梶原敬義

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梶原 敬義(かじわら けいぎ、1937年1月2日 - 2025年8月20日)は、日本政治家。元参議院議員(3期)。

生年月日 (1937-01-02) 1937年1月2日
没年月日 (2025-08-20) 2025年8月20日(88歳没)
概要 生年月日, 出生地 ...
梶原 敬義
かじわら けいぎ
生年月日 (1937-01-02) 1937年1月2日
出生地 日本の旗 大分県別府市
没年月日 (2025-08-20) 2025年8月20日(88歳没)
死没地 日本の旗 大分県大分市
出身校 大分大学経済学部
所属政党日本社会党→)
社会民主党
称号 正四位
旭日重光章(2012年)
選挙区 大分県選挙区
当選回数 3回
在任期間 1983年7月10日 - 2001年7月22日
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来歴・人物

大分県別府市出身。1960年大分大学経済学部卒業。

1983年第13回参議院選挙日本社会党公認で立候補し、初当選。その後、1989年第15回参議院選挙1995年第17回参議院選挙でも当選し、計3期18年にわたって参議院議員を務めた。

この間、1991年9月12日に発足した社会党シャドーキャビネットでは内閣官房副長官に任じられ、1995年8月8日に発足した村山改造内閣では大蔵政務次官に就任している。また、1996年社会民主党への党名変更後も、社民党にとどまった。1998年1月の党役員改選では、政審会長及川一夫の退任が決まると労組系の議員を背景として同会長の後任に名乗りを上げたこともある[1]

しかし、2001年7月の第19回参議院議員通常選挙では、自由民主党が圧勝し、民主党自由党などとの選挙協力が整い盤石と見られていた梶原も、自民党の後藤博子に敗れ落選した。

2012年春の叙勲で旭日重光章受章[2]

2025年8月20日20時33分、誤嚥性肺炎のため大分市内の病院で死去[3]88歳没。死没日付で正四位に叙された[4]

当時の政策

選択的夫婦別姓制度導入に賛同する[5]

脚注

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