梶山雄一
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- 出生から修学期
1925年、静岡県静岡市で生まれた。静岡県立静岡中学校を経て、1942年に旧制静岡高校に入学。戦時の措置により高校課程は2年半に短縮され、1944年5月以降は勤労動員された。この頃、浄土真宗の篤信者の強い感化を受けて、親鸞に傾倒。1944年9月に静岡高校を卒業。
1944年10月、京都大学文学部哲学科に入学。しかしながら、戦局の悪化に伴い、1945年1月より終戦時まで学業を中断して兵役につき、陸軍特別幹部候補生として習志野で訓練を受けた。終戦後復学し、宗教学第三講座で仏教学を専攻し、久松真一や長尾雅人の指導を受けた。1948年、親鸞の思想に関する卒業論文「報身の哲学」を提出して同大学を卒業した。
1948年から京都大学大学院特別研究生。サンスクリット、チベット語を学習し、大乗仏教の原典研究に従事。中観派の空の思想、特に陳那の論理学を採り入れて「空」を論理的に解明した清弁の思想についての研究を進めた。
- 仏教学者として
京都大学人文科学研究所嘱託に採用され、塚本善隆を主班とする初期中国仏教研究会のメムバーとして慧遠・僧肇らの著作に関する研究に従事した。1953年4月から3年間、インド・ビハール州立ナーランダ・パーリ研究所に研修員兼講師として派遣され、研究留学。派遣の経緯は、ナーランダ・パーリ研究所の所長・カシャプ師より塚本善隆のもとへ大乗仏教研究者推薦依頼があり、長尾雅人と相談の上で決定されたものであった。1955年3月、それまでカルカッタ大学教授であったサトカーリ・ムケルジー教授(Mookerjee Satkari)が第2代所長としてナーランダ・パーリ研究所に赴任。同教授の指導の下で研究することによって、ダルマキールティ及び彼以後の認識論・論理学を中心とする大乗仏教哲学を研究してゆく上での素地が作られた[1]。
帰国後、京都大学文学部助教授に就任。後に教授昇格。同僚には大地原豊、服部正明、柳田聖山らがいた。1971年、学位論文『ナーガールジュナの哲学』を京都大学に提出して文学博士号を取得[2]。京都大学を退職後は佛教大学教授をつとめ、同大学に総合研究所を設立し所長となった。1997年からは創価大学国際仏教学高等研究所教授。この他にも、ウィスコンシン大学[3]やハーヴァード大学神学部など海外の諸大学で客員教授を務めた。