足鹿覚
From Wikipedia, the free encyclopedia
生い立ち
生家は半農半漁で家計は苦しく、そうした環境が彼に労働者としての自覚を促した[3]。
農民運動
東京帝国大学セツルメント労働学校を終えた後、帰郷して農民運動をする[2]。1926年(大正15年)労働農民党の創立に参加し、労働組合運動にも参加[2]。
政治家として
1931年(昭和6年)米子市会議員、1935年(昭和10年)鳥取県会議員を経て、戦後は日本社会党に入り、1949年(昭和24年)から衆議院議員に7期当選[2]。1968年(昭和43年)から参議院議員1期[2]。農政を中心とする思想・見識は国民の共感を得た[3]。
1955年(昭和30年)秋、ソ連訪問、欧州各国を視察、1957年(昭和32年)日本農業技術団副団長として新中国を訪問、両国の国交調整を図った[4]
1975年(昭和50年)から1984年(昭和59年)まで全日農会長をつとめた[2]。
1977年(昭和52年)11月の秋の叙勲で勲二等に叙され、旭日重光章を受章する[5]。
1988年(昭和63年)5月16日、死去した。83歳没。同月20日、特旨を以て位記を追賜され、死没日付をもって従三位に叙された[1]。