武魯頓島
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海岸線長
17 km
| 武魯頓島 | |
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| 所在地 |
帰属未定 (実効支配:ロシア サハリン州クリル管区) |
| 座標 | 北緯46度42分42秒 東経150度44分00秒 / 北緯46.71167度 東経150.73333度 |
| 面積 | 7 km² |
| 海岸線長 | 17 km |
| 最高標高 | 801 m |

武魯頓島(ぶろとんとう)は千島列島中部に位置する島である。ロシア名はブロウトナ島(о.Броутона)、英語表記はBroutona。
島名は、1796年(寛政8年)から2年に渡り千島・サハリン沿岸を調査した、イギリス海軍プロヴィデンス号のブロートン艦長(噴火湾の命名者)に由来する。
また、アイヌ語では「マカンルル(マック・アン・ルル=後ろ・ある・潮→後方の潮の中にある島)」と呼ばれ、潮流の激しい得撫水道の北端に位置することを指すと見られる。漢字表記では磨勘留島とも記されるが、磨勘留島との関連性は不明。
歴史
続縄文時代とオホーツク文化期に得撫島で集落が発達した時期があり、武魯頓島にもラッコ猟などで人が訪れた可能性があるが、定住の痕跡は発見されていない[2]。近代でも、択捉島のアイヌがラッコ猟に出猟していた。
- 1855年(安政元年)、日露通好条約によりロシア領となる。
- 1875年(明治8年)、樺太・千島交換条約により日本領になる。
- 1945年(昭和20年)、8月、ソ連軍が上陸し占領する。日本が降伏した9月2日に出された一般命令第1号により、ソ連占領地とされた。
- 1946年(昭和21年)、GHQ指令により、日本の施政権が正式に停止される。直後に、ソ連が領有を宣言する。
- 1952年(昭和27年)、サンフランシスコ講和条約で日本は領有権を放棄する(ソ連は未調印)。以後、日本は千島列島の帰属は未確定と主張する。
- 1991年(平成3年)、ソビエト連邦の崩壊後に成立したロシア連邦が実効支配を継承。
現在はロシア連邦の実効支配下にあるが、日本政府は国際法上は帰属未定地であると主張している。
→詳細は「千島列島 § 領土問題」を参照
