスでシンザン記念2着、毎日杯・CBC賞4着に入った[27]

1980年にはサンライダーでグレートタイタンハシコトブキホースメンテスコを抑えて中日新聞杯を勝利し[28]マイラーズカップではニチドウアラシの3着[29]阪急杯では2着[29]に入り、中京で行われた宝塚記念では15頭中14番人気でカネミノブニチドウタローテンメイリュウキコウアグネスレディーに先着する6着と掲示板外ながら1桁着順を確保[30]

1980年11月15日の京都第2競走3歳未勝利では16頭中16番人気のシルバーシカイナミで勝利し、単勝49410円、複勝11680円、枠連7-1が19180円と現在でも唯一となる単勝・複勝・馬連全てが万馬券となった[31]

1981年にはシンザン産駒ヒヨシシカイナミで愛知杯を勝利し[32]、1983年には10年ぶりで最後の20勝台となる23勝[7]をマーク。

1982年には3月14日の中京第8競走あすなろ賞をセンターグルフォスでバンブーアトラスに勝利し[33]阪神で行われた小倉大賞典ではヘルメスヒーローで4着[34]京都新聞杯では関東馬パークスポートでエリモローラアズマハンタートウショウペガサスに先着の5着[35]に入った。

1984年にはタイテエム産駒キクノエンジェルで京都記念を16頭中15番人気の2着[36]、青森・タケミファーム生産馬キョウエイデビルで毎日杯3着[37]、CBC賞ではパワーシーダーでハッピープログレスシャダイソフィアに次ぐ3着[38]に入った。

1985年にはパワーシーダーで中京記念ではワカオライデンロングハヤブサ・シャダイソフィアに勝利し[39]京王杯スプリングカップではニホンピロウイナーギャロップダイナサンオーイに次ぐ5着[40]高松宮杯ではメジロモンスニーウインザーノットに次ぐ4着[41]スワンステークスでは3着に入った[42]

1986年にはセントシーザーで阪急杯3着、マイルチャンピオンシップでは14番人気でタカラスチールの4着と健闘[43]するが、同年の13勝が最後の2桁勝利[7]となった。

1987年には金杯(西)・キョウワシンザンで11番人気ながらドウカンヤシマの3着[44]ホクトボーイ産駒サンライズワールドで11番人気の愛知杯を2着[45]とした。

1989年にはホクザンラッキーを母に持つホクザンエンペラーで小倉3歳ステークス3着[46]、父トウショウボーイ・母ジュウジアローのトウショウアローで朝日チャレンジカップ4着[47]に入った。

1990年1月27日の阪神第7競走4歳新馬・スピードビッグベンが最後の勝利となり、2月25日の阪神第9競走ゆきやなぎ賞・シルクポーラ(13頭中10着)を共に勝利で飾って現役を引退[48]

1991年に開業し、初出走は同年3月9日小倉競馬第9競走のハシエイトで3着、初勝利は同年4月6日京都競馬第2競走に同じくハシエイトで挙げた(延べ2頭目)。騎手は厩舎の主戦騎手と言える和田竜二の他、渡辺薫彦熊沢重文を起用することが多い。

2015年10月20日付けで体調不良により調教師を勇退[49]。通算成績は中央競馬4234戦259勝[2]、地方競馬119戦16勝[3]

騎手成績

通算成績1着2着3着4着以下騎乗回数勝率連対率
平地 355 398 425 3,011 4,179 .085 .180
障害 9 16 13 41 81 .111 .309
364 414 428 3,054 4,260 .085 .183
日付競走名馬名頭数人気着順
初騎乗1965年3月6日-ツカダホマレ--5着
初勝利1965年4月10日-フジハヤト--1着
重賞初騎乗1965年10月10日アラブ大障害(秋)キヨヒロ7頭75着
重賞初勝利1966年11月20日京都牝馬特別ミスハツライオー9頭51着
GI級初騎乗1969年12月14日阪神3歳Sスズカシルバー15頭1015着

主な騎乗馬

その他

調教師成績

日付競馬場・開催競走名馬名頭数人気着順
初出走1991年3月9日2回小倉5日9RアラブスプリントSハシエイト11頭43着
初勝利1991年4月6日3回京都5日2Rアラ系4歳上オープンハシエイト11頭11着
重賞初出走1991年9月22日3回中京6日11R神戸新聞杯オーバーパパグラス11頭86着
重賞初勝利2002年10月26日3回中山7日11R武蔵野Sダブルハピネス16頭41着
GI初出走1993年11月7日6回京都2日10R菊花賞ロイヤルフェロー18頭610着
GI初勝利 2012年12月22日 5回中山7日10R 中山大障害 マーベラスカイザー 15頭 3 1着

主な管理馬

※括弧内は当該馬の優勝重賞競走、太字はGI級競走。

関連する人物

出典・注釈

参考文献

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